7 『卑しくて浅ましい』
違和感。
その日は朝からおかしかった。
空気が重たい。何もないはずなのに、ネバつくような重苦しさがあった。いったい何が起こっているのか……??
「「「「「いただきまーす!!」」」」」
朝の食堂、いつものようにみんなで朝食を食べようとしているクラウド。すぐとなりにレイン。いつもの光景。
「…………」
「どうしたの?クーちゃん?」
「いや、なんだか今日……変じゃない?」
「変??えっと……どんなところが??」
不思議そうに首を傾げるレイン。
……もしかして、違和感を覚えてるのは僕だけ??
「う〜ん……」
「……もしかして、体調悪いの?今日の訓練休む??……なんなら、わたしがクーちゃんの看病するよ!」
なぜか食い気味に話すレイン。
「い、いや、体調が悪いわけじゃなくて……」
「ほんとに?ほんとのほんと??」
「う、うん、僕は大丈夫。ありがとね、レニー」
「そっか…………わかった……」
「…………」
クラウドの返答を聞いて、露骨に残念そうにするレイン。
「ま、まぁとにかく、ちょっと変な感じがしただけだよ。……たぶん気のせいかな」
クラウドは違和感から目を背け、目の前の朝食に意識を向ける。
今日の当番もマリンだ。
朝からマリンの朝食が食べれるのは嬉しい。パンにスープ、それにベーコンエッグ。シンプルな料理なのに魔法のように美味しくなる。いっそのこと毎日マリンが作ってくれればいいのにと何度思ったことか。
……いや、それだとさすがにマリン姉が大変か……。
そして、パンをかじっていたクラウドは、次にスプーンを持ってスープへ……。
「うん……ぅふッッ!!?か、からッッ!!」
「クーちゃんッ!?」
塩辛いのか、それともただ辛いだけなのか、正体不明の激物におもわず吹き出した。
「ゴホッ!ゲホッ!ゴホッ!」
「クーちゃん!だ、大丈夫!?」
レインがクラウドの背中をさする。
「おいおい、きたねーなー、クラウド。何やってんだよ、まったく。……ほれッ」
呆れたような顔をしながら、ギデオンがテーブルの上にあったタオルをレインに投げ渡す。
「はい、クーちゃん。これで拭いて」
「あ、ありがと、レニー。ゲホッ」
レインが優しくクラウドの口元を拭いてくれた。あと、テーブルも。
「ったく、朝から騒がしーなー」
そして、ギデオンもクラウドと同じようにスプーンを持ってスープへ……。
「うん……うぐぅはッッ!!?ま、まずーーーッッッ!!!?」
ギデオンの叫び声が孤児院の中をこだました。
時間が止まったように、賑やかだった食堂に静寂が訪れた。
ギデオンの叫び声を聞き、みんなが自分の目の前にあるスープに注目する。おそらく、みんなの中にある考えは一つだけだろう。
『ありえない』
マリンの作った料理が不味いだなんて、あるわけがない。考えられない。まだ、今日世界が滅ぶと言われた方が信じられるくらいだ。悪い冗談にも程がある。先の発言をした者は命をかけて謝罪すべきだ。
きっと、みんなそんなことをこの一瞬の時の中で考えているのだろう。時間にして数秒の時間、今この食堂の中は限りなく静寂だった。
だが、みんなとは違う考えの者がここには二人存在している。手にスプーンを持っているクラウドとギデオンだ。
この二人だけは真実を知っている。目の前にあるスープはとてつもなく不味いと……。
だがしかし、みんなに伝える手段がない。下手に伝えようものなら、反乱が起こる恐れがある。それはマズイ。孤児院崩壊の危機だ。
二つの勢力が沈黙を守ったまま数秒がすぎ、ついに口を開いた猛者が現れる。
「……先生。……ラウ君。……そんなにお口に合いませんでしたか?」
マリンが悲しそうな顔で問いかけてくる。
「「……ッッ!!?」」
……よりにもよって!マリン姉本人かーッ!!
