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物木勇と美少女


 太陽の照りがまだ厳しい秋の始め頃。

 とある団地の玄関前スペース。

 薄暗い日陰の中、刺々しい銀色に脱色された髪をした少年が扉を閉める。地元でも有名な不良高校の制服は思い切り着崩されていて、見るからに危なそうな少年だった。物木ものぎゆうはピアスのついた耳を触りながら、階段を降りていく。


 あのクズジジイ。あー、こんなことなら帰るんじゃなかった。


 今朝の勇の気分は最悪に近かった。何故ならそれは、飲んだくれの父親が朝まで暴れていたからだ。父親は、勘に触ることがあるといつもこうなのだ。……おおかた、出て行った母親のことを思い出したのだろうが。昔から、弱いところがあった父親はなにかあるとすぐに酒に逃げていた。そして、日常生活に影響が出るまで飲むのだ。勇と母親に暴力だけはふるわなかったが、そのことが原因で夫婦喧嘩になることなど日常茶飯事だった。そのうち、父親は仕事をクビになり……母親は愛想をつかせて家を出て行った。母親は勇を連れて行こうとしたが……拒否したのは勇本人だ。そうなるほんの数年前までは仲良く暮らしていたこともあり、まだまだ子供だった勇には家族というものに未練があった。その上、既に、母親から新しい男の存在を知らされていた勇からは、母親に対する信頼感がなくなっていたのだ。勇は今年十七になる。母親が出て行って、ちょうど十年目だ。

 あれから十年か。勇はどうでも良いような気持ちになった。父親は更生することなどなく酒におぼれ続け、母親は勇たちのもとに戻らず、新しい家庭を作り子供にも恵まれたらしい。未だに会ったことのない弟のことを勇はぼんやりと考える。やっぱ、馬鹿なのかな俺の弟ってくらいだから。とはいえ、地元でも有名な不良高校に行くほどの不良にはならないだろうな、と勇はやや不機嫌になる。勇は口では父親をクズだなんだと言っておきながら、本心では母親の方が許せなかったのだ。


 団地を出て、駅まで歩いて行く勇。途中、住宅地の塀で囲まれた道で鉢合わせた通りすがりの男子学生が怯えたように勇を見て見ぬふりをして道を空ける。今日の勇は機嫌が悪かったので、そんなことすらも勘に触った。なんだよ。俺が悪いって言うのか。勇は男子学生を睨み付ける。男子学生は蛇に睨まれたカエルのようになるとオドオドと視線を下げた。勇は男子学生にどんどんと近づいていく。


「お前、なんか言いたいことでもあんのか?」

「す、すみません……」

「あぁ?聞こえねぇぞ、オラ!!」


 勇が大声で凄むと、男子学生はすっかり青ざめてしまう。そんな様子を眺めていると、勇の気持ちも少しは晴れるのだった。男子学生はワナワナと口を震わせながら、呟く。


「お、お金なら……出しますから……」


 金か。そんなつもりはなかったんだけどな。とはいえ、勇は貰えるものは貰うタイプである。不機嫌な顔で手を差し出すと、男子学生はポケットからサイフを出して、勇に渡そうとする。どっか遊びに行くかな、学校なんてサボって。その時だった。


「ちょっと!勇!」


 聞き覚えのある声。ちっ、来やがったか。勇は面倒くさそうに振り返る。そこには二つ結びにした黒髪を揺らす、小柄で、全体的に小動物のような印象を持つセーラー服姿の少女が自転車に乗って止まっていた。少女、瀬尾せおゆいかは自転車から降りると勇に向かって歩いてくる。


「こんなところでなにやってんの?まさかカツアゲじゃないよね?」

「うるせぇな」


 男子学生はゆいかの登場にこれ幸いと、泡を食って回れ右して走り去っていく。勇はギロリとゆいかを見やる。だが、ゆいかはなんでもなさそうに勇に声をかけるのだった。


「勇、また痩せた?ご飯、ちゃんと食べてる?成長期なんだから、食べなきゃ駄目だよ」

「うるせぇな、チビ。お前こそ栄養が身体と胸に行ってねぇんじゃねえか」

「この前計った時は伸びてたもん!……五ミリだけど。っていうか、胸は余計!あんたって、ほんと無神経!」


 頬を膨らませて、上目遣いにいきどおるゆいか。

 ゆいかは勇と同年の幼なじみである。保育園から、中学まで同じ所に通っていたのだが、ゆいかはなにかにつけて勇に構っていた。それこそ両親の離婚により勇が荒れて、周囲と上手くいかなくなり、喧嘩に明け暮れるようになっても、ゆいかだけは変わらず勇に声をかけ続けたのだ。

