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3 懐かしき思い出

 長い眠りから目覚めて、一夜が明けた。


 自分が十五年も眠っていたという話はどうにも信じがたいが、真実のようだ。


 十五年ぶんの年を重ねていたのは、エリオットだけではなかった。ハンナが目覚めたと聞いて、ゆうべ王宮まで駆けつけてくれた両親も十五年の時を経た姿をしていた。


 二十二歳の姿のまま、ちっとも年を取っていないのは自分だけ。


「おはよう、ハンナ。体調はどう?」


 ノックの音に続いて、開いた扉からエリオットが顔を出す。


「おはようございます、殿下……ではなく陛下。身体はなんの問題もありません」


 頭のほうはまだこの状況についていけていないけれど、身体はすこぶる元気だった。だがエリオットは、昨日からずっとハンナを病人扱いして甲斐甲斐しく世話を焼く。


 今も、自ら朝食を運んできてくれたようだ。彼は優しくほほ笑み、ハンナの横たわるベッドに浅く腰かけた。


 彼はハンナを見て、うっとりと目を細める。かと思えば、今度は髪やら頬やらを愛おしげに撫で回す。


「君はなんて綺麗なんだろう。絹糸のような髪、新雪のような肌、この美貌を褒めたたえ、ひれ伏す権利を私だけのものにしたいな」


 まるで美の女神に捧げるような台詞を、彼は平凡を絵に描いたような女である自分に贈る。


「殿、陛下。そのようなお言葉は私なんかにむやみやたらと贈っては……」


 殿下と呼んでいたあの頃ですら身分が違いすぎたのに。


 今やエリオットはオスワルト国王になったらしいのだ。自分などを気軽に褒めてはいけない。ハンナはそう諭すが、エリオットは不思議そうに首をひねる。


「君が教えてくれたんじゃないか。素直な気持ち、愛する心は、伝えることを惜しんではいけないと。私はハンナの教えを実践しているだけだよ?」

「えっと、たしかに、そんな話はしましたが……」

 懐かしい思い出が蘇ってくる。


 ハンナは彼の教育係――社交界でのマナーや女性との関わり方についてお教えする任務を担っていた。その一環として、そんな言葉を彼に伝えたことがあった。


「だから何度でも言うよ。ハンナは世界で一番美しく、私は未来永劫、何万回生まれ変わったとしても君しか愛せない」

「へ、陛下!」

「ハンナのかわいい唇が紡ぐのならば、罵倒の言葉でさえもご褒美だが……ふたりきりのときはエリオット、と名前で呼んでほしいな」


 いったいどこで覚えたのだろう。エリオットは歯の浮くような台詞を口にする。


「陛下。まずは」


 名前で呼ばないのなら返事をする義務はない。そう言いたげに彼はフイと顔をななめ上に向ける。


(おかしいわ。かつての彼はもっと、聞き分けがよく大人だったはずなのに)


 ハンナは仕方なく、「エリオットさま」と呼びかけた。


 その名を呼ばれたことが、よほど嬉しかったのだろう。エリオットはパッとサファイアの瞳を輝かせ、極上の笑みを浮かべた。


「十七年前のあの日、君が『エリオット殿下』と呼んでくれたから……私は自分の名前を好きになった。それまでは、誰も呼ばない自分の名前など忘れかけていたというのに」

「……エリオットさま」

「うん。ハンナが呼ぶと、これ以上ない素晴らしい名前だと思えてくるな」


 美しい唇が動くさまにハンナは思わず見惚れてしまった。


 エリオットはいやに艶っぽい男に成長していて、ちょっとした仕草からも色気がダダ漏れている。


 なにより……白状すると、好みのタイプなのだ。


(理想の男性像そのままだなんて……困りますわ)


 今、ハンナのいるこの部屋はオスワルト国王であるエリオットの私室。目覚めてからではなく、眠っている十五年の間も自分はずっとここにいたらしい。


 ちなみにエリオット本人のベッドは、ここと続き間になっている寝室のほうにある。ゆうべ、『心配だから今夜は一緒に』とハンナの隣に潜り込もうとする彼をどうにかそちらに追い返すのに苦労した。


「寒かったり、暑かったり、この部屋に不便はないか?」


 エリオットの気遣いに、ハンナはふるふると首を横に振る。


「とても快適です。さすがは王宮ですね。かつて……一緒に過ごした離宮とは大違い」


 ハンナはクスリと笑う。


 不遇王子だった頃のエリオットは、粗末な離宮に閉じ込められていたのだ。あの場所と比べると、ここはまるで楽園のよう。


 日当たりがよく、広々としていて、床も壁もピカピカに磨きあげられ塵ひとつ落ちてはないない。オスワルトの財力をつぎ込んだ上等な調度の数々は、触れるのが恐れ多い品ばかりだ。


「そうだね。ここはとても豪華だ。けど、君のいない場所は……私にとっては地獄でしかなかったよ」


 苦しげに眉根を寄せたあと、エリオットはハッとして、すぐに明るい表情を取り戻す。


「さて、朝食にしようか。私が食べさせてあげるからハンナはベッドにもたれたままでいい」


 エリオットはベッドサイドのテーブルに置いたトレーに手をかける。国王に食事を食べさせてもらう臣下など、ありえないだろう。ハンナは頭を抱えたくなった。


「あの、エリオットさま。朝食を運ぶのは侍女の仕事でしょう? 彼女たちの仕事をむやみやたらと奪っては……」

「大丈夫。私に〝この甘美な時間を譲る〟ことが侍女たちの仕事だと説明し、納得してもらっている」

「か、甘美な時間とは?」


 エリオットがグッと顔を近づけて、大きな両手でハンナの頬を包む。


「私の手から君が食事をする。それで、おいしいと笑ってもらう。世界で一番、甘美で尊い時間だよ」


 エリオットの顔が至って真剣なので、反応に困ってしまう。


 十五歳当時も、彼はハンナによく懐いてくれていた。でもそれは孤独だった彼が初めて関わりを持ったのが自分だったから……というだけの理由で、言ってしまえば雛鳥の刷り込みと同じだ。


 成長すれば自然と薄れて消滅するもの。そう思っていたのに――。


(刷り込みが……解けるどころか悪化している?)

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