「ち、ちがッ!!……ちょ、ちょっと味付け変えたのかなーって、お、思っただけだ、よなッ!クラウド!」
「えっ!?……う、うん!マリン姉にしては、ざ、斬新な味付けだと思って……えっと、その……あの」
言葉が続かず、チラッとギデオンを見る。
「お、おい!最後まで言い切れよ!」
「で、でも何て言えば……」
「なんでもいーんだよ!なんかこう上手い具合にさ!」
「な、なら!先生が言ってよ!」
「バ、バカ!俺に振るんじゃねーよ!」
見苦しくコソコソ話をする二人。その姿は、まさしく滑稽。すべて周りのみんなに筒抜けだというのに。
そんな可哀想な男二人をよそに、マリンは自分のスープにスプーンを入れて……。
「……うぷッ!!?…………こ、これは……」
マリンは口に手を当てて、信じられないものを見たかのように見開く。そして、すぐに悲しそうな顔になる。
「……ごめんなさい。味付けを間違えちゃったみたい……すぐに作り直してきますね!」
今にも泣き出しそうなマリンの表情。それを隠そうと無理に笑顔を作って、明るく話す。その一部始終をみんなはしっかり目撃した。
どうやら、目の前のスープは不味いらしい。すでに飲んでしまったクラウドとギデオン以外のみんなもその真実を受け入れようとしつつある。
だが、同時にあのマリンがそんな失敗をしたことにみんな動揺する。ありえないことだ。あのマリンに限ってそんなことをしでかすなんて……これは何か不吉なことが起こる前兆なのではないか。
クラウドとギデオンも含め、みんなが恐怖した。
「ひとまず、みんなのスープを下げま……」
「その必要はないよ、マリン」
「えっ…………レックスお兄様……」
申し訳なさそうにみんなのスープを下げようとするマリンに、レックスが待ったをかける。
「せっかく作ってくれたんだし、わざわざ作り直さなくても大丈夫だから」
「……で、でも……」
「ちょっと辛いだけなんだよな?クラウド?」
「う、うん……ちょっと辛いだけだったよ……」
「じゃあ、問題ないな。どれどれ……うん、ぐふッ!?……ぐぅ…………ぐ!」
「レックス兄!?」
「レックスお兄様!?」
吹き出すのを必死に耐えるレックス。そして、その姿におもわず声を上げるクラウドとマリン。他のみんなは、ただ呆然とそれを眺めていることしかできない。
「ほ、ほら、な……ちょっと辛いだけ、だ……ぐぅ、だ、だから、作り直す必要なんかないよ……な、なんならおかわりしようかな……なんて、はははッ」
……レックス兄、それはいくらなんでも無理があるよ……。
「…………無理しなくても大丈夫ですよ、レックスお兄様……」
「む、無理だなんて、そんなことないって……ほらッ」
再びスプーンを口の中に運ぶ。
「うん、ぐふッ…………うんうん、なかなか、なかなかクセになる味付けだな!……ぐっ!?……ゴクンッ……ほ、ほらなッ!」
「レックスお兄様ッ!!」
「「「「……ッッ!!?」」」」
マリンが声を張り上げる。
普段、大声を出さないマリンの声にみんな飛び跳ねる。だが……
「…………マリン、俺はこのスープをおかわりするからな。それに、せっかくみんなのために作ってくれたのに、もったいないだろ??」
レックスだけは冷静に答える。
前半の一言は真剣に、後半の一言はおちゃらけた感じで。
「…………」
スープを下げようと立ち上がっていたマリンが静かに椅子に座る。
「でもまぁ、子供にはまだ早い味付けかもしれないな。もし、苦手だったら俺のとこまで持ってくるんだ。大人の俺が全部飲んでやるさ!」
子供たちに気をつかったのだろう。自分のところにスープを持ってくるよう、冗談っぽくみんなに伝える。
そして、最初に名乗りを挙げたのは……。
「レ、レックスくーん……お、俺のを……」
「…………」
レックスは声のした方……ギデオンを何も言わずにじろりと見る。
「……な、なんでもねーよ!」
観念したのか、大人しく引き下がった。
そして、次にクラウドを見る。
「…………」
「…………」
……レックス兄、僕も頑張るよ!
