惠君との日々(1)
2024年2月15日
あの頃の私は、人と話すのが本当に苦手だった。
病気はまだそこまで重くなかったけど、治る見込みもなくて……気づけばもう半年も休学していた。
このまま一生、病院の中で過ごすのかな――そんなことをぼんやり考えてた。
看護師さんたちがバレンタインの話をしていた。
「チョコをもらった人も幸せだけど、作ってあげる人はもっと幸せなんだって」
そう聞いて、なんとなく目を閉じてみた。
チョコが舌の上でとろける甘さを想像して……でもすぐに笑っちゃった。
だって、私なんかに、誰かにチョコをあげる資格なんて――ないもんね。
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2024年2月16日
今日、新しいボランティアの子が来た。
他の人たちみたいに明るく話しかけてくるわけでもなくて、ずっと黙って掃除をしてた。
なんだか……少し不思議な人。
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2024年2月17日
たぶん、私があまり話さないからだと思う。
向こうから、ぽつりと話しかけてきた。
どうして私に話しかけたのって聞いたら、
「君のほうが、自分より辛そうだったから」って。
彼の名前は、浅川惠。
年も私と同じらしい。
……変な人。
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2024年2月18日
彼が変な折り紙を持ってきた。
「ウサギ」って言ってたけど……どう見ても、クシャクシャの雲にしか見えなかった。
気づいたら、笑ってた。
ほんの少しだけ、声が漏れたくらいなのに、彼の目がぱっと光った。
あんな顔、初めて見た。
――人って、笑うだけで誰かをこんなに嬉しそうにできるんだ。
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2024年2月20日
今日も、あの深い青のボランティアの制服で、彼は静かに廊下を掃除していた。
私は車椅子のまま、病室のガラス越しにその姿を見ていた。
彼の動きはとても静かで、まるで何かを壊さないようにしているみたいだった。
ときどき手を止めて、窓の外の桜の木を見上げている。
――何を考えているんだろう。
ふと、そんなことを思った。
もしかしたら、この人もどこかで立ち止まっているのかもしれない。
私と、同じように。
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2024年2月22日
彼は漫画を持ってきてくれた。タイトルは『HELLO WORLD』。
「退屈だろ?」なんて言って持ってきたのに、気づいたら彼のほうが夢中になってた。 私は横で、彼の表情ばかり見ていた気がする。
笑ったり、眉をひそめたり――忙しい人だな、って。
でも、そんな姿を見ているうちに、
胸の奥が、少しだけあたたかくなっていった。
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2024年2月25日
今日は、私の誕生日。
彼が「バイト先で余ったんだ」って言いながら、
小さな紙箱を差し出してきた。
開けてみると、いちごがのったケーキ。
「千姫、ケーキ好きでしょう?」って、少し照れくさそうに笑ってた。
きっと、看護師さんに聞いたんだろうな。
でも――それでも、うれしかった。
箱を開けた瞬間、ふわっと甘い香りが広がって、
いちごの酸っぱさが、胸の奥にじんと染みた。
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2024年2月28日
最近、午後三時が待ち遠しい。
その時間になると、惠君が来てくれるから。
病室を出て、小さな庭まで車椅子を押してくれる。
風がふわりと吹いて、桜の花びらが膝の上に落ちた。
――春が、私の中にも降ってきたみたいだった。
「桜、好き?」って彼が聞く。
うなずくと、彼は桜を見て、それから少しだけ私のほうを見た。
「きれいだな」って、小さな声で言った。
どっちのことを言ってるのか、わからなかった。
本当……ズルい人
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