プロローグ 『二人はおよめさん』
「ぐす……ぐす……こわいよ……」
「なかないで……ほら、てをにぎって」
「うぅ……うん……」
差し出した手を握る。
「……はなさないでね」
「ぜったいにはなしたりしないよ、いっしょにおうちにかえるまでは」
「……やくそくだよ?」
「うん、やくそく」
雨が降る暗い森の中を、二人の子供が恐る恐る歩いている。
まわりは真っ暗でほとんど何も見えない。手を繋いでいる相手の顔がうっすらと見えるくらいだ。
いったいどれくらいの時間歩いただろうか。
ちょっとした冒険のはずだった。
綺麗な花があるという話を聞いて、探しに来たら迷子になってしまった。
明るかった空も真っ暗になり、雨も降ってくる。
大人でも危険な夜の森の中、幼い子供である2人がどれほど怖い思いをしているのか、想像に難くない。
「ぐす……くーちゃん、ごめんね……。わたしがきれいなおはながみたいって、いったから……」
「れにーのせいじゃないよ。ぼくもせんせーにきいたときから、ずっとみてみたかったもん」
そう言って、男の子が女の子の方を向く。そして、両手で包み込むように手を握る。
女の子の手が震えているのに気付いたから、
「だいじょうぶだよ」
「…………」
悲しい思いや、怖い思いをしないように優しく声をかける。
「れにーがなきやむまで、ずっとそばにいるから」
「……ぐす……ほんとに?」
「ほんとだよ。ぼくたちはずっといっしょ。やくそく」
「……うん、やくそくだよ」
いつの間にか手の震えが止まっていて、ようやく笑った顔を見せてくれた。
「ありがと、くーちゃん。だいすき」
「…………うん」
心が温かくなるのを感じる。男の子は女の子の笑った顔が大好きだった。
「えっ、あれは……?」
「どうしたの?くーちゃん」
「なにかひかってる」
男の子の視界の先、女の子の肩越しにうっすらと光り輝くものが見える。
「ほんとだ。なんだろう?」
女の子も振り返って光を見た。
「もしかしたら、せんせーがさがしにきたのかも……いってみよう。てをはなさないでね」
「うん、はなさない」
手を握ったまま光の方へ歩いていると、少しひらけた場所に出る。
その場所には、たくさんの花が植えてあった。
「あっ!…………きれい」
女の子が、驚きのあまり目を見開きながら呟く。
なぜなら、そこにあるたくさんの花が、光り輝いていたからだ。
「ほんとだ……あれがせんせーがいってたおはなかな?」
そこに咲いている花はどれも幻想的で綺麗だった。まるで、二人で夢の世界に入り込んでしまったよう。
「きっとそうだよ!くーちゃん、やっとみつけたね!」
「うん。このおはなみんなにもみせてあげたいな」
「きっとみんなよろこぶよ!…………あれ?」
「れにー?どうかした?」
「くーちゃん、あれっておうちじゃない?」
女の子が光り輝く花よりもさらに奥の方を指差した。見慣れた建物の屋根が見える。
「……ほんとだ。ぼくたちのおうちだよ。まさか、おうちのうらてにさいてたなんて……」
どうやら、森を彷徨っているうちに、二人が暮らしている孤児院の裏手に来ていたらしい。
男の子はホッとしたような、気が抜けたような……なんとも複雑な気持ちになった。
一方、女の子は……
「やったね!これでいつでもみにこれる!くーちゃん、これからはまいにちみにこよーよ!」
凄くはしゃいでいた。
花と孤児院を見つけてよっぽど嬉しかったのか、泣いてたのが嘘のように笑顔になる。
「わぁ、ほんときれい!」
男の子の手を引いて、花のあいだを走り回る女の子。
「れにー、そんなにはしりまわったらあぶないよ」
「だいじょーぶ!だいじょーぶ!きょうはこけないから!」
いつもこけてるのに……と、男の子が不安に思っていると、
「きゃっ!?」
「うわっ!!」
やっぱり!!