 相変わらず、うぜーやつ。勇は駅に向かって歩き出す。自転車を押しながら、ついて行くゆいか。

 ゆいかは鬱陶しそうな勇のことなど気にせず、話かけ続けるのだった。


「そうそう、文化祭なにするの?うちのバスケ部、今年はたこ焼き屋やるんだよ」

「うちの学校で文化祭なんてあるわけねぇだろタコ」

「なにそれ、タコとたこ焼きかけてるの?寒い」

「んなわけねぇだろうが、カス」

「私がカスならあんたはクズよ。……あ、あった」


 そう言いながら、カバンの中からなにかを取り出すゆいか。おそらく手書きであろう手作り感満載の券がその手には収まっていた。


「たこ焼き、食べに来てよ」


 そう言って、割引券を差し出すゆいか。勇はそれを受け取る。

 すると、ゆいかはとても嬉しそうに笑うのだった。


「うちのたこ焼き相当な自信作なんだよ。後輩におばあちゃんがたこ焼き屋やってる子がいてね。その子に作り方教わったの。食べたら、ほっぺた落ちちゃうかも……」


 楽しげなゆいかの動きが止まる。

 紙が細々になって風に飛んでいく。勇が割引券を破り捨てたのだ。


「くだらねぇ、行くわけねぇだろ。馬鹿」


 ゆいかは目をまん丸に見開いていたが、次第に怒りに震え出す。そして、勇を睨み付けると言い捨てたのだった。


「もうあんたなんかには絶対話しかけない!」


 言うなり、猛スピードで自転車を漕いでいくゆいかの背中を見ながら、勇は目を細めた。ざまあみろ、そんな気分だった。ゆいかは子供の頃からの事情を知ってるから、勇を哀れんで話しかけているに違いなかった。哀れまれるなんてことは、勇のプライドが許さない。勇を哀れんで良い存在など、この世にはいないのだ。もしも、いたとするならばそれは多分――。そこまで考えて勇は舌打ちすると、歩き出したのだった。


◆◆◆


 それは、横断歩道の近くに通りがかった時だった。ランドセルを背負った坊主頭の小学生が勇を見て、怯えたようにうつむく。先ほどの男子学生と同じ反応だが、勇はこう見えて子供には寛容なので、そんな態度をとられても特になにも感じなかった。勇がダルそうに信号をながめていたその時、信号が青に変わった。周りに車の姿はなかった。横断歩道をさっさと歩いて行く勇。


 考えるのは心許ないサイフの中身のことだ。勇は最近、アルバイトをしていたガソリンスタンドをクビになったばかりだった。勇の勤めていたガソリンスタンドには、勇が標的になることはなかったが気の弱そうなバイトを狙って、威張り散らす嫌な客がいたのだ。やれ窓がまだ汚れているだの接客の仕方が悪いだの、様々な難癖をつけて、長々と居座る男にちょうど虫の居所の悪かった勇が苛々して、男の顔に洗車用のタオルを投げつけたところ、男が激怒し喧嘩になったのだった。もちろん、長年喧嘩をやり続けている勇が負けるはずはなかった。とはいえ問題を起こしたため、勇はアルバイトをクビになってしまったのだ。あんな嫌な客を退治して感謝されこそすれ、クビにされるいわれはない。そのことに勇は腹を立てていた。あのクソ店長、髪を染めろだうるさく言いやがって。ちゃんとやってんだから髪の色は関係ねぇだろうが。そんなことを考えていた時だった。


 ふと、なにかの気配を感じて顔を横に向けたのだが。見えたのは、猛スピードで走ってくるトラックだった。場所から言って、このままトラックが走ってきても勇に被害はない。

 だが。勇は背後を振り返る。先ほどの小学生が迫り来るトラックに気付かず、とろとろと歩いてきていた。


「危ねぇぞ!!」


 思わず、小学生に向かって叫ぶ勇。小学生はようやくトラックに気付いたようだが、足がすくんだのかその場からまるで動かなかった。死ぬぞ、あの馬鹿。勇はなにも考えることなく、小学生に向かって走って行く。そして、小学生を抱えると、そのままの勢いで前に向かって身体を飛ばしたのだった。


 風を切る音と轟音が響く。


 冷や汗をかきながら、背後を振り返る勇。寸前の所でトラックが二人の脇を通り過ぎていった。勇は今更ながら、死にかけたのだということを自覚して肝が冷える。しくしくと泣き出す小学生に、勇は面倒くささを感じながらもあたりを見回したそんな時だった。


