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1 『いつもの日常』




 ガッ!ゴッ!……ガンッ!


「ハァハァ……」


 長い漆黒しっこくの髪をうしろで束ねた少年が、肩で息をしながら目の前の相手を睨みつける。

 そこには、無造作に伸ばした白髪しらがの男が立っていた。その男は、息一つ切らしてない涼しい顔で少年……クラウドを見返す。


 ここは、クラウドとレインが暮らす孤児院、その正面にある広場だ。この広場は子供達の遊び場けん、訓練などを行う場所になっている。


 その場所で今、クラウドと院長先生である『ギデオン』が、木剣(ぼっけん)で一対一の模擬戦を行っている。


「へぇー、やるようになったじゃねーか」


「くっ!……まだだ!」


 ヒュッ!


 クラウドが木剣を振り上げる。だが、それをギデオンが軽々とよけて、


「おっと、あぶねー。……だが」


 トン。


「いたッ」


 持っている木剣でクラウドの頭を軽く叩く。


「まだまだ硬いなー、少しは体の力を抜きな」


「ハァハァ、くそッ!」


 呼吸を整える為、少しうしろに下がり距離をあけるクラウド。一方で、まったく呼吸の乱れてないギデオン。


「休ませねーよ」


 ニヤッと笑みを浮かべた後、一息に距離を詰める。そして、上段から木剣を振り下ろす。


「うわっ!」


 ガンッ!


 クラウドは、木剣が頭に落ちてくる前に自分の木剣でそれを受け止める。


「おー、良い反応速度だ。今のは決まったと思ったんだが……な!」


 受け止められた木剣を素早く動かし、クラウドの足に引っ掛ける。そして、


「えっ、うわッ!……ぐぇッ!!」


 体が反転、受け身も取れず地面に叩き付けられてしまう。

 今回も、ギデオンの勝ちである。


「ハァハァ、いてて……また負けた」


 最後の、まったく見えなかった……。


「ハハッ!クラウド、お前はもう少し視野を広げた方が良い。剣筋は悪くないが、予想外の攻撃に弱い。そこを意識してみろ」


 ギデオンはいつも、模擬戦などのあとに弱点や改善点を教えてくれる。それは、強くなりたいクラウドにとって凄くありがたい事なのだが……。


「…………」


 全然息を切らしてない……。


「ん?どした?」


「なんでもないよ、先生」


 勝てるイメージがまったく湧かない……。

 ギデオンの強さに、クラウドは思わず戦慄する。


「そろそろ、昼飯にするか?」


「いや。もう一本お願い、先生」


 それでも、クラウドはあの日の決意を無駄にしない為に……そして、レインを守れるようになる為に、もう一度木剣を構える。


「おう、いいぜ。いつでもかかってきな」


 ギデオンがニヤッと笑みを浮かべた。




ーーーーーー




 そんな二人を、少し離れた場所から一人の少女が眺めていた。陽の光を浴びて、光り輝く銀白色ぎんはくしょくの髪を長く伸ばし、くりっとした目の愛らしい顔つきの少女だ。その姿はまるで天から舞い降りた天使のようであると形容しても、誰も異議を唱えたりしないだろう。

 そんな可憐な少女……レインが、静かに呟く。


「クーちゃん、本当に強くなったなー」


 戦い方を本格的に教わり始めた頃と比べて、格段に強くなった。同年代はもちろん、大人にも負けないくらいには強い。ただ、相手をしているギデオンが強すぎるせいか、本人は全然満足していない。何度倒されても立ち向かっていく。その姿を見てると思わず応援したくなる。

 そんなことを考えていると……


「あっ!負けちゃった……」


 クラウドがギデオンにひっくり返されてしまった。

 クーちゃん、悔しそうな顔してる。でも……


「その顔も可愛い」


 頑張ってる時の顔も大好きだが、負けた時の悔しそうな顔も大好き……つまり、レインはクラウドのいろんな顔が見たいのだ。

 もっとそばでクラウドのことを見ていたい。片時も離れたくない。だが……


「…………」


 最近、クーちゃんが素っ気ない気がする。……わたし何かしちゃったのかな?