二人は言葉を交わさず、静かに頷き合い目の前のスープに挑んだ。
結局、スープをレックスのところに持っていった者は誰一人としていなかった。
なぜか?
それは、みんなに罪の意識があったからだ。
毎日、マリンのご飯を食べたいという自分勝手で相手のことをまったく考慮しない浅ましい考え……その欲を満たすためだけに、食事当番のクジに細工をしていた。何度も何度も何度も何度も。
だから、マリンはいつも忙しそうにしていた。自分たちのことも気にかけてくれて、家事もして、おまけに食事当番も強引にやらせて。それなのに、自分たちはマリンに何か返してあげただろうか?この場にいるみんなが自問自答する。そして、出てくる答えは、みんな同じだろう。
……僕たちはマリン姉に何も返せてない。
そう、そんなみんなに罰が下ったのだ。その罰を受け入れ罪を償わなければならない。
そして、もっとマリンのお手伝いをしようと決意するのだった。
その日の朝食は、とても静かだった。
スープを啜る音だけが鳴り響く。誰も発言しない。静かな時間……いつもはとても騒がしいのに。
そんなみんなをマリンは目に涙を溜めながら見ていた。
……マリン姉を元気づけないと。
「ぅ……うぐッ……ふぅ…………マ、マリン、おかわり」
レックスは宣言通り、スープのおかわりをする。
……レックス兄は、やっぱりカッコいいな。
レックスは、クラウドの頼れる兄貴分だ。もちろん、鈍臭いところもあるが、一度決めたことはどんな困難があってもやり遂げる。そんな、泥臭くともひたむきな姿勢にクラウドは密かに憧れていた。
そんなことを考えていたクラウドの袖をレインが引っ張ってくる。
「どうしたの?レニー」
誰にも聞こえないように小さな声で問いかける。正直、小声で話す必要はないのだが、なんとなく今は話し声を立てたらいけない気がした。
「わたし、わかっちゃったの」
「えっと……何が??」
要領を得ない内容に、再度聞き返す。
「犯人は、レックス兄だよ」
「はい???」
憧れていた人物の名前を上げて、いきなり物騒なことを言い始めた。
ーーーーーー
朝の訓練の前に、洗濯を済ませる。いつもの日課だ。
ただ、いつもと違うことが一つだけある。
今日はレックスと一緒に訓練ができる最後の日。なので、みんながレックスとの最後の訓練ができるように、洗濯は全部一人で済ませようと思っていた。
嘘……本当は、一人になりたかったから。
澄み切った海のような群青色の髪を風でなびかせながら、マリンは一人で洗濯をしていた。すると……
「マリン姉、手伝うよ」
「わたしも!」
「……ッ!!……えっと……気持ちは、嬉しいんですけど……訓練は大丈夫なんですか??」
クラウドとレインが声をかけてきた。少し驚く。
「う、うん、大丈夫。早く済ませてマリン姉も一緒に広場に行こうよ」
「そうそう、今日はレックス兄最後だしね」
ズキッ!
一瞬、心が痛んだ。
「……そう、ですね……じゃあ、ラウ君はそちらの洗濯物を干すのお願いしますね。レイちゃんは……」
マリンはクラウドの足元にある洗い終わった洗濯物を指差す。そして、レインの方を向き、何を手伝ってもらうのか考える。
そのあいだも、心がズキズキと痛むのを感じていた。
……今の私、ちゃんと笑顔で話せてるでしょうか?
