第二章
教室の窓から射し込む光が机の上に広がり、昼休みの空気はお弁当の匂いでいっぱいだった。
みんなが楽しそうにお弁当を広げる中、僕だけがぼんやりとノートを開いたまま、ペンを握って動かせずにいた。
まるで自分だけが、ここに居場所を持たない部外者みたいだ。
そのとき、背中をドンッと叩かれた。
「うわっ!」
驚いて振り返ると、月がニヤニヤしながら立っていた。
「お前さ、また変なこと考えてただろ?」
「べ、別に……。ただ、現実味がないんだよ。三年間の記憶がごっそり抜け落ちたみたいで、どこかのラノベかと思って」
僕が苦笑いを浮かべると、月は肩をすくめて机に肘をついた。
「まあ無理もねーよな。でも、千姫がお前の彼女ってのは本当だからな」
月の視線につられて、前の席にいる千姫へ目をやる。
彼女は友達と談笑していて、その柔らかい笑顔はまるで春の陽射しみたいに周囲を包んでいた。
立ち振る舞いも丁寧で、自然と人を安心させる。
ふいに、千姫がこちらを振り返り、優しく微笑んだ。
僕は慌ててぎこちない笑顔を返した。
「月、千姫って、やっぱり学校でも目立ってるよな。こんなに可愛い子が、僕の彼女だなんて、信じられないよ。」
「お前が階段から落ちたときな、千姫マジで泣き崩れそうだったんだぞ。救急車の中でもお前の名前を叫んで、必死だった」
その光景を想像すると、胸の奥が妙にざわついた。
一緒に退院まで付き合ってくれた彼女の言葉を思い出す。
『けいくんは私とのこと何も思い出せないんだよね。だから、彼氏だなんて思わなくても大丈夫なのよ。私も気持ちを押しつけたりしないから。負担に思わいでほしいなぁ、ゆっくり回復してね』
あの優しい声。
どこか切ないような、でも強い意志を感じさせるものだった。
「……やっぱり千姫と、ちゃんと話すべきだよな」
「おう、それが正解だ」
月は僕の背中をバシンと叩いて、自分の席へ戻っていった。
その日の授業は、結局ほとんど頭に入らなかった。
放課後。
僕は意を決して千姫にメッセージを送った。
《放課後、図書室で会えないかな》
返ってきた返信は——
《いいよっ(≧∇≦)》
夕陽の光が差し込む図書室。
本棚の影が長く伸び、静かな空気の中に紙とインクの匂いが漂っている。
窓際の席に座った僕は、本を開いたまま全然内容が頭に入らなかった。
脳裏をよぎるのは、教室での千姫の笑顔と、月の言葉ばかり。
「けいくん、待った?」
背後から優しい声が響き、振り返る。
そこには、数冊の本を抱えた千姫が立っていた。
長い髪が夕陽に照らされ、金色に輝いて見える。
「ううん、いま来たとこ」
彼女は頷き、僕の向かいに腰を下ろした。
その仕草は優雅で落ち着いているけれど、瞳の奥にはわずかな不安が揺れていた。
「もしかして……記憶のこと?」
「……ああ」
僕は深く息を吸い、言葉を続けた。
「月から聞いたんだ。僕たちが高一から付き合ってて、高三まで一緒だったって。でも僕には、その記憶がひとつもない。どう接していいのかも分からなくて」
一瞬、千姫の表情が固まる。
けれどすぐに穏やかな笑顔に戻り、視線を伏せて言った。
「けいくん、大丈夫だよ。自分を思いつめないの。言ったでしょう、私は自分の気持ちをけいくんに押し付けるつもりはないの。辛いなら思い出そうとしなくてもいいから」
「でも……いろいろ知りたい。千姫さんのことも、自分のことも、二人の...」
言葉が詰まる僕に、千姫はそっと手を伸ばし、頭を撫でてきた。
その優しさに、胸のざわつきが少しずつ和らいでいく。
「こうしてると、なんだか立場が逆みたい。……今の私は、お姉さんだから」
「えっ? お姉さん?」
「ふふっ、深い意味はないよ。けいくんが三年間の記憶も忘れて、いまは中三のけいくんじゃない?」
「そういえば、そうだったね」
「だから年上なの。けいくんにさん付けされるとか、本当に傷つくんだから、せめてお姉さんで~」
「……元カノが自分で『お姉さん呼べ』って言うのかよ」
思わず二人で笑い合った。
夕陽に包まれた図書室が、少し温かく感じられた。
「けいくん。ひとつお願いしてもいい?」
「お願い?」
「明後日から三日間……私の彼氏を演じてほしいの」
千姫が急に顔を近づけさせ、息がかかる距離で、自分を見つめた。
鼓動が思わず速くなり、視線を逸らしたくなる。
「そ、そうしたら……僕の記憶が戻るの?」
「そうすれば自然に思い出せるんじゃないかな?それに、けいくん知りたかったじゃない? 私たちがどんな時間を過ごしてきたことを」
千姫は少し得意げに微笑んで見せた。
「言葉よりも、実際に体験する方が早いでしょ?」