 レインは最近のクラウドの様子に違和感を待つ。

 いやだな……クーちゃんにだけは嫌われたくないよ……。

 嫌な想像が頭をよぎり、涙が出そうになる。

 泣いちゃダメだ!泣いちゃダメだ!泣いちゃ……ダメ、だ……。

 そんな事を考えていると、クラウドが再び木剣を構えてギデオンに立ち向かっていく。


「クーちゃん!頑張ってーー!!」


 嫌な想像を振り払うように、声を上げる。

 すると、


 コツン!


「あいたッ!」


 木剣が頭に落ちてきた。


「よそ見ばっかりしちゃダメですよ」


「マリンねぇ……」


 レインも今は模擬戦中。ただ、今回のようにいつもクラウドばっかり眺めてて、よくいろんな人から注意を受ける。

 この孤児院では院長先生であるギデオンの意向で、日頃から戦う為の訓練を行っている。

 今やっている模擬戦もその一環だ。

 この孤児院付近は問題ないが、場所によっては魔物が出現する所もあり、もし魔物に出くわした場合、自分の身を守る術を持たないと命を落とす可能性だってある。だからこそ、みんなが戦い方を身に付ける。それが、ギデオンの考えらしい。


 ちなみに、今日の対戦相手は五歳年上の『マリン』だ。レインを天使と形容するならば、マリンは女神もしくは聖女だろうか。澄み切った海のような群青色ぐんじょういろの髪を腰まで伸ばし、まだ十三歳にもかかわらずとても大人びた雰囲気のする美少女だ。普段はおっとりしていて、とても優しい孤児院みんなのお姉さん的な存在なのだが……とにかく強い。ギデオンを除けば今の孤児院で一番腕が立つ。誰も勝てない。


「もー、ラウ君と仲が良いのは良い事ですけど、訓練はちゃんとしないといけませんよ。…………レイちゃん??」


 マリンが驚いた顔でレインに声をかける。


「……どうかしましたか?泣きそうな顔をして」


 心配そうな顔でレインの顔を覗く。


「マリン姉……わたし……わた、し……うぅ」


 マリンの問い掛けに、つい我慢していた涙が溢れてくる。そして、レインの手にあった木剣が地面に落ちた。


「仕方ありませんね……いらっしゃい」


 マリンは手に持っていた木剣を丁寧に地面に置いて、そのままレインを優しく抱きしめる。


「よしよし。レイちゃんは、いくつになっても泣き虫なんですから」


 十三歳の少女の割に高身長なマリンの、豊かな双丘に顔を埋める。柔らかくて、温かい。


「うぅ……ぐす……」


 マリンの心臓の鼓動を感じながら、優しく頭を撫でてもらう。凄く安心する。

 ……もしも、わたしとクーちゃんにお母さんがいたら、こんな感じなのかな?

 マリンはよく、泣いている子供達を抱きしめて安心させてくれる。そして、泣き止むまで頭を撫でてくれる。まるで、親が子を慈しむように。


「何があったんですか?」


「ぐす……さ、最近……クーちゃんが、うぅ……」


「ゆっくりでいいですよ。……ラウ君と喧嘩でもしたんですか?」


 レインは嗚咽混じりの声で答える。そして、マリンはそれに耳を傾ける。


「……ううん。け、喧嘩はして、ない。ぐす……で、でも、最近、クーちゃんが……そ、素っ気なくって、避けられてる気が、する、の……うぅ、クーちゃんに……嫌われちゃったのかな?……うぅ、ぐす……嫌われたく、ない、よ……うぅ」


 マリンは、涙の止まらないレインを強く抱きしめて背中をさする。


「大丈夫、大丈夫ですよ、レイちゃん」


 しばらく抱きしめたままでいると、落ち着いてきたのか、嗚咽混じりの声が止まる。そして、


「レイちゃん、どうしてラウ君に避けられてると思ったんですか?」


「……最近、クーちゃんが一緒にお風呂に入ってくれない」


 マリンの顔を見ながら答える。


「…………他にはありますか?」


「……前までは、わたしが服着ないでクーちゃんのベッドに入っても何も言わなかったのに……最近は服着ないとダメって言うの……」


「え、えっと……服着ないって、つまり裸ってことですか?」


「うん」


「………………」


 ……なぜか、マリンは困った顔をしていた。


 この孤児院は子供部屋が何部屋かあり、みんなそれぞれ自分の部屋で寝泊まりしている。

 ちなみに、クラウドとレインの二人は同じ部屋だ。これは二人の……特に、レインの強い強い凄く強い要望の元に決定した事である。

 二人は同じタイミングでこの孤児院に来た。なので、最初は同じ部屋で過ごし、大きくなったら別々の部屋に移そうと、ギデオンやマリンも考えていたのだが……レインが手をつけられないくらい大泣きして、今に至る。


