4 『チキンのタルタル焼き』
「あら?どうかしましたか?」
「グラスを取りに来ただけだよ。先生が一緒に飲みたいんだってさ」
レックスは、夕飯を作ってくれているマリンの問いかけに答える。
「ふふ、そうですか。はい、こちらを」
マリンは微笑みながら棚にあるグラスを渡してきた。そして、
「ありがとう。………………いつも感謝しているよ、マリン」
受け取りながらお礼を言う。……日頃の感謝も含めて。
「レックスお兄様??」
レックスから、急に真剣な表情と声で感謝の言葉を言われ、驚くマリン。
「ど、どうしたんですか?急に……」
「いや、その…………もうこうやって、マリンにご飯を作ってもらう機会がなくなると思うとさ…………だから、今のうちにお礼を言っときたくて」
「……ッ!!」
マリンから息を詰める音が聞こえた。そして、露骨に顔を背ける。
「マリン?」
「……や、やめてくださいよ!!………………まるで、これが最後みたいに……」
マリンが声を荒らげる。
「ごめん……」
沈黙が流れる。
マリンが、『別れ』を人一倍寂しがる性格なのはもちろんレックスも知っている。ずっとそばで見ていたから。
成人になり孤児院から旅立つ兄や姉を見送る際に、毎回人に見つからないようにこっそりと泣いている。ただ、レックスも含めて、この孤児院には嘘の下手くそな人達が集まっているらしい。見送ったあとのマリンの微笑みには、必ず目を腫らした跡がある。その微笑みには悲壮感が漂っていて誰も触れることができない。だから、今だにマリンはみんなに気付かれてないと思っているのだろう。ただ……。
……バレバレなんだよ、マリン……。
「…………」
「…………」
チキンがフライパンの上でパチパチと焼かれていく音だけが響く。
今日の夕食は『マリンが作ってくれるチキンのタルタル焼き』、レックスの世界で一番好きな料理だ。きっと、旅立つ自分の為にこの献立にしてくれているのだと容易に想像が付く。……マリンのその優しさが心に突き刺さる。
……今回は、俺がマリンを泣かせてしまうのか……。
不甲斐なさを感じる。レックスにとってギデオンを除けば、マリンは人生で一番長く一緒にいた相手だ。年も近く誰よりもずっとそばにいた相手……レックスにとって世界で一番大切な人。そんな彼女に今悲しい顔をさせている。でも、そんなマリンになんて声をかければいいのか、まったく思いつかない。
……情けない自分が嫌になるよ。
レックスは、そんな自分を変えたくて魔法騎士になることを決めた。孤児院のみんな、そして、マリンを守れる男になる為に。
「マリン……あのさ、俺……」
「レックスお兄様!………………あんまり先生を待たせ過ぎるのは、ダメですよ。一緒にお酒を飲むのでしょう?」
伝えようと思った言葉をマリンに遮られてしまった。
「それに、今日の『チキンのタルタル焼き』は自信作なんです。……まぁ、王都にある『ヘスティア』に選ばれたお店に比べれば劣ると思いますが……それでも、楽しみに待っててくれないと悲しいじゃないですか」
レックスの言葉を遮るように捲し立てるマリン。
「あ、あぁ……」
レックスにとって、王都にある『ヘスティア』に選ばれた名誉あるお店など……心底どうでもよかった。
『ヘスティア』に選ばれなかったとしても、『マリンが作ってくれるチキンのタルタル焼き』がレックスにとって世界で一番好きな料理なのだ。それに、マリンの料理はその名誉に選ばれるくらいの美味しさだとも思っている。
問題なのは、今のマリンになんて言葉をかければいいのかまったく思いつかないこと。
レインに向かってまっすぐに自分の気持ちを伝えることができるクラウドが、本気で『勇者』に思えてくる。……その勇気のひとかけらだけでもわけてほしいくらいだ。
そんなことを考えていると……
「さぁ!レックスお兄様!もうちょっとでできますので、食堂で待っていて下さいね」
マリンは振り向きもせずに強めに伝えてきた。
「あぁ…………楽しみにしてるよ……」
レックスはグラスを持って厨房を出る。
「…………」
「…………クスン」
厨房から鼻を啜る音が聞こえた。
「おせーじゃねーかー、早く乾杯しよーぜー。……あん??」
「……あぁ、ごめん」
マリンから半ば追い出されるように厨房を出たレックス……その表情を見られて、
「……はぁ、なーに辛気臭い顔してんだよ」
「うっ、そ、それは……」
そんなに顔に出ていただろうか?ギデオンにさっそく、何かあったと悟られてしまう。
この場合、ギデオンがずば抜けて勘が鋭いのか、それともレックスがとんでもなく間抜けなのか……おそらく後者の比率の方が大きいだろう。
「おら!早く座ってグラス出しな!この俺が直々についでやるよ。ありがたく思いなー」
「あ、あぁ……ありがとう」
「……ったく!あぁあぁ、あぁあぁ、気の抜けた返事してんじゃねーよ。もっとシャキッとしろ、シャキッと!」
「ああ!分かった!」
レックスは俯きかけていた顔をあげて、持ってきたグラスを差し出す。
「おらよ」
トクトクトクトク……。
グラスになみなみとお酒がそそがれていく。
「ほれ、かんぱーい」
「乾杯」
グラスを打ち鳴らす。
ゴクゴクゴクゴ…………。
「ふー。そういや、マリンとはどうだ?」
「ブーッッ!!」
「きたねッッ!?」
盛大に吹き出してしまった!
