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第2話 左遷ですか?

「貴女にいいお話です。次の組織改定で清牙(セイガ)様の警護担当に任命されます」


 あれから三日、上司で将軍補佐たる上羅から穏やかに告げられたそれに優里は言葉に詰まった。

 清牙とは、国主の腹違いの弟の名前である。

 それは━━

 王弟の警護担当と言えば聞こえは良いが、三十手前の王弟は病弱で田舎で二十年近くも静養している。


 優里は将軍の娘ではあるが、「家名に頼ることなかれ」という徹底した家訓により特別視される事を良しとせず、その扱いは優里の直属の上司たる上羅に一任されている。

 よって動揺しながらも「左遷ですか」と努めて冷静を取り繕って確認した。


 本来は大変な名誉であり、誰もがうらやむであろう大出世である。にもかかわらず優里がそう確認したのは王弟の身の上にある。

 この国の人間は九割以上が黒髪である。残り一割は北方の血が混じった茶系統の髪を持つ。王族が皆、黒髪であるなか王弟 清牙は茶色の髪持って生まれた。

 後宮内での不義は不可能に近い。それでも当然血を疑われた清牙は、上羅の実家に預けられそこで育った。


 上羅の実家は国の最北端に位置する森県を治めている貴族だ。そこは茶系の髪が中央より多い。

 もはや死んでも構わないという扱いで、これまで清牙が王城に戻ることは一度もなかったはずだ。

 だから左遷かと優里は単刀直入に確認したのだが━━


「いいえ。異動です」

 上羅はいつもの笑顔のままだ。

 だからこそ理解した。

 どういい繕おうと、嘆願しようとこれは覆る事はないと。

 しまったと優里は思う。

 時期は思っていた以上に早急に訪れた。


 いずれ自分は排除されるだろうとは思っていたし、もとよりそのつもりだった。しかしまさかこんなにも早くこの日が訪れようとは。

 それとも、ちょうどいいとばかりにあの失言を利用されて時期を早めたのか。

 口は禍の元。

 失言を悔いるとともに「それでも」と思う。

 いずれ来るべきこの日がここまで早まったのは、見方を変えれば歓迎すべきことではないか。


 女性の兵役制度の廃止。

 その為には軍の上層部に自分がいる事は望ましいことではないだろう。

 もっと体制を整えてから現場を離れたいというのが正直なところではあるが、先見の明のある聡明で権力のある人物が動き出したのだろう━━


 などと目まぐるしく感傷的に殊勝な事を考えていた彼女に、笑顔の上官は口を開く。

「貴女が最適だと判断しました。期間はとりあえずふた月。いつもの『査察および配属先の要望調査』という名目で様子を見るというのはどうかしら。先方の情報は父君に預けています」

 笑顔の上司から発せられたその一言で、優里の本能は刺激されると同時に本質たる部分が呼び覚まされた。

 それまでも模範的な姿勢を保っていたが一層姿勢を正し、まっすぐな強いまなざしで上官を見つめて頷く。


「かしこまりました。謹んで拝命いたします」

 手のひらに拳を当て掲げ、頭を垂れる武人の礼を取ったのはもはや反射だ。上司からの密命に高揚する気分を抑えつけながら、優里は退席したのだった。


 際立って頭がいいとは言えないが、勘の良さは他を圧倒し、実戦では野性味を帯びて本能で正確かつ的確に動く事の出来る優秀な部下たる優里の様子を見ながら上司たる上羅は切に願う。

