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5 不遇王子と教育係

久し振りの更新になってしましました。

 自分の人生は地味で平凡。でも、そんなささやかな日々をハンナは心から愛していた。


 二十歳を迎えたばかりのとある日、そんな日常に少しだけ特別なことが起きた。


 母であるサラヴァン子爵夫人が「話があるの」とハンナを応接間に呼ぶ。


 ようやく縁談が決まったのだろう。ハンナはそう確信すると同時に、ホッと胸を撫でおろした。なぜなら、自分がやや〝行き遅れ〟である自覚は持っていたから。


 ところが、母の話は寝耳に水の、まったく想定もしていなかった内容だった。


「王子殿下の教育係……を私が?」


 なにかの聞き違いとしか思えず、ハンナはパチパチと目を瞬く。母は困ったような、弱ったような顔で話を続ける。


「えぇ、そうなのよ。第四王子のエリオット殿下の教育係が決まらず……困っているみたいでね」

「えぇっと、教育係は上級貴族の令嬢たちにすごく人気の職だと聞いた覚えがありますけど」


 貴族令嬢が務める教育係とは、ある意味で世間知らずの王子に社交界での処世術を教えるのが役目だ。ダンスや夜会でのマナー、そしてもっとも重要なのが〝女性の扱い方〟。噛み砕いた言い方をすれば、恋愛指南といったところだろうか。


 教育係の令嬢がそのまま妃になるケースはほぼないが、貴族としては王子と親しくなって損はない。どこの貴族も「ぜひ我が娘を教育係に」と売り込む……という話だったはず。


「それは、ほら、第四王子さまだから」


 やや言いづらそうに母は続ける。


 最後まで聞かずとも、言いたいことは理解できた。


 第四王子、エリオット・カーミレスは、『不遇王子』のあだ名どおり立場も権力も弱かった。実母は王宮の下働きをしていた下級貴族。彼女を遊び相手に選んだのは国王陛下なのに、社交界は彼女をひどく罵倒した。


『身の程知らずの売女』『王宮に紛れ込んだ娼婦』『若さしか取り柄のない無教養女』


 ごく普通の娘だった彼女の心には重い負荷がかかったのだろう。


 エリオットを産み落とすとすぐに、病で亡くなってしまった。


 オスワルト王国には、すでに正妃が産んだ三人の健康な男児がおり、全員が美貌・知性・武勇・魔力のすべてを兼ね備えた完璧な王子であった。


 対するエリオットはなにも持ってはいない。とくに……王族でありながら、魔力が発現する気配すらない点は悪しざまに言われていた。『王家の恥』などという、聞くにたえない陰口をハンナですら耳にしたことがある。


 エリオットはただ、捨て置かれていた。誰も彼をかえりみず、王子など名ばかり。

 

 つまり、彼の教育係はちっとも利にならない。手をあげる上級貴族がいないのだろう。


 結果、本来ならば候補対象外の、子爵令嬢ハンナにまで話が回ってきた。


 その推理は正解だったようで、母は苦笑交じりにぼやいた。


「子爵家って、いつもこうなのよ。貴族社会で便利に利用されてばかり」


 上と下との板挟み。中級貴族ならではの悩みだろう。


「断れないとうわけではないけど……どう思う? ハンナ」


 母に問われ、ハンナはエリオットのことを考える。


(兄王子たちの教育係には、大勢の令嬢が殺到したと聞きますのに)


 恐れ多いことではあるが、結婚相手探しに難儀しているハンナには少し彼の気持ちがわかる気がした。誰からも求められないのは、やはり悲しい。


 ハンナは母に向かってほほ笑んだ。


「ありがたいお話です。喜んでお引き受けしますと、エリオット殿下にお伝えくださいませ」 


 かくして、ハンナは第四王子エリオットの教育係に就任した。


「はじめまして、エリオット殿下。ハンナ・サラヴァンと申します」


 最上級の礼で、ハンナはあいさつをした。


 だが、彼は興味なさそうにこちらを一瞥しただけですぐに視線をそらしてしまう。


(十五歳。より、もう少し幼く見えるような……。小さく、痩せていらっしゃるからかしら)


 頼りなさげな、ひょろっと細い身体。珍しい、綺麗な銀髪なのにボサボサで、肩には白いフケが落ちている。


 着ている黒いシャツと灰色のパンツも、あきらかに丈が足りていない。


(なによりも、この離宮……)


 エリオットが王都の外れにある離宮で暮らしてるのは知っていたが、こうもひどい場所とは思いもよらなかった。


 赤茶色の外壁の古ぼけた離宮。


 陽光も風も入らず、空気は重くよどんでいる。この部屋へとつながる廊下など、あちこちにカビが生え、蜘蛛が巣を作っていた。


(これでは、離宮というより牢獄じゃないですか)


 ちょっと裕福な平民の家のほうが、よほど居心地がよさそうだ。


 小さな背中がぽつりと言葉を紡ぐ。


「帰っていい」

「え?」


「教育は受けたことにしておくから、帰って構わない」

「そういうわけにはいきません!」


 ハンナが反論すると、エリオットはようやく正面から顔を見せてくれた。


 艶のない肌は青白く、病人のよう。けれど、その瞳の輝きに……ハンナは目を奪われた。


(なんて、美しいサファイアの瞳)


 彼はハンナを見て、ぶっきらぼうに吐き捨てる。


「ここにいると具合いが悪くなると、みんなが言う。だから、帰れ」


 そのひと言に、胸が詰まった。


 エリオットは優しい少年なのだろう。美しい心を持った、この国の王子。


 いつか、すべての国民を統べる王になるかもしれない彼が、こんな境遇にいるなんて――。


 いくらなんでもおかしいだろうと、ハンナは世の理不尽を呪いたい気持ちになった。


「私は帰りません。早速、お勉強をはじめさせていただきます」


 しばし考えてから、ハンナはポンと手を打った。


「外に出ましょう、エリオット殿下! 日の光と風を浴びるんです」


 社交術でもっとも大切なもの、それは〝会話〟にほかならないだろう。


 青空のもとで散歩をし、お喋りを楽しむ。最初の授業にふさわしい内容だ。


 ハンナは自信満々で提案したのだが、彼は渋い顔だ。


「嫌だよ。日の光を浴びると、目まいがして頭が痛くなる」

「それは、日の光を浴びていないから起きる現象です! さぁさぁ、行きましょう」


 ハンナは半ば無理やりエリオットを外に連れ出したが、彼は自分で宣言していたとおりまぶしい光を浴びた途端、まるで吸血鬼のようにへなへなとへたり込んでしまった。


「無理、日光は無理だ……」


(社交どうこうの前に、まずは生活習慣の改善が必要ですね)

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