11 優しい思い
早速、この離宮の一番高い場所にある遠見台に向かおうとハンナは立ちあがる。勢い込んで動き出したハンナの腕をエリオットが強く引いた。
「クロの口車にのせられるな、ハンナ。俺の魔力なんかのために、君の身を危険にさらしてどうするんだ?」
「のせられていませんよ。ハーディーラさまを使役できるかどうかは、殿下の人生にとって非常に大切なこと。さらには、この王国の未来にも関わる話です。それに比べれば、私の危険などささいなこと」
それにハンナは確信していた。エリオットはきっと他者を守るためなら魔力を発揮できるのだ。
だから、自分が死ぬことはない。多少の怪我はするかもしれないが、その程度ならまったく構わない。
「ハンナ!」
鋭く、強い口調で呼ばれハンナは小さく肩を跳ねさせた。サファイアの瞳のなかに怒りの炎が揺らめいている。
(あ、だいぶ怒っていらっしゃる)
どこか飄々としたところのあるエリオットの、こんな顔は初めて見た。
「エリオット殿下?」
彼は逃がさないとでも言うように、まっすぐにハンナを見つめた。
「逆だ。六大精霊もこの王国も、君の安全と比べたら石ころ以下のちっぽけなものだ」
「石ころで悪かったな」
ハーディーラが口を挟む。
「石ころじゃない。石ころ以下だ。ここ、すごく重要だから」
エリオットも応酬する。それから、彼はハンナの両手をギュッと強く握った。
「覚えておいて、ハンナ。俺の一番大切なものは、君が楽しそうに笑っていることだ。怪我をしたり、病気になったりしたらそれが叶わなくなるだろう。だから、ハンナは自分を一番大切にしないとダメなんだ」
ハンナの胸がキュンと、小さく鳴る。五歳も年下の少年に、不覚にもときめいてしまった。
(私ったら、王子殿下を相手にドキドキするなんて……恐れ多いにもほどがあるわ)
だけど、こんなふうにまっすぐに誰かに思われたことが、これまであっただろうか。
平凡で取るに足りない、ハンナ・サラヴァンという女が特別な存在になったような気持ちにさせられた。
ハンナはかすかに頬を染め、エリオットを見る。
「殿下は……私ごときに、どうしてそんなにお優しい言葉をくれるのです?」
自身の胸の高鳴りに気づかないふりをするように、ハンナは早口で続けた。
「あなたはこの国の王子殿下です。私程度の存在に、軽々しくそのような言葉を贈ってはいけませんよ」
「軽くなんかない」
少しムキになったその顔には、少年のあどけなさと青年に向かう凛々しさが混在していてハンナの胸をまた少しざわめかせる。
「俺に〝楽しい〟という感情を教えてくれたのは、与えてくれたのは、ハンナが初めてだった。だから、お返しをしたい。この気持ちは軽くなんかない」
深い青色をした瞳が美しくきらめく。裏表のない、とびきりの笑顔でエリオットは告げた。
「俺にとって、この世界で一番大事なものは君だ」
ハンナは聡く、身の程をわきまえている女だ。だからこの状況をちゃんと正しく理解している。
(刷り込み、をしてしまったようですね。エリオット殿下はまだ外の世界を知らない。だからきっと、生まれたての雛鳥のように私を……)
彼は外の世界を知り、もっともっとたくさんの人と出会う必要がある。
そのなかには、きっと素敵な女性がいて、エリオットはいつか本物の恋を知るだろう。
(私の教育係としての使命は、そのお手伝いをすることですね)
かすかに忍び寄る寂しさに無理やり蓋をして、ハンナはほほ笑んだ。
「もったいないお言葉を、ありがとうございます。これから、殿下にはもっともっと大切なものがたくさん見つかっていくはずです。私にどうか、そのお手伝いをさせてくださいね」
エリオットは不満げに唇をとがらせる。
「そんな手伝いは不要だ。ハンナ以上に大事なものなんかできないし、望んでもいない」
ハンナは答えず、静かに目を細めた。
短いのですが、キリがよいので今話はここまでになります。
まずはポイント100を目指しているので、ご協力いただけると嬉しいです!




