6 原石
というわけで、ハンナの教育は彼にまともな生活環境を与えることからスタートした。
部屋を綺麗に掃除し、離宮の護衛をしている衛兵を通じてサイズの合った衣服も用意させた。
彼の食事にも要望を出したものの、改善の兆しが見えないので、ハンナは自ら食事やおやつを差し入れた。
「今日はサンドイッチとスコーンを持ってきました。スコーンはですね、木苺のジャムをのせて食べるのがオススメです」
さっくりと焼きあがっているスコーンを半分に割り、片方をエリオットに渡す。彼はハンナのアドバイスどおりにジャムを乗せ、大きく開けた口のなかに放り込む。ひとつ、もうひとつと、スコーンはあっという間に消えていった。
「よかった。お気に召してくださったんですね」
ハンナはふふっと口元をほころばせる。彼の反応はとても素直で、好みに合ったものだと食べるペースが早い。
甘いものは大好きで、酸味の強い味は少し苦手のようだ。
まったく感想はもらえないけれど、この気持ちのよい食べっぷりを見られるだけでも早起きして作ってきた甲斐がある。
(食事の差し入れをはじめて一週間。少し顔色がよくなってきたのではないかしら)
彼が少し視線をあげる。サファイアの瞳がまっすぐにハンナを見つめた。
(うふふ。肌艶がよくなると、美しい瞳がますます際立ちますね)
「これ、おいしい」
残りひと口になったスコーンを片手に、エリオットがぽつりとつぶやいた。
(は、初めて! 感想を聞かせてくださった)
「本当ですか? では、またスコーンを焼いてきますね。今度はバターのクリームを添えましょうか」
ウキウキと答えるハンナに、彼はこくりとうなずく。
「これだけじゃない。ハンナの持ってくるものは、これまで食べたことがないくらいおいしい。こんなにうまいものを作れるなんて、君は料理の才能があるんだな」
「……ありがとうございます」
褒められた嬉しさの奥で、かすかに胸が痛む。
ハンナの料理の腕は至って普通だ。たしかに貴族女性としてはできるほうだが、彼に差し入れる料理は簡単なものばかりで、謙遜ではなく誇るような品ではない。
(この普通の食事がとびきりおいしいと思ってしまうほど……これまでの彼の食事は寂しいものだったんだわ)
問題は味そのものではないと思う。あのカビくさい部屋でひとりきりで食べていたら、どんなに素晴らしい料理だっておいしさが半減してしまうだろう。
「……俺はなにも返せなくて、申し訳ない」
苦しそうに絞り出した声で、彼はそんなふうに言った。
「いいえ! お返しはもらっていますよ」
ハンナが答えると、エリオットは不思議そうに小首をかしげる。
「殿下が喜んでくれること、元気になってくれることがなによりのプレゼントですから」
その言葉に嘘はなかった。
ハンナは花を育てたり、一枚の布からドレスを仕立てたりと、手をかけてなにかを生み出すことが好きだった。
エリオットは原石だ。磨けば磨くほど、輝き出す。ワクワクしないはずがない。
「殿下との楽しい時間を、いただいています」
ハンナの言葉にエリオットは目を見開く。その大きな目がゆっくりと、優しい弧を描いた。
はにかむような笑顔はとびきり瑞々しくて、清涼な風が吹いたようだ。