「ジャックちゃん!」


 悲鳴のような声が聞こえ、革靴の足音が響いてくる。勇が顔を上げると、そこにはとんでもない美少女がいた。その美しさといったら、まるで慈悲深い女神のような顔をしている。勇は思わず呆けた。それは、突然目の前にあまりに美しい少女が現れたからというのもあるが、問題はそこじゃない。美少女の身体の上半身……胸だ。ブレザーを身にまとい、ぷるんぷるんと嘘のように巨大な胸を揺らしながら、こちらに駆けてきている。確実にメロンくらいある。あれ、本物かよ……。勇の視線は胸に釘付けになった。


「ゆらぎおねえちゃん!!」


 ゆらぎと呼ばれた美少女は、二人の前まで来ると、地面に膝をついて小学生を抱き寄せた。長いオレンジ色の髪が揺れ、側にいる勇のもとに甘くいい匂いが届く。


「怖かったですね……でも、もう大丈夫ですから……」

「うぇえええん」


 長い睫毛を伏せ、ひどく柔らかな声でゆらぎは泣く小学生をなだめる。

 なきじゃくりながら巨大な胸に顔を埋める小学生の姿は、勇に忘れてしまった何かを思い起こさせようとさせた。そうして、二人の様子をながめていた時だった。ふと、ゆらぎと目が合う。ゆらぎは優しげなややタレ目がちな瞳に真摯な光をともすと、勇に微笑みかけた。


「助けてくださってありがとうございます」


 勇は美少女に感謝され、自然と良い気分になった。バカ丁寧な言葉遣いはくすぐったいが、不思議と嫌な気分にはならない。知らず知らずのうちに顔から笑みがこぼれる。可憐な姿に反して、勇の外見にビビらないところがまたいい感じだ。そして三人はひとまず、横断歩道を渡ったのだが……。


「お二人とも怪我がなくて良かったです」


 そう言いながら、小学生の服のほこりをはたくゆらぎ。

 そこで勇は気付いた。小学生がスカートを履いていることに。女だったのかよ。ていうか、日本人の女にジャックってなんだよ。とはいえ、そういった名前の人間はわりと身近にいたので、勇はどこか神妙な気分になった。


「アンタら、兄弟なの?」

「いえ。でも、ジャックちゃんとはお友達なんですよ」


 顔はまったく似ていないが、ここまで懐いているのだから兄弟かと思ったが、どうやら違ったらしい。

 抱きつかれたまま小学生に微笑みかけるゆらぎ。どうやら、この小学生は未だに勇に怯えているらしかった。なんだよ、助けてやったのに。子供に寛容な勇だが、これには流石に腹が立つ。

 そんな不穏な空気を察したのか、ゆらぎは穏やかに小学生にうながす。小学生は小さな声で「助けてくれてありがとう」と呟いたのだった。

 勇は不機嫌そうにフンッと鼻を鳴らす。小学生はゆらぎの影に縮こまる。ゆらぎは二人をながめて苦笑すると自己紹介を始めた。


「私は聖谷ゆらぎといいます」


 勇は、自己紹介なんてガラではないが、ゆらぎのことはなんとなく気に入ったので名乗ることにした。ゆらぎはにっこりと優しく微笑む。


「そうですか。物木さんとおっしゃるのですね。今日のことで是非お礼がしたいのですが……」

「なんでアンタがお礼すんだよ。他人なんだろ、そのガキ」

「……ジャックちゃんとは、お友達ですから。あんな風に命を張ってまで、助けて頂いたのですから、相応のお返しをさせて頂きたいんです」


 まぁ、友人を助けられて、礼がしたいという気持ちは分からないでもない。それに、勇は貰えるものは断らない主義だし、ゆらぎはとんでもない美少女だ。なので、勇は期待をこめた目でゆらぎを見た。命を助けた礼というくらいだから、凄まじいのかも知れない。

 ゆらぎはにっこりと微笑むと、カバンの中から紙を取り出し、座り込むとそこになにかを書き出した。そして、書き終わると勇に紙を差し出したのだった。


「これを」


 それはなにかの地図だった。地図か。家の地図だったりして。勇の心臓が高鳴ったが、表向きはクールを装って尋ねた。


「なんだよ。これ?」

「はい。それは、私の……アルバイト先の喫茶店までの地図です」


 ちぇっ。勇は内心舌打ちする。

 だが、ゆらぎが相手だと思い通りにならないことにも奇妙な心地よさを感じたのだった。


「是非、いらしてください。火曜と木曜なら、放課後、いつでもいますから」


 今日は火曜日だ。まぁ、暇だし行くか。勇が早速、今日訪ねるというと、ゆらぎは嬉しそうに微笑んだのだった。



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