第十三章
「いててて……あいつ、本気で殴りやがって。何だよ、いきなり怒りやがって……」痛む頬を押さえながら、俺はよろよろと立ち上がった。ちょうどその時、タタタッと駆け寄ってくる足音が聞こえ、目を細めて見ると、彩花が慌てて走ってきた。
彩花はすぐに俺の体を支え、焦った声を上げた。「先輩大丈夫?」
彼女は俺の腕を支えながら、痛ましそうな表情で見上げてきた。ポケットからハンカチを取り出し、いつもの乱暴さが嘘のように優しい手つきで、そっと俺の頬を拭ってくれる。
「平気平気。友達とちょっとふざけてただけだよ。少し相手が本気になりすぎただけ。」俺は無理に笑ってみせた。
「友達なわけないでしょ。友達なら殴ったりしないんだから。」彩花は眉をきりっと寄せて憤慨する。「今すぐ仕返ししてやるんだからね!…って、何よ、もうあんな遠くに行っちゃってるし」と悔しそうに拳を握りしめた。
「本当に大丈夫だ。転んだ時にちょっと擦りむいただけだから。」そう言って、俺は支えられていた腕をそっと下ろそうとした。だが彩花はそれを許さず、逆にぎゅっと掴んできた。
「じゃあ、私が先輩の家まで行ってちゃんと消毒してあげます。」彩花は心配そうに自分を見てる。
俺は黙って頷いた。ふと視線を上げると、少し離れた場所に見覚えのある人影が静かに立っているのに気づいた。
千姫がこちらをじっと見つめて佇んでいたのだ。手には数冊の本を抱えており、その指先は血の気が引いたように白い。彼女の表情は複雑で、その瞳は薄い霧がかかったように感情を読み取ることができない。
彼女は唇をきゅっと嚙みしめ、今にもこちらへ歩み出そうとしていたが、俺の隣に彩花がいるのを見ると、まるで見えない力によって、足を止められたかのように動かなくなってしまった。
彼女はそのまま足早く去っていった。その背中はどこか頼りなく寂しげで……それでいて強い決意が感じられた。
俺は思わず手を伸ばし、声を上げようとした。しかし喉に小骨が刺さったみたいに声が出ない。
「先輩、どうしたの?」彩花が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「……何でもない。彩花、行こう。」俺は彩花に軽く声をかけ、その場から歩き出した。
その日の夕陽は、俺たちの影をひときわ長く伸ばしていた。




