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物木勇と美少女4

 紫蘇高校の文化祭から半月ほど経った後。


 紫蘇高校の最寄り駅に降り立った勇は、辺りを見回す。この辺にも大分慣れてきたな。そんなことを思っていたのだった。

 今日は火曜日。勇は喫茶店『月』に向かっていた。

 秋に入ったためか、学ランを崩して着ている。

 時折、周囲の人間にぎょっとした顔で見られることもあった。

 勇は昨晩の喧嘩のせいで、傷だらけで、腫れた顔をしていたからだ。顔の怪我のせいか、いつもより迫力が増している。そのせいか、通行人たちは勇に気付かれないように避けていくのだった。

 とはいえ、今日の勇は機嫌が良かったので、そんなことは気にならなかった。

 いつものように歩いて行くと、建物を抜けた先に、『月』の看板が見えた。

 喫茶店『月』のドアを開ける勇。からんからんとベルが鳴る。勇は席につくことをせず、立ったまま待っていた。……すると、彼女がやってきたのだった。


「いらっしゃいませ、……勇くん?」


 ゆらぎは驚いたように口に手を当てていた。勇はからかうようにたずねる。


「なんだよ、いやに驚くじゃん」

「勇くん、その顔の傷……また、喧嘩をなさったんですね」


 そう言って悲しげな表情になるゆらぎ。勇は少々バツが悪くなり、口を開く。


「腹減った。席に案内しねーの?」

「あ、はい……こちらです」


 そういうと席に案内するゆらぎ。今日は珍しく客は勇だけのようだ。勇はすっかりこの喫茶店の常連になりつつある……ゆらぎのいる日限定だったが。そして、それはこの喫茶店では珍しいことではないのであった。

 ゆらぎがメニューと水を取りに行っている間に、勇は席に座り、自分の顔を撫でる。いてぇ。勇は思わず顔をしかめる。昨晩、勇と真亜図は十人の不良に襲われたのだった。それが、なかなかの強敵揃いで、勇ですらかなり苦戦した。結局、最後まで立っていたのは勇と真亜図だったが。

 近頃、いやに不良グループらが突っかかってくるな。そう勇は感じていた。この前も、その前も……街を歩いているとまるで勇たちを狙い撃つように不良グループと遭遇するのだ。特に大型のグループに喧嘩を売った覚えもなく、なにかの意図を感じなくもないが……まぁ、そうだったとしても考えるだけ無駄だと勇は割り切るのだった。

 それにしても、顔中がじんじんする。昨日は怪我ほったらかして適当に寝たからな。今朝、鏡を見てこれまでにない腫れっぷりには結構驚いたものだ。

 コトンと音がし、勇はそちらに意識を向ける。目の前には心配そうな顔をしたゆらぎが水の入ったグラスを置き、メニューを持って立っていた。


「勇くん、お怪我は大丈夫ですか」

「そんな心配そうな顔、すんなよ。雑魚ばっかだから大丈夫だって」

「私は……勇くんがお怪我をしたら悲しいです」


 ゆらぎはここ最近、勇が怪我をして『月』に来る度に悲しげに眉をひそめるのだった。ゆらぎを悲しませるのは不本意だったが、ゆらぎにそう言われると、勇にはなにかが満たされるような不思議な感覚があった。


「勇くん、お体は大事にしてくださいね。私は勇くんが無事でいてくれれば、とても嬉しいです」


 女神のように美しく慈悲深いゆらぎにそんな風に言われてしまえば、勇はその通りにしてやろうかという気になるのだが、いかんせん、近頃は不良グループがあちらから襲ってくるのだ。とはいえ、優しいゆらぎの心を痛めさせたままでいるのは良くないだろう。

 勇は軽く笑うと、ゆらぎを向く。


「わかってるって……あ痛ッ」


 笑った際に唇の怪我が痛んだのだった。ゆらぎは目を丸くして、勇の心配をする。勇はそれをごまかしながら、口に水を流し込むのだった。殴られて、切れた口の中の傷に水が染みたが、我慢した。