「……レイちゃん、今でも服着ないで寝てるんですか?」


「……ううん。最近は、服着ないとクーちゃんのベッドに入れさせてくれないから……着てるよ」


「そう、ですか。…………えっと、レイちゃんはどうして服を着たくないんですか?」


 マリンが恐る恐る聞いてくる。


「もっとクーちゃんとくっつきたいから……服があると邪魔」


「な、なるほど………………ふぅ」


 マリンは困った顔から意を決したように息を吐き、いつもの笑顔でレインの目を見る。そして、


「レイちゃん。ラウ君はレイちゃんのこと嫌っていませんよ。……ただ、恥ずかしいんだと思います」


 落ち着いた声でレインに言い聞かせる。


「恥ずかしい?」


「そうです。以前よりも心と体が大人に近づいて、レイちゃんのことを異性として意識し始めてるのだと思います。だから、一緒にお風呂に入ったり……は、裸でベッドに入ってこられたりするのが恥ずかしいんですよ」


「異性として……じゃあ、マリン姉も先生やレックスにぃ達とお風呂に入ったり、裸でベッドに入ったりするの恥ずかしい?」


「……ッ!?」


 マリンが息を詰まらせる。心なしか顔が少し赤い。


「と、とと、殿方とおふ、お風呂に、入って……は、裸でベッドに入る、な、なんてしま、しません!……じゃなくて、わ、わたくしも恥ずかしいと思いますよ」


 マリンがしどろもどろしながら答える。こんなマリンを見るのは珍しく、レインは驚いてしまう。つまり、それほど恥ずかしいことなのだろう。


「も、もちろんこれは、私が先生とレックスお兄様のことが嫌いというわけではありません。お二人のことは敬愛しています。でも、一緒にお風呂やベッドに入るのは別です」


「恥ずかしいから?」


「そうです。レイちゃんにもそのうち分かりますよ。ラウ君の気持ちが」


 落ち着いたのか、いつものように微笑みながらマリンが答える。


「うん、わかったよ。マリン姉がそう言うなら我慢する」


「ふふ、良い子ですね。……さてと、そろそろお昼ご飯の準備をしましょうか。レイちゃんは、先に顔を洗ってきた方が良いですね。涙の跡が残ってます」


 そう言いながら、マリンは模擬戦で乱れたレインの髪を手櫛でとかす。そして、額に軽くキスをする。泣き止んだ時に必ずしてくれる……なんだか心が温かくなる。


「じゃあ、顔洗ってくるね。ありがと、マリン姉」


「どういたしまして」


 微笑んでるマリンにお礼を言って、レインは孤児院の中に走って行った。




ーーーーーー




「クーちゃん!頑張ってーー!!」


 少し離れた所から、レインの声が届く。

 心の底から力が湧いてくる気がする。頑張れとそう言われたからには、頑張らなくては!


「おっと、さっきよりも速くなったじゃねーか。……ほんと仲良いよな、お前ら」


 クラウドの剣さばきに対して、ギデオンが苦笑気味に答える。

 レインの応援を受けて、剣を振るう速さが増しているらしい。クラウド自身は無我夢中なので自覚は無いが、ギデオンが言うのだからそうなのだろう。


「ハァ、フッ!」


 ガン!ゴッ!

 息を吐き、切り掛かる。さっきよりも長く戦えている気がする。


「そこだッ!!」


 ガッッ!!