予感が的中、ぬかるみに滑って転びそうになった。それを手慣れた動きで受け止める。
「きをつけないと、こけたらいたいよ?」
「ありがと。でも、だいじょーぶだよ!くーちゃんがたすけてくれるから!」
男の子の腕の中で、女の子はニカッと笑う。
なにがだいじょーぶなの??と、疑問に思ったが、その笑った顔を見ると何も言えなくなる。
これが二人のいつものやり取り。
生まれた時からずっと一緒にいて、片時も離れた事がない二人。
女の子は自由奔放で、よく泣きよく笑い好奇心旺盛、思い立ったらすぐに行動を起こす。
そして、男の子はいつもそれに振り回される。面白いものを見つけた時は一緒に見に行き、女の子が泣いてる時は泣き止むまでずっとそばにいる。
もちろん、何かイタズラをした時に孤児院の院長先生に怒られる時も一緒だ。
今回のように、男の子にとって困らされる場面はかなり多い。
ただ、女の子が泣いているのを見ると、どうしても助けたくなる。守ってあげたくなる。
そして、笑った顔を見ると言いようのないほど心が温かくなって、幸せな気持ちになる。
「あっ、おはなのひかりが……??」
「つよくなってる……?」
まるで、女の子の笑顔に呼応するように花の光が増していき、どんどん幻想的になっていく。
ここにある花も、この女の子の笑顔が好きなのだろうか?と、根拠のないことを考えてしまう。
気がつくと、雨は止んでいた。
「ねぇ、くーちゃん」
「なに?」
「きょうはつれてきてくれて、ありがと。くーちゃんがいなかったら、こわくておはなみつけられなかった」
「どういたしまして。ずっといっしょってやくそくしたから。それに、れにーはほっとくとすぐなくから」
「むー、きょうはまだいっかいしかないてないもん!」
女の子がほっぺを膨らませる。それを見て思わず笑ってしまう。
「……ふふっ」
「あっ!わらったー!」
「ごめんごめん」
「もー、くーちゃんのいじわるー!…………はははっ」
女の子もつられて笑ってしまう。そして、
「くーちゃん、だいすき!これからもわたしのおよめさんでいてね!」
「??……およめさんってなに?」
「とくべつなひとにいうことばなんだって。せんせーがいってた」
「とくべつ……ってなんだろう?」
「いっしょにいてこころがぽかぽかしたり、まもってあげたくなったりすることだよ。これもせんせーがいってた」
男の子はその言葉の意味を呟きながら考える。
「こころがぽかぽか?あたたかくなるってこと?それに、まもってあげたくなる……それって」
言葉の意味を咀嚼した時、男の子が考え付いた答えは、
「じゃあ、れにーはぼくのおよめさんだね」
目の前の女の子の事だった。
「……くーちゃんは、わたしといるとこころがぽかぽかになったり、まもってあげたくなったりするの?」
「そうだよ。れにーのわらったかおをみるとこころがぽかぽかするし、ないてるかおをみるとまもってあげたくなる」
「そっか。じゃあ、くーちゃんのおよめさんになったげる!」
女の子が満面の笑みを浮かべる。そして、まわりの花もまたそれにつられるように光り輝く。
その姿は神秘的で、思わず目を奪われてしまう。そして、女の子の笑顔もまた輝いて見えた。
まるで、天から舞い降りた天使のようでもあり、雨が上がった後に広がる虹のように、綺麗でもあった。
男の子は、女の子の笑顔を見ながら思う。
れにーはぼくのおよめさん……。
だから、悲しませないように、泣かないように、守ってあげたいと強く思う。そして、この女の子の笑顔を見ていると心が温かくなるから、ずっと一緒にいて欲しいと願う。
「うわっ!」
「くーちゃん?ぼーっとして、どうかした?」
女の子が顔を覗き込んできて驚く。
「……え、えっと……きれいだなとおもって」
この女の子のことを守れるように、孤児院の院長先生みたいに強くなると決意する。
「うん、ここのおはなきれいだよねー」
「おはなもきれいだけど、れにーもきれいだよ」
だから、ずっとそばにいてね。れにー、だいすきだよ……心の中だけで呟いた。
「わたし?ありがと、くーちゃん。……えへへ」
女の子がとても嬉しそうな顔をした。
この日は、二人にとって大切な日になった。
女の子……『レイン』は、この日以来、頻繁に花を愛でるようになる。
男の子……『クラウド』は、この日以来、レインを守れる力を付ける為、孤児院の院長先生に本格的に戦い方を教わる事になる。
これは二人が五歳の頃の出来事。
「レイーーーン!!クラウドーーー!!」
「「あっ!!」」
孤児院の方から院長先生の声が聞こえた。
「せんせーのこえだ!しんぱいかけちゃうから、そろそろかえろっか。」
「…………」
こんなにおそくまでそとに……かなりおこられちゃうんじゃ……。
院長先生は普段はとても優しい先生だ。
……ただ、怒った時はかなり怖い。いったいどんな罰が待っているのか。
急激に帰りたくなくなるクラウド。一方、レインはというと……
「くーちゃん、あしたもここにこよーよ。もっとおはなみたいし」
これから起こる悲劇に気付いてすらいないようだった。
「う、うん……あしたもこれたらいいね……」
ーーーーーー
「バッカヤローーッッ!!!」
ゴツンッ!!
「「いだっっ!!」」
やっぱりー!!
院長先生のゲンコツが頭のてっぺんに落ちてきた。かなり痛い。
「何時だと思ってんだ!お前らー!!」
クラウドの予想は悲しい事に的中した。あとは、二人にどんな天罰が下るのか待つばかり……。
「罰として、トイレ掃除一ヶ月だーー!!!」
「「ごべんなざぁーーーいっ!!!」」
これも、いつものやり取りだった。
ちなみに、『およめさん』の言葉の意味を二人が正しく理解するのは、しばらく先の話になる。