 そんなこともあり、固形物を食べるのは難しいので、本日の注文はアイスコーヒーのみとなったのだった。

 ゆらぎは、そのことをまた憂う。


「勇くん、お口が痛むんですね……」


 勇は否定しなかった。ゆらぎはめざといので、いずれバレてしまうだろうと思っていたからだ。

 そうして、ゆらぎはアイスコーヒーを勇の前に置くと、マスターに声をかけ、裏に引っ込んでしまったのだった。休憩だろうか?せっかくゆらぎと二人きりで話せると思ったのに。勇はふてくされた気分でアイスコーヒーをすすっていたのだが……。

 十分後、裏から出てきたゆらぎは一人前の土鍋の乗ったトレイを持って勇の前に現れたのだった。勇は、まさかと目を見張る。ゆらぎがじきじきに俺のために、なにかを作ってくれたのか?ゆらぎの手作り料理が食べられるなんて、俺はなんて幸運なんだ。そんな風に思っていた。


「お待たせしました」


 そういうとゆらぎは鍋敷きを置き、そこの上に土鍋を置いた。ゆらぎが蓋をぱかっと開ける。土鍋に入っていたのは……おかゆだった。これまで、食べていたのはもっぱらゼリーなどだったため、自然と喉がゴクリと鳴った。


「どうぞ、熱いから気をつけてくださいね」


 別に、おかゆが食べたいなんて言ったわけではない。

 だが、ゆらぎは、自然に勇のことを気遣ってくれる。勇はその優しさを、何故か突っ張らずに受け入れることが出来るのだった。

 おずおずと、おかゆを口に運ぶ勇。口にしたおかゆは優しい味がした。

 おかゆなんて食べたのは、風邪をひいた時に母親に作って貰って以来だ。勇はふと、ゆらぎを見た。ゆらぎはにっこりと微笑んで勇を眺めている。勇が、代金のことをたずねるとゆらぎは首を横に振った。ゆらぎにおごられるのはプライドが許さないため断ろうとした勇だったが、ゆらぎは気持ちを受け取って欲しいと柔らかな言葉をかける。

 そして、空になったグラスに水をそそぐのだった。


「勇くん、お体を大事にしてくださいね」


 その言葉は勇の胸に響いたのだった。


◆◆◆


 夕暮れの中、自宅へ続く道を歩く勇。

 勇は『月』に行った後、毎週火曜と木曜だけは実家に帰ることにしている。


 おかゆを食べた勇は、久しぶりに心の底から穏やかな気持ちになったのだった。


 勇はゆらぎのことを考える。美しく心優しいゆらぎはいるだけで勇を安らがせる。彼女のいない今、そんな女がいれば、普段の勇なら、真っ先に自分のものにしようとするだろうが、ゆらぎにそうするのはなにか違う気がした。


 ゆらぎには彼氏がいるのだろうか。なんとなく、避けてきた話題だ。もしも、ゆらぎに彼氏がいれば、勇はこれまで通りゆらぎに声をかけることが出来なくなるだろうからだ。たとえ結婚していないとはいえ、出て行った母親と同じ行為をとることは、勇には許しがたかった。

