第五章
朝、いつもと変わらない朝のはずだった。昨夜眠りにつく前まで、僕は千姫とこれからも甘く睦ましい時間を過ごせるんだと夢見ていた。それなのに、今朝一番に千姫から届いたメールにはこう書かれていた――「別れましょう。」
僕はすぐに返信を送った。「理由を教えてくれないか?」しかし、いつまで経っても返事はなかった。胸の中がひどくざわつく。服を着替えて、自転車で学校へと急いだ。
すぐに教室に着いたが、中は誰もおらずがらんとしていた。僕は落胆しながら自分の席に腰を下ろし、黒板の上に掛かった時計を見上げる。時針はまだ7時を指したばかりだった。
落ち着かなくて右足を小刻みに揺すってしまう。そうこうするうちに時間は刻一刻と過ぎていき、7時半になる頃にはぽつぽつとクラスメイトたちが教室に入ってきた。焦りを悟られないよう、僕は机に突っ伏して寝たふりをしながら、横目でずっと千姫の席を窺っていた。
教室は次第に賑やかになり、周りのクラスメイトたちは昨夜のテレビ番組や最近のアニメ・ゲームの話で盛り上がり始めた。そんな中、僕の焦りは募る一方だった。
やがて始業のチャイムが鳴ったが、結局千姫は現れなかった。担任の先生が出席を取り、最後に「千姫は本日風邪で病欠です」と告げた。
僕は席に座ったまま呆然とし、しばらく現実を受け止められずにいた……。
昼休みになっても千姫からの返信はない。僕はスマホを取り出し、無言で千姫にメッセージを打った。「風邪を引いたって聞いたけど、大丈夫? ひどいようなら僕がお見舞いしにいこうか?」5分ほど待っても返事は来ない。落胆してスマホをしまい、自分で買っておいたパンを持って教室を出た。
教室を飛び出したのは、この重苦しい空気にこれ以上耐えられなくなったからだ。外の新鮮な空気を吸いたい――そう思って僕は階段を上り、屋上へ向かった。
しかし、屋上の扉は机と椅子で塞がれていた。僕は窓枠を乗り越えてなんとか屋上に出る。無様に地面に転がり落ちた拍子に、服が埃まみれになった。それでも服の埃を払おうともせず、適当な場所に腰を下ろして黙々とパンをかじり始めた。
屋上からの眺めは素晴らしく、校内を一望することができる。塔屋に登れば遠くの町並みまで見渡せて、通学路に並ぶ桜並木も見えるだろう。それはきっと、とても綺麗な光景のはずだ。
だけど、今の僕にはその景色を楽しむ余裕は少しもなかった。僕はパンをかじりながら、ここ数日間の出来事を思い返し始めた。
この三日、いろいろあった。最初は、三年間の記憶を無くした僕のために、千姫が僕に彼氏の役を演じてほしいと言い出した。
そして千姫は僕に告白し、本当に恋人同士として三日間を過ごした。あの三日間、お互い随分とスキンシップも取ったと思う。
それに、この三日間はずっとお互いの心が繋がっているような気がしていた。なのに、なぜ今日になって千姫は「別れましょう」なんて言い出したんだ? 理由を聞こうとしても、返事さえ返ってこないなんて……。
もしかして、この三日間、楽しかったのは僕だけだったんだろうか。千姫は決して同じようには思っていなかったのか……。そういえば、三日目に海へ行ったとき、千姫はどこか上の空だった。もしかすると、あのときにはもう……彼女は僕と一緒にいる気持ちを失っていたのかもしれない……。
僕は空気の抜けたボールのように、力なくその場に座り込んでいた。そのとき、ポケットの中でスマホが突然震えた。慌てて画面を見ると、差出人には「千姫」と表示されていた。
僕は急いでメッセージを開いた。
「惠君、ごめんね。昨日海辺に行ったら寒すぎて風邪引いちゃったの。今はベッドで氷枕してるところ (T_T)」
続けてもう一通メッセージが届いた。「この数日一緒に過ごしてみて、やっぱり今の惠君は記憶をなくす前の惠君とはどこか違うってわかったの。今の惠君に対しては恋愛感情が持てないみたい。だから、この三日間は試しに付き合ってみただけ……惠君はこの三日間、彼氏役を立派に務めてくれたけど、本当にごめんなさい。私...ひどい女かもしれない...」
僕は画面を見つめるだけで、何一つ言葉が出てこなかった……。
思い出させてくれるんじゃなかったのかよ...惚れさせておいて、使い捨てかよ。
ひどい話だぜ。バカみたいじゃないか...ったく
そんな暗い気持ちが長く続いていった。