 木剣ぼっけんを大きく振り上げ、ギデオンの木剣にあてる。


「……やるじゃん」


 ギデオンの握っている木剣が頭上に上がる。そして、ガラ空きの胴体に向けて一撃を…………


「…………ぁ」


 クラウドは見てしまった。

 視界の端に、マリンに抱きしめられながら泣いているレインの姿を……。

 まさしく一瞬だった。ほんの一瞬意識がそれた。たったそれだけのはずなのに……ギデオンにはそれで充分だった。


「よそ見すんじゃねーよ」


「えっ、うわッ!……ぐぇッ!!」


 すぐにそれた意識を戻そうとしたが……ギデオンの足に両足を引っ掛けられて再び地面にダイブする。勢いがついてたから凄く痛い。


「まったく、お前って奴は……」


 コツン。


「いたッ」


 木剣で頭を叩かれた。


「せっかくこの俺が、腕を上げたなーって褒めてやろうと思ったのによー。お前、レインと仲が良いのはいいけどよ、あいつの事になるとすぐに動揺するの悪い癖だぜー」


「…………う、うん」


 ギデオンの言葉にぐうの音も出ない。


「さてと、今度こそ昼飯にするか!もし怪我とかしてんなら、マリンに治してもらえよー」


 そう言って、ギデオンは孤児院の中に入っていった。

 そして、クラウドはマリンの方へ走っていく。レインはもういないようだ。


「マリンねぇ!」


「ラウ君、怪我治しますね」


 マリンは呼び掛けに気付いて振り返り、治癒魔法を発動しようとする。

 この孤児院では、ギデオンの意向で戦い方を身に付ける訓練を行っている。その中で、クラウドはレインを守れる力を付ける為に、他の子供達がやらない特別訓練を受けている。王国を守る騎士団員でも音を上げるほどの過酷な訓練。ついてこられたのは、マリンと十五歳のレックスとクラウドのみ。本来は十歳にも満たない子供にさせる訓練内容ではないのだが、クラウドが無理を言って強引に参加している形だ。クラウドが懇願した時のギデオンの苦虫を噛み潰したような顔は、今でも思い出す。

 当然、怪我をする頻度も他の子供達よりもはるかに多い。なので、マリンによく治してもらっている。クラウドも治癒魔法が使えれば良いのだが……全然上手くできない。


「ちょ、ちょっと待って!」


 マリンの治癒魔法が発動する前に待ったをかける。


「どうしたんですか?ラウ君」


「……さっき、レニー泣いてなかった?何かあったの?マリン姉」


「あー、さっきのですか。心配しなくても、もう大丈夫だと思いますよ」


「…………??」


「治癒魔法かけますね」


 マリンの手の平が少しだけ緑色に光る。そして、その光が手の平からクラウドの体へと移っていく。体が温かくなるのを感じ、幸福感や安心感を覚える。思わず目を閉じて、その温かさに身を委ねた。そんなクラウドを優しく見つめながら、髪や服に付いた土や汚れを手で払っていく。そして……


「マリン姉、いつもありがとう。……うわッ!?」


 目を開けると、マリンの唇が迫っていた。驚いてすぐにまた目を閉じる…………額に温かい感触がした。


「マ、マリン姉!子供扱いしないで!」


 顔がカーッと熱くなる。クラウドはもちろんレイン一筋なのだが……そうは言っても、やっぱり綺麗なお姉さんにキスをされるのは気恥ずかしい。特に、最近は異性を気にし始めてきたから、なおさらだ。


「ふふ。そんな寂しいこと言わないでください、ラウ君」


 そんなクラウドをイタズラっぽい笑顔で見つめたあと、レインにしたみたいに抱きしめる。

 ちなみに、クラウドとレインの身長は同じくらいだ。つまり、当然クラウドの目の前にもマリンの豊かな双丘があるわけで……そのまま柔らかい感触に出迎えられる。

 ……柔らかくて、温かい。

 マリンの心臓の鼓動を感じながら、優しく頭を撫でてもらう。凄く安心する。

 ……もしも、僕とレニーにお母さんがいたら、こんな感じなのかな?


「今朝の模擬戦もご苦労様でした。本当に強くなりましたね、ラウ君」


「う、うん……ありがと……」


 正直まだまだと思っているクラウドだが、こうやって頭を撫でられながら褒められると、なんともこそばゆい気持ちになる。


「さてと、そろそろお昼ご飯の準備をしましょうか。怪我はもう大丈夫ですか?」


 マリンはクラウドから手を離し怪我が治ったかどうか問いかける。


「うん、もうどこも痛くないよ。いつもありがとう、マリン姉」


 クラウドは自分の体を確認しながら答える。どこにも傷跡は残っていなかった。

 ……やっぱりマリン姉の治癒魔法は凄いな。


「……マリン姉。僕に治癒魔法を教えて」


「治癒魔法ですか?」


「うん。治癒魔法が他の魔法よりも難しくって、使える人が少ないのは知ってる。……でも、もし僕も使えるようになったらマリン姉の負担を減らせると思う」


 魔法には属性があり、それぞれ習得難易度や使用者との相性などがある。

 特に、治癒魔法などの生命に働きかける魔法は難易度が高く、且つ相性が良い者も少ない。……相性が悪い者でも訓練次第でできるようにはなるのだが、成果は芳しくない。なら、いっそのこと他の魔法などを極めた方がマシということで、ますます治癒魔法が使える者は限られてくる。