 出会ってからそう経っていないとはいえ、勇はゆらぎといる時間を手放すことは出来そうになかった。


 そんなことを考えながら、団地の階段を上がっていく。

 玄関前スペースに立った勇は、自宅のドアを開けようとして、中から話声がすることに気づき、驚く。

 勇は思わず、ドアを開けていた。

 明かりの灯った玄関には、私服姿のゆいかが立っていた。向かいには父親がいて鍋を持っていた。珍しくシラフだった。

 ゆいかは、勇を振り返ると声をかけた。


「おかえり、勇」


 久しぶりに聞いたその言葉に、勇は不快感を持った。言葉そのものにではない、ゆいかの口から出たことにだ。

 勇はゆいかをにらみつける。


「なんで家にいるんだよ、クソチビ」

「なんでって、おすそわけよ。筑前煮、作り過ぎちゃって」


 父親の持つ鍋を目で指すゆいか。

 作りすぎたからといって、わざわざお世辞にも評判の良いといえない勇の家に持ってこなくてもいいはずだ。

 ゆいかの家は、家族仲が良い、絵に描いたような幸せそうな一家だ。

 昔、ゆいかの家を訪れた時に、その様子を見たことがある。

 その筑前煮も母親や妹と一緒に作ったのだろう。

 ゆいかは幸せな家で暮らしているから、勇の家のことを馬鹿にしているに違いない。

 またコイツは俺たちを哀れむのか。勇の中にどす黒い感情が渦巻いた。

 勇は靴を脱ぐと、無言で二人の横を通り過ぎようとする。

 そんな勇を、父親が口で止めたのだった。


「勇、お前もゆいかちゃんに礼を言えって」


 普段は飲んでは暴れ回ってる癖に、父親面するところに腹が立った。

 不愉快なことだらけの勇は、強い口調で言い放った。


「うるせぇ、クズ。またボコられてぇか。まともな人間のフリがしてぇなら、酒飲んで暴れてねぇで働けよ」


 父親の顔がサッと赤く染まる。ゆいかは、玄関から勇を非難した。


「勇!お父さんに向かってそういうこというの良くないよ!」


 一緒にすんな。うちのクズとお前んちの『お父さん』は違うんだよ。勇は、さっさと自室へと引っ込んでいった。

 畳の上に寝転ぶと深くため息をつく。せっかく、ゆらぎに癒やされたのに気分が台無しだった。

 勇は目をつぶる。だが、ゆらぎの言葉が消えてしまうことはなかった。

 身体を大事にしろ……か。

 勇は呟くのだった。


◆◆◆

◆◆◆


 夕方の街中。

 ばたばたと足音が響き、何事かと周りの通行人たちがそちらを向く。

 そこに息を切らせて立っていたのは勇と真亜図だった。

 勇は汗をぬぐうと、後ろを振り返る。誰もついてきていない。そのことに安心したように息をついたのだった。


「はぁはぁ、物木さん。どうしたんスか。昨日から、一回も喧嘩してないッスよ」


 真亜図は不満そうに勇に言う。

 勇はこの二日。諍いを起こすことなく真面目に高校に通い授業を受け、喧嘩を売られそうになると逃げの一択をとるのだった。もともと喧嘩に強い勇を慕ってきた真亜図には、受け入れがたい行いである。

 勇は悪びれなく言った。


「もう喧嘩はしねぇ」

「はぁ?物木さん、それ、本気で言ってるんスか?」


 真亜図の瞳に剣呑な光が宿る。それは、ただの舎弟が向ける瞳ではなかった。敵を見る目である。

 勇は言葉を続けた。


「俺は、不良を止める」


 それを聞いた真亜図は、すっかり興ざめだと言う風になると、勇に理由をたずねる。勇は女に惚れたのだと答えた。


「へぇ、そりゃ随分とロマンチックな理由じゃないッスか」


 真亜図は、馬鹿にしたように鼻を鳴らすと勇に舎弟を抜けることを告げる。勇はそれを許可した。

 去って行く真亜図の背中を見ながら、勇はどこか不安な気持ちになっていた。

 真亜図のことはそこそこ信頼していたし、不良を止めた自分というのが想像つかなかったからだ。

 だが。もう決めたことだ。

 勇は手を握りしめると、駅に向かって歩き出した。

 今日は『月』に、ゆらぎに会いに行く日だ。

 会いに行くか……ゆらぎに。


 勇は荒れる心境の中踏ん張って、歩み出したのだった。




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