「ゲホッ、ゲホッ、ゴホ……」
「あーあー、おい、これ使え」
テーブルの上に置いてあったタオルをギデオンから受け取る。
「あり、ありがとう。ケホ……」
「……ほんと分かりやすいよなー、お前は。すぐ顔に出ると言うか」
「…………まぁ、先生に育てられたからね」
「やかましいわッ!!」
ギデオンの言葉に軽口をたたく。
レックスは言わずもがなだが、ギデオンもなかなか嘘をつくのが下手だ。すぐ顔に出る。
血の繋がりはないが、こういった所は本当に似ているなと思う。
「……で、マリンとはどうなんだ?」
「それは…………」
「アイツ寂しがってたぞー。ここを出る前にしっかりと話してやんな」
「わかったよ」
レックスは静かに頷く。そして、ギデオンが急に訳知り顔になり、
「それに、アイツに言わなきゃいけないことがあるんだろ?」
「……ッッ!!?…………ど、どど、どうして、それを……??」
爆弾発言が出た!冷静さを失うレックス。
「まーまー落ち着けって。お前がいっつも誰のことを見てんのか気付かれてねーとでも思ってたのかー??」
「……ッ!!」
ギデオンがニヤリと笑う。……一生の不覚だ。
「う……うぅ……その……」
予想外すぎる言葉に何も言えず、うめき声を上げる。
「まぁ、俺から言えんのは……言いたいことがあんなら言えるうちにちゃんと言っとけってー話よ」
「……わ、わかったよ」
「………………じゃねーと後悔すんぞ……」
「…………先生??」
レックスは思わず呟く……ギデオンの最後の一言には有無を言わせない迫力を感じからだ。
お酒の入ったグラスを片手にだらしなく座っているはずなのに、その瞳に深い悲しみの色が見えた気がした。
……後悔、か…………。先生にもあるのだろうか?
レックスはギデオンの抱える後悔について聞いてみたくなった。
「先生にも……」
「あん??」
「……あ、いや……」
だが……触れてはいけない気がして、踏みとどまる。
……誰にだって言いたくないことはある。これは好奇心なんかで聞いてはいけないことだ。
「その……えっと、ひ、秘密にしといてほしくてさ」
咄嗟に話題を変える。
「秘密??」
「…………お、俺が、その……マリンのことがす…………き……す、すす……」
「いや、みんな気づいてっけど」
「がッッ!!?」
「気づいてないのマリン本人だけじゃねーかなー?アイツ勘は鋭いクセに、人からの好意には鈍感なところあるしなー…………って、おい!大丈夫か!?」
「…………ぁ、……ぁ………………ぁ……」
レックスは陸に上がった魚が酸素を求めるように、パクパクと無様に口を動かす。……い、息ができない!