「マリン姉?大丈夫??」
「えっ!?」
レインが心配そうにマリンの顔を覗き込む。
「すごくつらそうな顔してる……何かあったの?」
「…………だ、大丈夫ですよ!ちょっと、考え事してただけで……」
「うそ。全然大丈夫そうじゃないよ。……レックス兄と何かあった??」
「……ッッ!!?」
まるで急所を突かれたような錯覚に陥り、体が硬直してしまう。
そのまま何も言えないでいると……。
「マリン姉にはいつもお世話になってるから、何かあったのなら力になりたいの」
「…………」
レインは真剣な眼差しでマリンに伝える。
言葉が出てこない。レインの言葉に答えることができない……なんて答えればいいのかわからない。
ふと視線を逸らせば、クラウドが洗濯物を干しながら、こちらをチラチラと見ていることに気づく。
二人がなぜレックスとの訓練よりもマリンの手伝いを優先させたのか。その理由はわかりきっている。マリンを元気づけるため。その二人の優しさに目頭が熱くなる。そして……
「……マリン姉??……きゃッッ!?ぐぷぅ…………く、くるじ、い……」
「…………」
「レ、レニーッ!」
マリンは思いっきりレインを抱きしめる……加減抜きで。まだ背の低いレインからすると、顔面にご立派な双丘を押し付けられて、その重量感と圧迫感で息ができない。
そして、しばらく抱きしめたあと、レインを解放する。マリンは今の自分の顔を見られないように二人に背中を向けた。
「……はぁ、はぁ、はぁ…………し、死ぬかと思った……」
「レニー、大丈夫!?」
「う、うん……やっぱり、マリン姉のお胸は……す、すごいよ……」
「そ、そっか……」
レインは新鮮な酸素を取り込みながら、マリンの双丘の破壊力にただただ震えていた。
「……やっぱり、洗濯は私がやりますね。二人はレックスお兄様と訓練をしてきてください」
マリンは二人を見ずに伝える。
「えっ、で、でも……」
「大丈夫ですよ。それに、洗濯するのけっこう好きなんですからね。私の仕事をあまり取らないでください」
震えているレインの代わりにクラウドが何か言おうとしていたが……最後まで聞けなかった。
「う、うん……わかったよ……マリン姉もすぐ来てね」
「ふふ、わかりました。終わらせたらすぐに向かいますね」
「うん。行こ、レニー」
クラウドは震えているレインを連れて広場に向かっていった。
「クーちゃん……わたしも、いつかは、あんなお胸に……」
「し、しっかりして!レニー!」
二人の後ろ姿を眺めながら、目頭を拭う。
結局、レインの問いかけに答えることができなかった。
洗濯を終わらせて広場に向かう。
足取りが重たい。できれば行きたくない。レックスに会うのが……怖い。
「「マリンおねえちゃん」」
孤児院の正面玄関の手前で呼び止められる。
振り返ると二人の子供が両手をうしろに回して、もじもじしながらこちらを見ていた。
「どうかしましたか?」
マリンは二人に問いかける。
「えっと……その……あのね……」
恥ずかしいのか、なかなか言い出せそうにない男の子……綺麗な水色の髪をした『デルフィ』がチラチラとマリンの顔と足元を交互に見る。
そこへ……
バシッ!
「ちょ、ちょっと!は、はやくわたすわよ!」
気の強そうな女の子……明るい橙色の長い髪をした『フォセカ』がデルフィの背中を叩く。
「わ、わかってるよ……」
「……??デル君、フォセちゃん、何かあったんですか?」
マリンはしゃがんで二人と目線を合わせる。
「あ、あのね……」
「マリンおねえちゃんに……わ、わたしたいものがあるの!」
「私にですか??」
「こ、これ……なんだけど……」
二人は緊張しながら、後ろ手に隠していた物をマリンに見せる。
「これは……花、ですか?綺麗ですね。これを私に?」
二人の手には綺麗な花があった。
「そ、そうよ!マリンおねえちゃんにあげるわ!」
「あ、ありがとうございます。……でも、急にどうして??」
マリンは二人から花を受け取る。
「それは、その……きょ、きょうのマリンおねえちゃん……なんだか……げんき、なさそうだったから」
「……ッ!!」
「だ、だから……きれいなおはなをみつけて、マリンおねえちゃんにプレゼントしようと、おもって……その……」
