10 エリオットとクロ
それが事実ならば、間違いなく次期皇帝の最有力候補になるはずで『不遇王子』の立場に甘んじているのはどういうことなのか。
「エリオット殿下……。魔力がないとおっしゃっていましたよね? どうしてそんな嘘をついたのですか?」
嘘をつくような人間には見えないのに。どういうことか?とハンナは説明を求めた。
話が長くなりそうなので、書庫からエリオットの部屋に場所を移し、ハンナはお茶を入れた。
精霊が紅茶を好むのかは知らなかったが、ハーディーラはごくごく紅茶を飲み、ハンナの焼いてきたバタークリーム添えのスコーンもパクパクと口に運んでいる。
エリオットはハンナの目を見つめて、口を開く。
「ハンナに嘘などつかないよ」
「で、ですが! たしかに自分には魔力がないとおっしゃっていましたよね」
少し責めるような口調になってしまったのは、許してほしい。
「俺たち精霊は、好んで人間に使役されているわけじゃない。圧倒的な魔力に屈服させられているに過ぎないんだ。つまり、このチビには俺さまを完全屈服させるほどの力はないってことだ」
ふたりの話でなんとなく理解はできた。とんでもない才能があるけれど、まだ開花していない。そういうことなのだろう。
そこで、ハンナははたと思いつく。
「でも、さきほどの花瓶は? あれはエリオット殿下の魔法では?」
エリオットはハーディーラを見て、眉根を寄せる。
「あれは本当にクロが勝手にしたことじゃないのか?」
「俺が人間のために力を使ったことなど、これまであったか? さっきのはお前に〝使役させられた〟んだ」
ハンナは目を丸くする。
「ようするに……さっきのあれはエリオット殿下が精霊使いとして魔法を使った。そういうことになりますよね?」
エリオットは答えないが、ハーディーラは「ま、そういうことになる」と返事をくれた。
「もっとも、最初で最後だがな。俺は人間に使われるのなんかまっぴらだ!」
ハンナは小さく身震いをした。
(私は、とんでもない瞬間に立ち会わせていただいたのかもしれない……)
エリオットの六大精霊使いとしての力は、今まさに花開こうとしているのだろう。彼はとびきりの原石だったのだ。
「エリオット殿下」
ゴクリと唾をのみ込んだあとで、ハンナは問いかけた。
「魔力がないとは言っていない。俺は〝魔法が使えない〟と言ったんだ」
「どういう意味です?」
言葉遊びとしか思えず、ハンナは彼に向かって唇をとがらせた。
「つまり……こいつ、クロは俺の言うことなんか聞いてくれないんだ。魔力の共鳴は起きていて、いつも近いところにいるが〝使役〟はできていない。使役できなければ魔法は使えないから」
ハーディーラが口を挟む。
「使いこなせない状態だとしても、どうして六大精霊の使い手であることを秘密にしているのですか? 王宮に伝えたら絶対に!」
彼の待遇はもっとよくなるはず。いや、それどころかすぐに次期国王の座が約束されたっておかしくないのに。
エリオットはパチパチと目を瞬き、けろりとした表情で言う。
「秘密にしているわけじゃない。何度か話そうとはしたんだ。けど……」
彼は隣にいるハーディーラを横目で見る。ハーディーラはケケッと愉快そうに笑んだ。
「証拠に精霊を呼んでみろと言われても……クロは俺の言うことなんか聞きやしないから。『大嘘つき』『精霊使いを愚弄している』とかえって怒られて。もう面倒だから誰にも話さないつもりだった。兄上にも……そのほうがいいと言われたしな」
エリオットは苦笑して首をすくめる。
ハンナはハーディーラをにらみつけた。
「どうして? そんな意地悪をするんですか?」
彼は歌うような口調で答える。
「意地悪じゃないさ。精霊とは〝そういうもの〟だから」
強い者にのみ服従する。そういう生態だと言いたいらしい。ハーディーラはニヤリと笑う。
「まぁ、ひとつ情けをかけてやるとするなら……さっきの魔力はなかなか強力だった。常にあのパワーが出せるなら、お前は俺さまの使役主になれるかもな」
「さっきの力……と言われてもな」
エリオットには、どうもピンときていないようだ。
「さきほど、私を助けてくれたとき、なにか特別なことをされましたか? それが殿下の魔力を引き出す引き金なのかもしれないですよ」
「いや、とくになにも。ただ、ハンナが危険だからどうにかしたいと思っただけだ」
「私が危険だったから……。なるほど、殿下は自分より誰かのために強い力を発揮するのかもしれないですね」
まだ短い付き合いではあるけれど、エリオットが心優しい人間であることは十分に伝わっている。この仮説はいかにも彼らしい。
「なら、女。お前がどこか高い場所から飛び降りるとか、運河でおぼれてみるとか、ためしてみたらいいんじゃないか?」
ハーディーラの提案にハンナは力強くうなずいた。
「妙案ですね、ハーディーラさま! さすがは六大精霊です」
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