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第十五章

 深夜、僕は真っ暗な部屋で一人、ベッドに寝転がっていた。両手で頭を支え、視線は天井の一点を見つめていた。部屋で聞こえるのは時計の「チクタク…」という音だけ。その音が絶え間なく時間の流れを告げていた。


 頭の中に、夕方に彩花から言われた言葉が響いてきた。


「ねえ、先輩、私はこれからも先輩と一緒にいたい。一緒にいて欲しい。過去のことは大事だと思うけど、今も同じくらい大事だと思う。先輩はそうは思いませんか?」


 でも、僕は本当にこのまま彩花と一緒にいていいのだろうか……。


 月に言われた言葉も、頭の中にこだまする。


「記憶を失くす前にお前が一番好きだったのは間違いなく千姫なんだ。もしいつか記憶が戻ったら、そのときお前はどうするんだ?」


 僕は手を伸ばし、天井に触れようとして、ぽつりと呟いた。


「僕はいったい誰のことが本当に好きなんだ……。優柔不断な僕は、本当に情けない。」


 ひと月前の色んな光景が、ふと目の前に浮かんできた。


 教室にいる時とは少し違う様子で、いたずらっぽく優しく笑ってくれた千姫の可愛さ。


 アイスクリームが食べたくて、甘えて僕と言い合いをする千姫の子供っぽさ。


 夏祭りの金魚すくいの屋台の前では、自分のそそっかしさにせっかくすくい上げた金魚を逃して、泣きそうになる千姫の女の子っぽさ。


 花火の下では、どこか寂しげな表情で「もし毎日が今日みたいに続けばいいな」とつぶやいてた千姫の姿。


 そして一緒に海に行って、観覧車を乗った最後の日。千姫のどこかに、孤独と悲しみ、そしてわずかな決意が滲み出しているようだった。


 どれも心を引き寄せるものであり、その記憶は今でも鮮明に残っている。たったの三日間で僕は徐々に千姫のことを好きになっていた。しかし後になって突然「別れましょう」と告げられたんだ。


 理由として、記憶を忘れた自分に恋愛感情がないって言われたけど。そうではない気がする。でも、本当の理由を聞くのが怖い。以前のネット恋愛の経験のせいでトラウマになって、しつこく付き纏うのはすごく気が引けるから、彼女と面と向かうことを避けるようにしてきたけど、本当は別れる理由を聞きたくてしょうがなかった。


 僕は千姫にもっと近づきたいと思っていたし、千姫のことをもっと知りたい、忘れた過去のこともちゃんと知りたいと思っていた。


 もし病院で僕に寄り添ってくれたのが千姫でなければ、三日間のデートなんてなかったら、僕はそんなこと知ろうとしないだろう。


 でも、僕らはもう知り合ってしまった。過去と無数に絡み合うその少女に、僕はもう無関心でいることなんてできない。もう、卑屈になって逃げ回る自分にはうんざりだ!


 そして、千姫に拒絶した僕は、彩花と出会った。


 彩花がそばにいてくれたおかげで、千姫に振られた失恋の痛みからすぐに立ち直ることができた。彩花は初恋(つまりネット恋愛の相手)と瓜二つの少女で、その豊かな表情が次々と思い浮かんできた。


 自己中心でわがままな性格なのに、なぜか憎めない。一ヶ月以上にわたって毎日、校舎の屋上で何もせずに過ごした日々は、いつの間にか僕の心を満たしていた。彩花が頬にキスした瞬間、胸が高鳴っていた。彩花となら、これからもたくさんの思い出を積み重ねられる気がしていた。


 もし千姫との三年間の付き合いが過去だとしたら、三日間のデートはその過去を濃縮したようなものだった。千姫と僕の3年間の時間を縮めたような三日間は、この上なく幸せな夢のようだった。


 一方で、彩花と過ごしたあれこれの時間は紛れもなく現実だった。彩花は僕をその夢から呼び覚ましてくれる存在で、この一ヶ月間の時間こそが本当に「僕」自身のものなんだと感じていた。


 今の僕が間違いなく彩花のことを好きなのは自覚している。でも千姫は何かを隠しているようだ。それもほっておくことができない。千姫は、記憶を失う前の僕が好きだった相手であると同時に、記憶を失ってからの僕が最初に好きになった相手でもある。僕はまだそんな彼女を引きずっているんだ。


 だから、まだ彩花と付き合うことができない。千姫を引きずったままじゃ、彩花に向き合えないからだ。この記憶を取り戻すことは、彩花に対しても千姫に対しても、そして僕自身に対しても必要なことだ。


 千姫が時折見せるあの寂しげな表情を思い出すたび、僕はもうただ「今」だけを生きることはできなかった。


 天井に伸ばしていた手を強く握りしめ、心の奥で静かに誓った。――僕はもう逃げない

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