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4 求婚

 彼は素晴らしく立派な大人の男性になった。だからこそ、不遇王子の立場から国王にまでのぼりつめることができたのだろう。


 この王宮の豪華絢爛ぶりを見るかぎり、彼の治世はきっと順調なのだろう。今は支えてくれる臣下だって、たくさんいるはず。


 ほんのひととき教育係を務めただけの、異国に嫁いだ自分など、もう必要ないだろうに。


「ほら、ハンナ。君が好きだった赤豆のスープだ」


 エリオットは幸福に満ち足りた笑みを浮かべて、ハンナの口元にスプーンを運ぶ。


「身体はどこも問題ございませんので。自分で食べられます。国王ともあろうお方が侍女のマネごとなどしてはいけませんよ」


 かつての彼はハンナの小言を素直に聞き入れてくれたものだったが、今の彼はよくも悪くも逞しくなったようだ。


「ダメ、ダメ、無理は禁物だよ」


 そう言われても、国王に「あ~ん」をしてもらう度胸はハンナにはない。たじろぐハンナに彼はクスクスと笑う。


「あぁ、口移しで食べさせてほしいという意味か。朝から積極的だね、ハンナは」


 彼の言葉に、ハンナの頬は一瞬でボッと燃えるように赤くなる。


「そ、そんな意味ではありません。スプーンで、スプーンでお願いします」


 エリオットはにっこりと笑って「じゃ、あ~ん」とスプーンを押しつけてくる。


(うぅ、浅い手口にのせられてしまった)


 ハンナは諦め、渋々口を開く。


 好物だった故国のスープ、記憶よりなんだか甘く感じた。


「おいしいか?」

「……はい、とても」


 それを聞いたエリオットが全身全霊で幸せそうに笑む。


 その様子にハンナは心を打たれてしまった。彼に仕えていた頃の気持ちが蘇ってくる。

(あぁ、エリオット殿下が笑っていらっしゃる。――よかった)


 ナパエイラに嫁いでからもずっと、彼のことが気がかりだった。


 きっと花開く、彼は国王になるはずだと信じてはいたけれど……こうして、実際に大人になった彼の幸福そうな様子を見ることができてホッと安堵する思いだ。


(原石は、最高級の宝石へと磨きあげられたのですね)


 花がほころぶようなハンナの笑みをじっと見つめて、彼がつぶやく。


「かわいすぎる」

「え?」


「ねぇ、ハンナ。やっぱり口移しで食べたほうが身体への負担が少ないと思うんだけど、どうかな?」

「ど、どうもこうも、ありません!」


 隙あらばと迫ってくるエリオットに、ハンナは真剣な顔を向けた。


(このまま、ここでエリオットさまに甘えているわけにはいかないわ。だって……)


 指一本触れてもらっていないとはいえ、ハンナは人妻。そして、現在のエリオットは三十二歳の国王陛下なのだ。自分が彼のそばにいるわけにはいかない。


「聞いてください、エリオットさま。大切なお話です」

「うん。君の話なら何十時間でも聞きたいね」

「そ、そんなにはかかりません」


 真面目に反応するハンナがおもしろいのだろう。彼は美しい唇に、こぶしを当てて笑いをこらえている。


「まず、大変なご迷惑をおかけしたことをおわびさせてください」


 居ずまいを正して、ハンナは頭をさげた。


「眠っていたこと? 君のせいじゃない。すべては、あの白豚のせいだ。いや、それは豚に失礼だな。白豚以下の分際で君を娶っておきながら、とんでもない大罪を……」


 白豚とは、夫であるジョアンのことだろうか? たしかに彼はブクブクと肥えてはいたが……。


「あの、夫はどうしているのでしょう? 彼が私をオスワルトに追い返したのですか」


 十五年も眠り続ける妻はいらないと返品してきたのだろうか。彼なら、やりそうではある。


「白豚は死んだよ。そもそも、君とあいつの結婚は無効化された。あいつは夫でも、元夫でもない、ハンナとはなんの関係もない、ただの豚だ」

「し、死んだ?」


 彼は太りすぎではあったが、とても元気な人で病とは無縁だったと記憶している。


(愛人のリリアナとはたいそうお盛んでしたし……)


 十五年の間に大病でもしたのだろうか。


「あぁ。君が眠りについてすぐ、急病でね。天罰だろうからハンナが気に病むことではない」

「気に病むことはございませんが……」


 ジョアンには悪いが、死んだと聞いてもまったく悲しくはなかった。友人の友人の、そのまた知人が死んだ、その程度の感傷しか湧かない。


「では、婚姻の無効化とは?」

「君たちは白い結婚だったのだろう。無効になるのが当然だ。ハンナはナパエイラとは縁もゆかりもない人間になった。だから、眠る君の身体はこのオスワルトに戻されたのだ」

「な、なるほど」


 ナパエイラという国家に恨みはないが、ジョアンとの婚姻の事実が消えたことは少しばかり嬉しかった。


 だが今、重要なのはそこではない。ジョアンなど、どうでもいいことだ。


「すみません、話がそれてしまいましたわ。今、考えなくてならない問題は私が王宮に、エリオットさまの私室にいるということです」


 気になることはまだまだあるが、そんなものはあとで構わない。


 ハンナは一刻も早く、ここを出ていかなくてはならない。国王の私室、本来なら妻となる女性以外は立ち入れない場所なのだから。


「エリオットさま。私の身体はもうなんの心配もありません。ナパエイラに戻る場所がないのであれば、実家であるサラヴァン子爵家へ。とにかく帰らせてくださいませ」


 エリオットは不思議そうに首をひねる。


「なぜ、そう急ぐ必要がある? 今は養生することだけ考えていればいいのに」

「なぜって! ここはエリオットさまのご正妃だけに許される場所だからです」


 彼はにっこりと笑って、とんでもないひと言を告げる。


「ほら、なんの問題もないじゃないか。ーー君は私の正妃になる女性なんだから」

「は?」

「この部屋で過ごすのも、私に看病されるのも当然のことさ」


 ハンナは目を瞬き、幽霊でも見るかのような目つきでエリオットを凝視する。


 そんなハンナの顎をエリオットはそっと持ちあげ、顔を近づけた。


「聞こえなかった? では、もう一度言おう。私の、生涯たったひとりの正妃は君だけだ。十七年前から決まっていたことだよ」


(ぼ、母国語だというのに……さっぱり意味が理解できませんわ)


 エリオットは切実な瞳で愛を乞う。


「結婚しよう、ハンナ。君が〝愛〟を教えてくれたあの日から、私の命は君のものになった。君を愛するためだけに生きると決めたんだ」


 ハンナは、そして、おそらくエリオットも思い出していた。自分たちが出会ったあの日のことを――。

ブクマ、ありがとうございます~。

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