「は、は、はやくげんきになってほしかったの!」
「……ぁ…………」
デルフィは辿々しく、フォセカは勢いよく、花を渡した理由を伝える。マリンは二人のまっすぐな優しさに、目を見開いたまま言葉を失ってしまう。
「マ、マリンおねえちゃんには……いつもわらってて、ほしいから……その……げ、げんきないときは……」
「はなしくらい……き、きくから!」
「…………ぅ……」
顔が熱くなる、言葉が出ない、息が詰まりそう。体の中から、いろんな感情が込み上げてくる。……もうダメだ。
「……マリンおねえちゃん??……だ、だいじょうぶ??……どこか、いたいの……??」
目を見開いたまま固まっているマリンの顔を心配そうに覗き込む二人。顔がどんどん赤くなっていく。
「……ッ!?も、もしかしてねつでもあるの!?…………きゃッ!!?」
フォセカがマリンのおでこに手を伸ばす。その瞬間、フォセカを強く抱きしめる。そして……
「フォ、フォセカ!?……うわッ!?」
近くにいたデルフィも一緒に抱きしめる。……加減抜きで。
「「ぐ、ぐるじぃ……」」
「…………グス」
マリンは花を持ったまま、二人を強く強く抱きしめる。今回はしゃがんだまま抱きしめているため、顔面にマリンのすごい双丘を押し付けられることはなかった。苦しいけど、呼吸はできる。
そして、二人の耳元にちょうどマリンの顔がある。そこから、鼻をすする音が聞こえた。
「……マリンおねえちゃん……??」
「な、ないてるの……??」
「…………」
何も答えられない。
「「…………」」
「…………ッッ!!」
マリンの力が強くて身動きは取れないが、唯一自由に動かせる手で二人はマリンの頭を撫でる。
一瞬だけビクッ!とマリンが震えたのが伝わってきた。
「……だいじょうぶだよ……ぼくたちが、そばにいるから……」
「そ、そうよ!なきやむまでこうしてて、あ、あげるから!」
「……ッ……ぅ…………ぅぅ…………」
マリンは何も答えられなかった。
どのくらい二人を抱きしめていただろうか。
気持ちが落ち着いてきて、ようやくデルフィとフォセカを解放する。
「デル君、フォセちゃん、ありがとうございます。もう落ち着きました」
「あの……も、もうだいじょうぶなの……?」
「む、むりしてないでしょうね??」
「ええ、もう大丈夫です。……心配かけてごめんなさい……ふふ、本当に私はダメダメですね」
マリンは自分の不甲斐なさが情けなくて、自嘲気味に笑う。
「……そ、そんなこと……」
「そんなことないわッ!」
「……ッ!!」
自嘲気味な笑顔は、張り上げたフォセカの声にかき消されてしまう。
「マ、マリンおねえちゃんは……わ、わたしたちのじまんのおねえちゃんなの!」
「……そ、そうだよ……い、いつも、やさしいぼくたちの……じまんのおねえちゃん……だから、ダメだなんて……いわないで」
「………………ありがとうございます、二人とも」
再び熱いものが込み上げてくる。でも、今の顔を見られたくなくて……
「もらったお花をお部屋に飾ってきますね。二人は先に広場に行っててください」
立ち上がり、二人に背中を向けて広場に行くように促す。
「デル君とフォセちゃんも、私にとっては心優しい自慢の弟と妹ですよ」
背中越しに二人への思いを伝えた。
「お花、大事にしますね」
「ふ、ふん!わ、わわ、わかればいいのよ!」
「……じ、じまんのおとうとか……う、うれしい……」
「じゃ、じゃあ、いくわよ!マリンおねえちゃんもはやくきてよね!」
「わっ!?まっ、まって……ひ、ひっぱらないで……」
フォセカがデルフィの手を引いて、走り去っていく。
「…………ごめんなさい」
そんな二人のうしろ姿を見つめながら、マリンは誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。
レイン、クラウド、デルフィ、フォセカ……みんながマリンのことを気づかってくれる。それが、とても嬉しい。本当の本当に、心の底からとても嬉しい。
でも、その反面みんなの優しさが怖い。
その優しさにちゃんと応えることができてるだろうか……ちゃんと返せているのだろうか。こんなにも優しくしてもらっていいのだろうか。