 この孤児院ではマリンが一番治癒魔法を上手く使える。ちなみに、ギデオンは相性が悪いらしく、いちおう使うことはできるが……かなり下手くそだ。

 そんなこともあって、クラウドを含めみんながマリンを頼ってしまうのが現状だ。いつも孤児院の子供達の面倒を見てくれて、誰よりも忙しくしているマリンの手助けが、今のクラウドにはできないことがなんとももどかしい。

 ……少しでもマリン姉の負担を減らしてあげたい!それに……


「それに……も、もしもマリン姉が怪我した時に、僕が治してあげられる!」


「まぁ!」


 マリンが驚いて口に手を当てる。

 クラウドはレインを守れるようになる為に強くなりたいと思っている。でも、それと同じようにマリンや先生、孤児院のみんなのことも守れるようになりたいとも思っている。そして、もし誰かが怪我をした時はすぐに治せるようにもなりたい。

 ……もっとも、誰よりも強いマリンが怪我をする場面などまったく想像はできないが……。


「ど、どうかな?」


「ふふ、そう言ってくれると凄く嬉しいですね。……ただ」


 マリンの表情がイタズラっぽい顔に変わる。そして……


「ただ?…………うわッ、ぷ!?」


 またマリンに抱きしめられて、再び双丘にダイブする。

 ……柔らかくて、温かい。


「もし、ラウ君が治癒魔法を覚えてしまったら、こうやって抱きしめる機会も減ってしまいますね……とても寂しいです」


「へっ??」


 大切な物を守るように、抱きしめる手に力を入れる。クラウドの顔がどんどん埋まっていく。

 ……柔らかくて…………く、苦しい!

 治癒魔法を使う上で、必ずしも相手を抱きしめる必要はない。というか、これはマリンの趣味みたいな……いや、どちらかというとへきみたいなものだ。

 マリンの抱擁と額へのキス……悪い気はまったくしないのだが、クラウドを含めある程度の年齢になった少年達にとっては刺激が強すぎる。とても恥ずかしい。特に、最年長のレックスはいつもゆでダコのように顔を真っ赤にしている。


「ふふふ。冗談です」


 ……ほんとに??

 マリンの抱きしめる力が弱まり苦しさから解放され、そして、また頭を撫でてくれた。


「分かりました。今度時間を取ってわたくしと一緒に治癒魔法の練習をしましょう。……でもその代わりに、もし使えるようになったとしても、またこうして抱きしめさせて下さいね。それが条件です」


「わ、分かったよ」


「では決まりですね。…………グス」


「マリン姉?」


 鼻をすする音が聞こえた。


「嬉しかったので、つい。……ありがとうございます、ラウ君」


「え?……お礼を言うのは僕の方だけど??」


 マリンからの急な感謝の言葉に戸惑ってしまう。


「ふふ。…………ラウ君は、私の自慢の弟ですよ」


 あまりにも小さな声だったので、耳元で囁いてるはずなのにほとんど聞こえなかった。

 そして、マリンはクラウドから体を離す前に、また額にキスをする。恥ずかしい。


「……今度こそお昼ご飯の準備をしないと、みんながお腹を空かせちゃいますね」


 マリンは微笑みながら孤児院の中に向かおうとする。しかし、何かを思い出したように振り返って、


「そういえば……お昼のお勉強が終わったら、レイちゃんと一緒に『()()()』を見に行ったらどうでしょうか?きっと喜びますよ」


 クラウドに提案する。


「レニーと?分かった、けど……どうして?」


「さっきレイちゃんが泣いてるのを気にしてたから、ゆっくり話をしてみるのも良いかなと思いまして。……あっ、でも夕飯までには戻って来てくださいね」


「うん、分かったよ」


 レインは『死の花』が好きだ。だから、よくクラウドと一緒に見に行っている。

 昼の勉強が終わったらレインを誘いにいこう。そんなことを考えながら、クラウドとマリンは孤児院の中へ……


「ラウ君、手を繋いでもいいですか?」


「は、恥ずかしいよ!」


 手を繋いで入っていった。




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