8 黒蜜、初めてスキルを使う
【カトンの術】......漢字で表記すれば火遁の術。
それは本来、我々の世界においては、忍者が遁走する際に使用したという火を使った技術のことだ。
決して、魔法のように火を操る超自然の能力ではない。
だがしかし黒蜜の住む世界はローファンタジー世界なので、事情が異なる。
黒蜜の世界の『忍者』たちの操る【カトンの術】は、魔力を使用した魔法攻撃に類するスキルである。
魔力で炎の壁を作ったり、炎の球を飛ばしたりして敵を攻撃する......それがこの世界の【カトンの術】なのだ。
さて翻って、黒蜜が習得した【フトンの術】とは、何か?
その正体を......少なくとも黒蜜は知らなかった。
何せ、『にんじゃ(笑)』の時点で、その詳細のわからぬ新ロールである。
独特なスキルを習得しても、おかしくはないだろう。
しかし、だ。
そのロールをプレイしなくてはならない黒蜜としては、未知のスキルとは非常に厄介な代物である。
それを、どのように戦闘に組み入れるのか?
一から試行錯誤しなくてはならないからだ。
だが、腕を組み頭を捻りながらも、黒蜜は非常にワクワクしていた。
先程までとは違う意味で心臓が高鳴り、気分が高揚する!
だって、【フトンの術】は......彼女オリジナルのスキルである可能性が、非常に高い!
オリジナルスキルを使用して戦う、女子高生『忍者』......それは何かこう、とても、恰好良い!
地を駆け天を飛び何か不思議な力で魔物と戦い人々を救う、そんな自分の姿を妄想しながら......黒蜜は興奮した。
「ギゲギャ、ギゲゲハハ!」
するとそんな黒蜜のもとに、霧をかき分け不快な笑い声をあげながら、新たな小鬼が現れた。
先程の戦闘では、かなり音を立てた。
それを聞いて寄って来たのだろう。
黒蜜は反射的に運動靴を構え、戦闘姿勢をとった所で......はっと気づき、その運動靴を放り投げた。
ここは新スキル【フトンの術】を試すべき場面だと、判断したのだ!
運動靴を放り投げた黒蜜は“ロールの導き”に身を任せ、両手を素早く動かし......いくつかの印を結んだ。
ロールの導きとは、例えば初心者『魔法使い』が、誰に教わらずとも魔法の詠唱を思い浮かべることができる現象のことである。
『にんじゃ(笑)』にとっての詠唱が印を結ぶことに相当するようで、どうやら黒蜜は印を結ぶことでスキルを使用することができるらしかった。
【フトンの術】!
いくつか、『忍者』っぽく素早く手を動かして印を結んでから、最後に黒蜜はスキルの発動を念じた。
すると、どうだ!
ボフンという音、そして少しの煙と共に......黒蜜の目の前にお布団が出現したではないか!
敷布団も掛け布団も、どちらもフカフカで柔らか、暖かで気持ちが良さそうだ!
これが、【フトンの術】!?
慌ててステータス画面を確認すると、スキル【フトンの術】の横に表示された(1/1)という謎の数字が(0/1)に変化している。
どうやら左の数字が現在使用可能なお布団の数、そして右の数字がお布団の最大ストック数らしい。
つまり【フトンの術】とは......お布団を呼び寄せる“召喚術”!
召喚術は稀に確認されはするものの非常にレアなスキルだぞ!
凄い!
黒蜜は『忍者』らしく、この布団を使って!
......どうすれと!?
黒蜜は、再び頭を抱えた!
ダンジョンでお布団を召喚して、どう戦うんだよ!
お布団なんか召喚しても、クオリティ・オブ・ライフしか改善しないよ!
脳内で無数のつっこみを繰り返しながら、黒蜜はジタバタと地団駄を踏んで暴れた。
......しかし、である!
「グギャアーーー......?」
お布団を前にした小鬼の様子が、おかしい!
魔物の宿敵たる人間、黒蜜のことなど目もくれず、その視線の先は突如として出現したフカフカのお布団に釘付けになっている。
そして!
「ギ、ギギャア......」
呆けた声を出し、その眼をトロンと眠そうにしながら......小鬼はフラフラと、お布団へと吸い寄せられていく。
そして、黒蜜が混乱しながらも観察するその前で、掛け布団をめくると......小鬼はお布団の中に滑りこみ、その中で仰向けになってイビキをかき始めたではないか!
それと同時に、黒蜜の脳内に『8:00:00』という数字が出現し、それが猛然と減り始める。
つまり、その数字は時間を表している。
......お布団に包まれた小鬼が、目覚めるまでの時間が!
8時間......睡眠!
黒蜜は......この一連の流れを見て、ゴクリと唾を飲みこんだ。
この、【フトンの術】......どんな相手に効くのか、検証は必要ではあるが。
実はそれなりに......強力なスキルなのでは?
強制的に敵を一体、戦線離脱させることができるのだ。
布団が現れた時の、あの小鬼の、布団にしか視線が向いていない状態も、馬鹿にできない。
使い方によっては......色々なことが、できるだろう。
黒蜜は、【フトンの術】の可能性について様々に思いを巡らせ、そして最後に......いずれにせよ避けることのできない、そのビジュアルの間抜けさに、ちょっと萎えた。
さて、ともかく、である。
【フトンの術】の活用方法についてはおいおい検証することにして、その前に一つ......黒蜜にはすべきことがある。
それは、彼女の目の前で爆睡するこの小鬼を、倒すことだ。
黒蜜は無言のままに運動靴を拾い上げ、それを天高く掲げて......一旦それを、おろした。
このまま一撃、小鬼をぶん殴ったとしよう。
するとこの小鬼は、【フトンの術】の支配下にあるとは言え、流石に目を覚まし、暴れ出すだろう。
黒蜜は不思議と、それを直感で理解した。
もっと『忍者』らしくスマートに、敵を眠らせたまま倒すことはできないのか?
黒蜜は少しだけ考えてから......彼女の愛用の、それなりに履きこんで薄汚れた運動靴の、足を挿入する穴、即ち履き口を。
そっと......寝ている小鬼の鼻と口に、押し当てた。
「グ、ゲ......?グギョバアアーーーーーーッ!?」
すると、小鬼は突如として血走ったその両目を見開いて絶叫!
白目をむいて泡を吹き、顔色を真っ青にしながらしばらく痙攣してから......その全身を魔力の靄と魔石とに変じて、死んだ。
......凄まじい、効果である。
ロール『にんじゃ(笑)』のステータス補正は。
黒蜜の足の臭いを......恐るべき劇物へと、変えたのだ......。
黒蜜は、自分の手にした力の強力さに、高揚しながらも慄き......。
乙女心に......それなりの、傷を負った。