いろんな考えが頭を巡る。
……私にそんな資格があるのでしょうか……。
「げんきだして」
「……ぅ…………」
「何かあったのなら、力になるから」
「…………ぁ…………」
「ぼ、ぼくたちに何かできることない?」
「……ッ……ぅぁ…………」
そのあとも、いろんな子供たちに呼び止められ優しい言葉をかけられる。その度に、みんなを抱きしめながら、涙を流した。
マリンが広場に到着したのは、朝の訓練が終盤に差し掛かった頃。もうそろそろお昼ご飯の準備をしなくてはいけない時間帯。
「……ごめんなさい、先生……遅くなりました」
「おー遅かったじゃねーかー、ぁ…………はぁ……大丈夫かー??」
マリンは、木剣を持ちながらみんなの訓練を眺めていたギデオンに声をかける。
ギデオンはマリンの顔を見て、呆れたようにため息をついた。
「……何がですか??」
「いやいや、さすがに無理があんだろ」
いつもの笑顔はどこへやら……今のマリンの表情はどんよりと暗い顔で、なおかつ泣いてたことが一目でわかるくらいに目が腫れている。こんな表情を見て、気にならない方がどうかしてるだろう。
「……そんなにわかりやすいですかね?……私は?」
「あぁ、ちょーわかりやすいな、お前は」
「……そうですか……上手く隠せてると思ってたんですが……」
「その表情でか??言っとくけど、今ちょーひでー顔してっからな」
「うぐッ……」
ギデオンからはっきりと言われ言葉に詰まる。いったい今の自分はどんな顔をしているのか。
「で、何があったんだ??」
「……そ、それは……その……」
「レックスか?」
「……ッッ!!」
「わかりやすッ!!……アイツと喧嘩でもしたのかー?」
「喧嘩……なのでしょうか……??…………レックスお兄様を怒らせてしまいました……」
「アイツが??……珍しいこともあるもんだなー」
レックスは普段から温厚で、怒ったりするところをほとんど見たことがない。そんなレックスを怒らせてしまった。
「で、なんでまたレックスは怒ったんだ??」
「それは…………」
レックスが怒った理由を聞かれる。だが、この話はギデオンにも秘密にしていたこと……言うわけには……。
「……いや、待てよ……もしかして、お前がこっそり危険な依頼を受けてることが原因か?」
「……ッッ!!!」
「ほんっとに、わかりやすいなッ!!」
マリンの驚愕の表情、それが図星だとこれ以上ないくらいに物語っていた。
「えっ!?……えっ……ど、どうしてそれを…………」
「バレたくなければなー、もう少し上手くやれよー」
「い、いえ、そうではなくて……」
ギデオンはヘラヘラと笑っている。上手く隠せてると思ってたのに。
「隠し通せてるとでも思ってたのかー??お前らとは踏んできた場数が違うんだよ、場数が」
「なっ!」
「それに、ここにいるヤツらはどいつもこいつも隠しごとが下手くそだからなー。バレバレだったぜー、ひひッ」
「うっ……」
ギデオンはからかうように笑っている。
「せ、先生……怒って……ますか?……私が勝手な行動をしたことを……」
「いや、怒っちゃいねーよ。あんな依頼くらい、マリンなら問題なくこなせると思ってたからなー。……まぁ、身の丈に合わない無茶な依頼を受けようとしてたら、怒ってたかもしんねーけど」
「そう、ですか……」
「それに、いざっていうときのためにお前の跡を付けてたんだぜー。気づいてたかー??」
「えっ!!?………………ほ、本当に、何もかもお見通し、なんですね……」
「言っただろ?場数が違うって」
まるで、気になる相手にいじわるをする悪ガキのように、ギデオンのニヤニヤ顔が止まらない。
その反面、マリンの表情はどんどん沈んでいく。
「……ごめんなさい」
「あん?」
マリンは沈痛な面持ちでギデオンに謝罪する。
「……私……最低ですね……先生に、迷惑をかけて……みんなにも、心配かけて……レックスお兄様にも……」
自分の不甲斐なさが嫌になってくる。
レックスに贈り物をする。そのお金を稼ぐために、危険な依頼を一人でこなそうと思っていた。そして、自分では問題なくできていたと思い上がっていた。実際は、ギデオンがマリンが危ない目に合わないように見張ってくれていたというのに。
