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第三十三章

 朝霧に包まれた墓地は、まるで世界から忘れ去られた場所のように静まり返っていた。


 彩花は色あせた桜のヘアピンをそっと手のひらにのせ、花びらのひとひらを指先でなぞった。


「……ここに、置いていいの?」

 小さく問いかけたその声は、風に溶けて静かに流れていった。


 隣で惠が黙ってうなずく。その視線の先には、よく知る名前が刻まれた墓碑があった。


 彼はしゃがみ込み、胸元から小さな布包みを取り出した。中には、この春ふたりで集めた一番綺麗な桜の花びらが入っている。彼はそれをそっと墓前に広げ、花びらを風に乗せるように置いた。


 彩花もそっと膝をつき、色褪せた桜のヘアピンを花びらの中に置いた。

 まるでひとつに溶け合うように――。。


 春風が頬を撫で、淡い花びらがくるくると舞い上がった。

 それはまるで、ふたりの想いにそっと応えるかのようだった。


 彩花の髪には、片方にうさ耳のヘアピン、もう片方に新しい桜のヘアピンが留められていた。

 朝の光を受けて、二つの飾りがやわらかく輝いている。


「……ただいま。」

 惠の声は穏やかで、春の風に溶けていくようだった。

 その言葉は、彩花に向けて――そして、もう届かない千姫にも向けられていた。


 彩花はそっと惠の手を握った。

 指先から伝わる温もりが、彼が今ここにいるという現実を優しく教えてくれる。


 ゆっくりと顔を上げ、涙を滲ませながら微笑んだ。

「おかえりなさい、惠君。」


 惠はその瞳をまっすぐに見つめ返した。

 そこに映っていたのは、過去と未来、そしてふたりが重ねてきたすべての時間だった。


 彼はもう迷わず、彩花の手をしっかりと握り返す。

「今度は、離さないから」


 朝の光が霧を透かし、ふたりの手をやさしく包み込む。

 墓前に置かれた古いヘアピンが、光を受けて静かにきらめいた。


 桜は今年も変わらず咲き誇り――

 そして、ふたりの歩みは、ゆっくりと同じ未来へと続いていく。

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