 どうかこの縁談が上手く行きますように、と━━


 部下を正当に評価する反面、この上司は一つだけ甘く考えていた。優秀な上羅がそれを忘れていたわけではない。部下のそれが常軌を逸していたのだ。

 自慢の部下の勘は荒事だけに働き、色恋の類には全くといっていいほど反応しないというとんだ我楽多(ポンコツ)であることを。


 *


 普段は女性兵の官舎にて生活している優里が自宅に戻るのは久し振りの事だった。戻るなり軍の将軍を務める父親の居室を尋ねる。


「申し訳ありません、父上。この度の一件はすべて私の不徳の致すところであります。かくなる上は赴任先で精進し、家名に恥じぬ働きを」

 見上げるほどに背が高く、逞しい体躯。豊かな髭と目元に走る刀傷が見る者をさらに怯えさせる岳将軍は娘のこれ見よがしな演技にくっと笑った。


「そんな堅苦しい言葉はなしだ、優里」

 武人の礼を取り頭を垂れたまま告げるつらつらと述べる優里を父は言葉で遮る。

 娘の道化を笑いながらも父のその表情は心なしかこわばっており、顔を上げた優里はやはり重大な任務かと緊張した。上羅から聞いた通り、話は通っているらしい。


「こちらから情報を得るよう申し遣っております」

 改めて固い口調で優里は標的となる人間の情報を求めた。

 直属の上司からではなく、将軍である父親を介するなどというこんなまどろっこしいやり方が取られたのは秘密保持のため、そして標的の情報の精査を父に依頼する目的があったのだろう。


 難しい表情を浮かべた父は執務机の脇に置かれた竹簡を見やる。やっと手にしたかと思えば、なお手の中の竹簡を見つめるその表情に、優里は戸惑った。

 父が情報の開示を躊躇している。


 それほどの相手なのか。

 優里が緊張して父の判断を待つ中、やがて父は何か大きな決断を果たしたように息を吐いた。


「お前は己の信念のまま判断するがよい。この父がその全責任を負ってやる。どうせ曽祖父の代の功績で成り上がった、戦うしか能がない武勲一家だ。没落し追放されたところで我らはどんな荒野でも生きていけるというものだ」

「父上……ッ」

 あまりに重い処分に優里は愕然とする。同時に己の浅はかな言動が契機になったであろうに、鼓舞するように寛大に言う父の器に優里は打ち震えた。


 岳家の起源は山賊である。国の東の国境に位置する山岳地帯にて古くから山賊行為を行っていたが近代では通行する商人や旅人から通行料を徴収し、道案内や護衛を生業としていた。

 現当主の曽祖父、つまり優里の「ひいひいおじいちゃん」が東の隣国からの侵略を返り討ちにした際、当時の国主に惚れこまれ頼み込まれて「岳」の名を与えられ仕官したのちあれよあれよという間に将軍の位に就いてしまった。

 よって「家の名誉」といった考えはこの一族にはない。


 会ってみて嫌だったら、家の事なんか気にせず断っていいからね。

 責任はお父さんが取るから、心配しないでいいからね。

 お家取り潰しになったってウチ、みんな逞しいから平気だし。もともとは田舎出身のちょっと大きな家だったわけだし。

 こんな事ぐらいじゃ我が家の家訓は揺るがないし。いくらだって方法あるし。

 父はそう言ったつもりだったのだが━━


 幼少の頃から男兄弟達と区別することもなく「敵の総大将の首を掲げる女武将」になるべく育てられ、素質も適正も見事なまでに有していたが為十四でこっそりと他国へ『武者修行』とばかりに留学してきた女は確固たる意志をもって決意した。


「この任務、必ずや成し遂げて見せましょう」


 決意のみなぎる真っ直ぐな瞳は父譲りだと言われる愛娘。

 その視線を受けて父は思う。

 いや、うん、だからね、嫌だったら帰って来ていいから。

「一度自身の目で見んことには判断もつかんだろう。だが……」

 これまで父の言い淀む姿など見た事のない優里は続けられる言葉を緊張しながら待つ。


「手に余ると思ったのならば、すぐに報告するように」

 父のその発言に優里は大きな衝撃を覚えた。これまで己の任務はなんとしても完遂する事を教えられてきたというのに、それを反故にするような発言ではないか。


 そもそもこの父親を筆頭に優里の二人の兄も軍の要職に就いており、優里自身も所業に何かと問題ありとされているが教官としての素質も技量も認められている。

 当の本人たちは「一つの家にこんなに権力を集中させてうかつな事を」と呆れてはいるが、国にとって岳家は切り捨てる事など出来ない存在である。

 そこまで重用されながら、国に背いてもいいと言う。


 一体どれほどの問題なのだろうと、緊張から自然と喉が鳴るとともにその瞳は闘志の火が(おこ)る。

 親子はしっかりと目を合わせ強い意志を確認するように頷きあった。


 父は思う。

 本当は会わせるまでもなく断ってしまいたいのだ。

 自分の血を見事なまでに受け継いだ娘を溺愛する父は娘の覚悟した姿に感銘し、頷きながらもその厳つい顔に反し内心涙目であった。

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