「お、おい!レックス!しっかりしろ!…………あ」
向かいに座っていたギデオンが身を乗り出しレックスの肩を揺らす。すると……
「お待たせしました。レックスお兄様の大好きなチキ……」
「うひゃいッッ!!?」
「きゃッ!?」
「うおッ!?」
耳元から聞こえたマリンの声に驚き、変な叫び声を上げてしまう。マリンとギデオンもそんなレックスの奇行に驚く。
「お、驚きました……どうかされたのですか?レックスお兄様?」
「…………あ、いや……な、なんでもないよ……なんでもないなんでもない」
キョロキョロと目を泳がせながら、渦中の人物であるマリンに返答する。
「本当ですか??」
マリンは訝しむ表情でレックスを見る。
「ほんとほんと……な、なんでもないよ」
「まぁ、男同士の秘密のお話だ。マリンには聞かせられねーなー。それよりも、早く食わねーとせっかくの料理が冷めちまうぜ」
ギデオンがヘラヘラ笑いながら、レックスに助け舟を出す。
「……わかりました。でも、あまり驚かさないでくださいね。あやうくお料理を落とすところでしたよ」
……怒られてしまった。
「ご、ごめん」
「ふふ、今日はレックスお兄様のためにたくさん作ってますので、いっぱいおかわりしてくださいね」
マリンが微笑みながら、テーブルに料理の入ったお皿を置く。
「あぁ、もちろん……ッ!!」
「……??」
「…………ありがとう、マリン」
「どういたしまして、レックスお兄様」
レックスは、マリンの目が少しだけ腫れてることに気づく。……ズキンと胸が痛んだ。
『マリンが作ってくれるチキンのタルタル焼き』は、相変わらず絶品だった。世界一の料理と言っても過言ではない。それに、今日のはいつも以上に美味しく感じた。
……毎日でも食べたい!
もちろん、全部無くなるまでおかわりもした。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
ギデオンは部屋に戻り、今は二人だけで食堂にいる。
「ふふ、こんなにいっぱい食べてもらえると作った甲斐がありますね。凄く嬉しいです。……ちなみに、今日のは自信作だったんですが、どうでしたか?」
「もちろん、今日のも美味しかった……けど、確かにいつもと風味が違ったような……それに少しスパイシーな感じもして……」
「奮発して、王都で一番高いスパイスとハーブを取り寄せてもらいまして……それを使っちゃいました」
「……ッ!?」
マリンがイタズラっぽく微笑む。
「ちなみに、このスパイスとハーブは疲労回復に効果抜群らしいですよ。それに、免疫力を高めたりする効果も……」
「ちょ、ちょっと待って!マリン!」
レックスは驚き、隣に座っているマリンに詰め寄る。
「そのお金はどうしたのさ!!」
思わず声を上げてしまい、マリンがビクッと肩を震わせた。そして、黙り込む。
「…………」
レックスたちが暮らす孤児院の生活費は、冒険者として活動しているギデオンが稼いでいる。
子供たちの面倒も見なくてはいけないので、難易度が高くて時間のかからないものを優先的に選んでいる。主に危険な魔物の討伐がメインだ。まぁ、ギデオンに限ってやられることはないと思ってるのでそこまで心配はしていないが。
子供たちも大きくなると、訓練がてらギデオンと一緒に魔物討伐の依頼を受ける。今の孤児院の中だと、レックスとマリンだ。ほかの子供たちは、まだまだ幼いのでしばらく先になるだろう。
そういった収入があるため、そこまでお金に困っているわけではないのだが……裕福とも言いがたい。当然、不必要な贅沢はしない方がいいだろう。
そんななか……
……王都からスパイスやハーブを取り寄せた、だって?いったいいくらかかると……。
レックスはマリンの発言に驚きを禁じ得ない。
王都から物を取り寄せたりするのはかなりのお金がかかる。荷物を運ぶ人や動物、荷車の費用。そして、街道などに出現する魔物から身を守るための護衛費用などなど。枚挙にいとまがない。
それに王都の商品は、普段買い出しをする近くの村などとは比べられないほど値段が高い。ましてや、一番高い商品など簡単に手が出せる金額ではないはずだ。
では、そのお金はどこから……そんなものわかりきっている。きっと、報酬の高い依頼を一人で受けたに違いない。当然、報酬が高いということは、それだけ危険だということ。
「どうしてこんなことを?」
努めて冷静に事情を聞こうとしているつもりだが……無意識に責めるような口調になっていることに、そして感情的になっていることにレックスは気がついていない。
「……なんのことですか?」