今朝のことだってそうだ。いろんな子供たちに心配をかけて、慰めてもらって……。
……私は、情けなくただ泣いてただけ……。
レックスがいなくなったあとは、マリンが最年長になる。誰よりもしっかりしなくてはいけないのに。
「……ふふ、こんな私じゃ……みんなも、嫌になっちゃいますよね……」
「…………」
マリンは自嘲気味に笑う。いつの間にか、涙がこぼれていた。
……あぁ、泣いてばかり……。
「……ガキどもになんか言われたのか??」
「それは…………」
マリンはギデオンの問いかけに答えた。
今日の朝食後にレイン、クラウド、デルフィ、フォセカ、他の子供たちに励ましてもらったこと、慰めてもらったことを……。
「へー、アイツらがねー。……で、それを聞いてお前はどう思ったんだ?」
「……嬉しかった……です」
「なら、良かったじゃねーか」
「でも」
ギデオンの言葉を遮るように声を出す。そして、俯きながら辿々しく言葉を紡ぐ。下を向くと涙が地面に落ちていくのが見えた。
「……でも、こんな私に……みんなから優しくしてもらう資格は……あるので、しょうか……」
「……資格ねー」
ギデオンが空を仰ぎながら呟く。
「……怖いんです…………優しくしてもらった分、私はみんなにちゃんと返せてない……もらってばかりで…………そんなんじゃあ、いずれみんな…………私のこと……嫌いに、なる……私から、離れていく……」
「…………」
「……みんなが……私から、離れていくのが……怖い……です……」
ポロポロと涙を流しながら、抱えているものを少しずつ吐き出していく。
ギデオンは、その話を静かに聞いていた。
いつからだろうか?
マリンは幼い頃から人との別れが怖かった。十五歳になって孤児院を出ていく兄や姉を見送るたびに、心にぽっかりと穴が空くような喪失感を覚えた。
痛い、寂しい、苦しい、辛い。どうして、離れ離れにならなくてはいけないのか、ずっとずっと一緒にいればいいのにと、何度も何度も思った。
みんなが孤児院から旅立つ理由が理解できる年齢になっても、あいかわらず人と別れるのが怖かった。何度も引き止めたいと思った。「行かないで!」と言いたかった。もちろん、みんなのお手本になるために、そんな我儘はおくびにも出さなかったが……。
みんなが離れていくのが、とても怖い。
だから、みんなに嫌われたくない。
自分がどうしようもなく卑しくて、浅ましい人間に思えてくる。
みんなから向けられる優しさは本物だと思う。そこに損得勘定などない。そういった優しい行動を自然に行えるみんなを心の底から尊敬している。
それに比べて自分なんて、結局のところ嫌われたくないから行動しているにすぎない。離れるのが怖いから、嫌われると離れていくから……だから、みんなのために行動する。
我儘で薄汚くて、どうしようもない人間。
マリンは、自分のことがあまり好きではなかった。
……こんな私に、みんなと向き合う資格なんて……ありません……。
「……レックスお兄様も……私のこと、きっと嫌いになったと、思います……」
昨日のレックスとの会話を思い出し、そう結論づける。
「……はぁ」
ギデオンからため息をつく声が聞こえた。
……そうですよね……こんな私なんか、先生も呆れちゃいますよね……。
朝のみんなからの励ましの言葉を思い出す。
本当に嬉しい。でも、同時に罪悪感を覚える。
……私はみんなから優しくされるような人間なんかじゃありません……。
孤児院の子供たちは、マリンのことを慕ってくれて、自慢の姉だとも言ってくれた。
でも、本当の自分はそんな立派な人間ではない。そのことが心の底から申し訳なく感じる。
そして、いつかマリンの取り繕ったメッキが剥がれて、その本性にみんなも気づくだろう。卑しくて浅ましいマリンの本性に、きっとみんな幻滅する。
「……きっとみんな離れていきます……。だって、みんなも嫌ですよね……こんな卑しくて浅ましい私の……ことなんて……」
「ちっ」
涙を流しながら、辿々しく話を続ける。
その話を遮るように、ギデオンの持っていた木剣がマリンの頭に振り下ろされた。