第二十三章
俺には秘密がある。
それは、知られてはいけない秘密だ。
過去の記憶と今の記憶――そのどちらを選ぶかと問われれば、俺は今を選んだ。つまり、彩花を選んだということだ。
けれど千姫と別れたあのとき、俺は気づいてしまった。自分が千姫に恋心を抱いていたことに。その感情は、あの三日間のデートから生まれたものだった。
俺はその三日間のことも、千姫への想いも、彩花には一言も話していない。
もしあの時、千姫が“恋愛感情なんてない”なんて噓をつかなかったら――今ごろ俺は、間違いなく千姫と……。
だがその嘘と偶然が重なって、俺は彩花に惹かれた。
そして千姫に会いに行く前、俺は心の中で決めていた。彩花を選ぶ、と。
そうじゃなければ、俺は二人の間で揺れる最低な人間になっていたに違いない。
――だから、このことだけは絶対に彩花に知られてはいけない。
目の前でゲーム機をいじっている彩花の、あどけない横顔を見ていると自然と胸が締めつけられる。
もしこの子のためなら、俺は過去を捨てるべきだ。たとえそれが、昔の俺にとって一番大事だったものだとしても。
何かを得るには、何かを捨てなきゃならない。……千姫が言ったように、忘れるほうがいいのかもしれない。
「さっきから何考えてんのよ? ずっと人の顔見て……何かいやらしいことでも考えてるんじゃないでしょうね、この変態先輩!」
彩花がぷくっと頬をふくらませ、ゲーム機で俺の視線を防ぎながら、ちらちらと盗み見してくる。
「別に。ただ、お前の口端になんかついてるなって」
「えっ、うそっ!?」
慌てて口元をぬぐった彩花は、何もないと気づいた瞬間に固まり――次の瞬間、真っ赤な顔で俺の背中を裸足で蹴りまくった。
「純情な美少女を弄ぶなんて、サイテーっ!」
「自分で美少女って言うのかよ」
「いいんじゃん、私美少女だし!」
「いや、“凶暴な美少女”ってつけとけよ」
「なっ……はぁ!? まじ変態先輩のくせにーーっ!」
「このっ、このっ!」と首にしがみついてきた彩花に押し倒され、俺は床に転がされてしまった。軽く取っ組み合いながら笑い合い、やがて二人して力尽きて仰向けになる。
千姫が姿を消してから、もう一週間。彩花には気持ちを打ち明けたけど、まだ正式に付き合ってるってわけじゃない。……でも、周りから見たらもう完全にカップルだろう。
それは俺のほうに原因があった。あの日、彩花に正直な気持ちを話した放課後のこと――
帰り道で、俺は思い切って言った。
「彩花……俺と付き合ってくれないか」
すると彩花は、とても真剣な顔で言う。
「最初に言っとくけどね、いま先輩と付き合うつもりはありません。」
「……え?」
「千姬先輩は、前輩にとってすごく大事な人だったんでしょ? 泣いてた前輩を見れば分かる。そんなにすぐに立ち直れるわけないじゃん。先輩無理するし。……だから、もう少しだけ待ちます。前輩がちゃんと吹っ切れて、もう千姫先輩のことを引きずってないって思える時まで。……ほんとは、私だって早く付き合いたいけど」
そう言って、指先で髪をくるくるいじりながら、恥ずかしそうに顔を赤らめる彩花。
「ありがとう、彩花……」
こんなふうに自分のことを考えてくれる彼女が愛しくて、俺はそっと頭に手を伸ばした。
「だから、その代わりにね――これからはいっぱい一緒にいてよ」
そう言って、彼女は俺の腕をぎゅっと抱きしめてくる。
小さな手の温もりが伝わってくる。きっと、時間が経てば、俺たちは本当に恋人になれるだろう。
やがてチャイムが鳴り、俺たちは名残惜しく手を離した。
「じゃ、放課後は一緒に買い物ね!」
俺と彩花と、そう約束をかわして、二人は教室へ戻っていった。