マリンが目を逸らす。
「なんのことって……スパイスやハーブを買ったそのお金は、危険な依頼を受けて稼いだお金なんじゃないのかってことだよ」
「……まぁ、ちょっとだけ危険だったかもしれませんね」
「ちょっと……?」
マリンがとぼけた風に答える。
「でも、大丈夫ですよ!問題なく達成できましたし!……それに、私が強いのはレックスお兄様も知ってるでしょう?」
誤魔化すようにイタズラっぽく微笑む……だが、
「俺が言いたいのはそういうことじゃない!!」
その表情に答える気にはなれなかった。
「……ッ!!」
普段、声を荒らげたりしないレックスの怒鳴り声を聞いて、マリンは息を詰める。
「なんでそんな危ないことをしたんだよ!」
「…………そ、それは…………レックスお兄様に……喜んで、もらい、たくて……」
レックスの剣幕に、マリンがたどたどしく答える。
マリンがレックスの為にしてくれた行為なのは、当然理解しているし、心の底から嬉しく思っている。だけど……
「…………どれだけ危険な行為なのか、マリンだってわかってるはずだ。下手したら怪我では済まない。危険な依頼で命を落とす人だっている。…………俺は、マリンにそうなってほしくないんだ」
納得はできなかった。
マリンにもしものことがあったら……レックスは罪悪感に押し潰されてしまうから。
「マリン、約束してほしい。もう二度とこんな危険なことはしないって」
「…………」
「……マリン?」
「…………迷惑、でしたか?」
マリンが涙目でレックスを見つめてくる。
「……ッ!……いや、迷惑ってわけでは……」
その表情を見て、レックスは冷水を浴びせられたように、感情的になっていた心が急速に冷めていくのを感じた。
「私は、ただ……喜んでほしくて………………ごめんなさい」
「あ、いや……その……」
マリンは手で顔を覆う。レックスは彼女を傷つけてしまったのだと気づく。
「…………」
「…………」
こんな時に気の利いた言葉が言えればいいのだが……情けないことにまったく思いつかない。ただただ沈黙が続く。すると……
「だから!ダメなんだってば!」
「なんで!どうして!」
浴室の方から騒がしい声が聞こえた。
……またあの二人か。
「ダメなものはダメなの!レニー!」
「前は一緒に入ってくれたのに!やっぱりわたしのこと……」
「だから!違うってばー!」
「あっ!逃げた!待ってクーちゃん!」
ドタドタドタドタ!!
「…………」
「…………」
いつもなら、騒いでる二人を注意しに行くのだが……今はとてもではないがそんな気には…………。
「二人を注意してきます」
「……!?あ、あぁ……」
マリンが静かに立ち上がり食堂を出て行こうとする。レックスはそのうしろ姿に向かって咄嗟に声をかける。
「マ、マリン……俺は、その……」
「迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
マリンは立ち止まり、振り向きもせずにレックスに謝罪をする。まるで、レックスの言葉を遮るように。
「あ、いや……別に迷惑だなんて思ってるわけじゃ……ただ、マリンには怪我とかしてほ……」
「私は、一人でも問題ありませんから」
「……!?」
「なので、レックスお兄様が心配することではありませんよ」
「え、ぁ……」
マリンからの拒絶の言葉にレックスは狼狽えてしまう。
「おやすみなさい、レックスお兄様」
結局、一回も振り返ることなくマリンは食堂を出て行った。
「…………マリン……」
食堂に一人取り残され、項垂れる。
あんな態度のマリンは初めて見た。そして、後悔する……彼女を傷つけるつもりはなかったのに。
レックスは使った食器を厨房へ持って行き、一人で洗う。
普段、こういったことはマリンに任せることが多かったし、一人で洗っているのに気づくと必ず手伝ってもくれた。もちろん、家事などを率先してやってくれる彼女に心から感謝をしている。ただ、その感謝を日頃から言葉にして、ちゃんと伝えていただろうか?と思う。
レックスは情けない自分を殴ってやりたくなる。正直、口が上手い方ではないとは自覚しているが……だからといって、感謝の言葉を言わなくてもいいわけではない。
そんな、当たり前の気遣いができていれば、さっきみたいにマリンを傷つけることはなかったのかもしれない。
……せっかく俺のためにしてくれたマリンの優しさを理由も聞かずに怒鳴りつけるなんて……自分のバカさ加減が嫌になるよ。
「……はぁ」
そんなことを思いながら、ため息をつく。
マリンは、二人を注意しに行ったきり戻ってこなかった。