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第六章

 千姫のことが好きだという確信が、僕の中にはあった。たった三日間で、しかも過去の記憶もないのに、千姫と過ごすうちに少しずつ彼女に惹かれていったのだ。


 だけど千姫にとって、彼女が好きになったのは記憶を失う前の僕であって、今の僕じゃない。そもそも僕みたいな平凡な人間がどうして千姫と付き合っていられたんだろう。千姫はいったい、以前の僕のどこを好きになったというのだろうか。


 僕は本当に千姫にふさわしいのだろうか?……いや、そんなことはもうどうでもいい。千姫に恋愛感情はないって言われたんだから、これ以上彼女との可能性を考えてもしょうがない。無理に追いかけたら、きっと嫌われるだけなんだから。


 中学二年生の頃、僕には年下の可愛い女の子に想いを寄せていた時期があった。僕が中二で彼女は中一。彼女は年上の僕をいつも「お兄ちゃん」って呼んでいて、僕たちはゲームで知り合った仲だった。ある対戦での彼女の素直な物言いに僕はすっかり()かれてしまい、思わずフレンド申請を送った。それからいつの間にか、お互いゲームの中で一番信頼できる存在になっていた。


 その子のことが本当に好きだった。だけど、この関係が壊れてしまうのが怖くて、自分から想いを告げる勇気も出せなかった。ただ彼女のそばで黙って見守っていられればそれでいい、そう思っていたんだ。ところが、ある日彼女のほうから告白してきてくれた。


 僕たちは自然に両想いになり、甘くラブラブなひと月を過ごした。連絡先も交換して、現実で会おうという約束までした。だけど、僕が調子に乗りすぎてしまったんだ。彼女のゲームキャラクターの職業(ジョブ)を、無断で彼女の好まないものに転職させてしまった。


 その出来事がきっかけで、彼女は次第に僕に冷たくなっていった。彼女が冷たい態度を取れば取るほど、僕はどんどん不安になった。何とか元に戻そうと必死にもがいたけれど、返ってくるのはさらに冷たい反応ばかり。


 そしてついに……彼女は僕のことを徹底的に嫌いになり、連絡先もすべてブロックされてしまった。


 結局、その大好きだった彼女とは最後まで直接会うことはできなかった。でも、この出来事で一つだけわかったことがある。


 はっきりと拒絶されたあとに、もしつこく追いかければ、相手の嫌悪を買うだけだってことを。


「ってことは、お前、結局そんなふうに諦めるってわけか?」


 月は呆れたようにこちらを見ていた。


「まったく、お前は三年前の自分に逆戻りだな。あの頃も自信がなかったし、ネット恋愛で失敗してからずっと、自分から動けば相手に嫌われるって思い込んじまってるんだよ」


 月は僕の机の上に腰を下ろすと、やれやれといった様子で首を振りながら両手を広げてみせた。


「だって、お前はイケメンだから平気だろうけど、僕みたいな()えない奴は誰かに好かれるだけでも奇跡みたいなもんなんだから!」


「はいはい……惠、お前は何でもかんでも俺に彼女が多いのは顔がいいからだって決めつけるけど、実際はそうじゃないんだぞ。中一のときの俺を覚えてるだろ? あの頃の俺は今のお前と同じようなもんだったんだから」


 月は得意げに自分の“モテ理論”を滔々と語り始めた。


「一度彼女ができれば、自然と自信もついてくるもんなんだ。それに、その自信が次の彼女を作るチャンスを広げてくれるからな。お前は見た目だって別に悪くない。足りないのは自信だけだ。千姫に釣り合わないだなんて思うんじゃねえよ」


 僕は笑って相槌を打ちながら、視線の端で千姫の依然空っぽの席をちらりと見た。人間って、そう簡単に説得されるものじゃない。ネット恋愛で痛い目に遭った僕は、千姫もいつかあのときの彼女のように僕のことを嫌いになるんじゃないかと怖くて仕方なかった。


 チャイムが鳴ると、月は自分の席へと戻っていった。


 僕は窓の外に目をやった。青い空に、数枚の桜の花びらがひらひらと舞っていた。


「千姫、いつになったら戻って来るんだろう……」僕はぽつりと独り言のように呟いた。千姫が学校を休んでもう二日になる。次にまた会えたとして、僕はどんな顔をすればいいんだろう。

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