第二十二章
落ち着いた頃には、俺と彩花はいつもの屋上に戻っていた。
視界いっぱいに広がる空を見上げと、すごく不思議な気分だ。
ほんの一週間ぶりなのに、彩花とここに来るのはずいぶん久しぶりのように感じた。
「へぇ~、前輩の趣味ってさ、年下の女の子に抱きついて泣くことだったんだ」
彩花はいつもの調子でからかいながら、ポテチの袋を開けた。
一枚をぱくりと口に放り込みーーそのまま残りを俺に押し付けてくる。
「もういいだろう......そのネタ引っ張るな!普通なら、気を遣って触れないだろう!」
俺は頭をかいて、苦笑するしかなかった。
泣いた理由なんて、自分でも分からない。
……ただ、本当は一人で抱え込むのが限界で。
誰かに、隣で支えていてほしかった。
「ふーん、この一週間で何があったのか……前輩から聞かないと彩花は納得しないんだけど」
そう言いながら、彩花は床にぺたりと座り込み、ポッキーをぽきっと折っては口に運ぶ。
視線はあえて遠くを向いているけど、時々ちらちらと俺の様子をうかがっているのが丸わかりだ。
「……俺、彩花に隠しごとをしてた」
罪悪感に喉が詰まりそうになりながらも、千姫を見送りに行ったことを打ち明けようとする。
「千姫とのことなんだけど......」
「ふぅん。先輩は千姫先輩と......彩花に隠れて、後ろめたことでもしたの?」
彩花の声は淡々としているけど、手を持つポッキーが小さく震えていた。
「……ほんの少しだけ。……手を握ったり、抱きしめたりは……」
正直に打ち明けると、彩花は咥えていたポッキーを勢いよく噛み切り、そのまま顔をぐいっと近づけてきた。
目尻が赤く滲んでいて、今にも泣き出しそうなのが分かる。
「ど、どうして……どうして前輩がそんなことするんですか!」
怒っているはずなのに、声は震えていて、涙を必死にこらえているのが伝わってきた。
「彼女は留学に行くから……最後のお別れで」
俺は目を閉じて、裁きを待った。
「……そうなんだ。それなら、仕方がないかもしれません.......許してあげます」
返ってきた声は意外なほど軽かった。けれど、開いた目に映った彩花は、もう元の場所に戻って膝を抱えて小さく丸まっていた。
――その背中が、どこか寂しそうに見えた。
「キスとか……してないよね……」
「してない……」
「そう……」
彩花は小さく呟くと、顔を膝にうずめてしまった。
その背中がわずかに震えているのが見えて、胸が痛む。
しばらくの沈黙のあと、小さな声で膝の中から漏れてきた。
「……でもね、やっぱりムカつくんだよ。だから――罰!」
顔を真っ赤にしたまま、彩花は勢いよく顔を上げてこっちを睨んでくる。
「授業始まるまでずっと、手を握って、抱きしめて......ください!」
言った途端に勢いをなくし、ぱたんと顔を膝に埋める。肩まで小さく震えていて、耳の先まで真っ赤だった。
「……分かった」
口に出すと同時に胸がどきりとする。俺は彩花の背後に回り、そっと腕を回した。小さな手を握ると、彩花の肩がびくんと震える。
「な、なんか……前輩の抱き方、いやらしいんだけど!」
真っ赤になって抗議する彩花が勢いよく振り向いたせいで、俺は体勢を崩し、そのまま二人で床に倒れ込んでしまった。
「いった……」
床に背中を打ちつけた衝撃に顔をしかめる。
気づけば、彩花がそのまま俺の胸に倒れ込んでいて――まるで寄り添う新婚夫婦の朝みたいな体勢になっていた。
「ちょっ、先輩!なにやってんの!」
彩花は真っ赤になりながらも動かず、俺の視線を避けるように顔を伏せている。
慌てて手を離そうとするが、彼女はぎゅっと掴んだまま、まるで「離したくない」とでも言うように握り返してきた。
「……もう少し、このまま。こうしてれば、千姫先輩よりも彩花のほうが近いでしょ。だから……彩花の勝ち」
耳元で囁かれた小さな声に、胸がぎゅっと締め付けられる。
俺は素直に、この一週間に起きたことを包み隠さず語り始めた。
彩花は最後まで黙って聞いていて――話し終えると、俺の手に軽く噛みつき、そのまま強く抱きしめてきた。
「……分かってるよ。前輩は三年間の記憶を失ってるから、千姫先輩に特別な感情を抱いてることくらい。
それに、千姫先輩だって、まだ前輩のことを好きに見える。
だから前輩が見送りに行きたい気持ちもわかるよ。……でもね、何も言わずに行ったのは、本当にむかつくんだ」
いつもは素っ気なく、強がりな彩花が、このときばかりは本気の声を出していた。
「……私は前輩の彼女じゃないけど。
でも、それでも一言くらい言ってほしかった。……こんなふうに思うの、彩花のワガママなのかな」
そう呟いたとき、彩花の顔には珍しく、不安そうな影が差していた。
「ごめん……」
俺は彩花の頭をそっと撫でながら謝った。
「次は絶対に教えて。じゃなきゃ、ほんとに怒るからね」
彩花は小さな拳を振り上げ、威勢よく見せる。
けれど、その拳はすぐに力を失って――不安そうな瞳で俺を見上げてきた。
「……前輩にとって、千姫先輩って、どんな存在なの?」
「千姫は……大切な人だよ。でも、それは恋愛の意味じゃない」
気づけば、本音が口からこぼれていた。
「今の俺がこうして生きられてるのは、彩花のおかげなんだ。俺に、真剣に向き合う勇気をくれたのも彩花だ。そしてい俺を支えてくれたのも彩花だ。」
言葉が止まらない。胸の奥に積もっていた想いが溢れ出す。
「俺は……彩花の率直なところが好きだ。不器用なところも、ツンデレも、ワガママも好きだ。
怒ったときに頬をふくらませる顔も、すぐ拳や蹴りを飛ばしてくるところも……そんな全部が好きなんだ。」
一度息を呑み、しっかりと彼女を見つめた。
「それに――頼ってくれるのも嬉しい。
一緒に出かけるのも楽しい。隣にいられるだけで幸せなんだ。
だから……俺は彩花が好きだ。全部ひっくるめて、彩花という存在そのものが好きなんだ。」
「……ぜんぶ、好きなんだ」
「や、やめてっ! なんで先輩がそんな恥ずかしいことを平気で言えるのよ! 自分がツンデレだとか、怒ったときにぷくっとする顔だとか、私に蹴られるのが好きだとか……マジでありえないんだけど! バカ前輩、変態! 今すぐSNSに拡散してやるからね!」
彩花は慌ててスマホを取り出し、指先を震わせながら猛スピードで入力を始める。
「ちょっ、それだけは勘弁してくれ!」
そんなスマホを奪い合う中で、屋上を渡る風が、いつもより少しだけ心地よく感じられた。




