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 して、豊芦が語るところによると。


 手代木が文芸部に入部するおよそ二週間前。両原と豊芦の二人は入学早々文芸部に足を運んだ。そこで待っていたのが部長や夏井ら文芸部の先輩たちであった。


「ふたりは文芸と漫画どっち?」


 なる会話があったという。当然「漫画です」と答える両原。それに反応したのが「文芸部で一番絵・漫画がうまい」という新二年生夏井。


「お、漫画かー。私も。どんなの描くの? というかもう描いてる?」


「描いてますね」


「さすがに持ってきてたりしないよね。どんな絵描くとか見てみたいなー」


「いいですけど、じゃあもう続き描いてもいいですかね」


「続き?」


「はい。そのつもりだったんで。今描いてるやつの続きです。ここ鉛筆とか紙借りてもいいんですよね? 紙は返せませんけど」


「いいけど」


 とそのいきなりのマイペースっぷりにさすがの夏井も虚を突かれる。


「じゃあ描くんで好きに見てください。最初から見たかったら優子に任せるんで」


 両原はそれだけ言うと早速紙と鉛筆を取りに向かう。


「優子っていうのは私です。豊芦優子です。で長ちゃんが言ってることなんですけど、ネットに上げてるのでそちらなら最初から読めるってことですね」


「あーネットに上げてるんだ。すごいじゃん」


「はいー。それでスマホで教えるのもいいんですけど大きい画面で読みたい場合は今こちらのパソコン使っていいならそちらに出しますけどー」


「全然いいよ。こっちも見たいし」


 と部長の鳴山がどうぞどうぞといった具合にパソコンの前の席を差し出す。その間、両原はすでに執筆体勢に入っていた。そうしてなんの前置きもなく、いきなり描き始める。夏井が、そして他の部員が「両原長」を知るには、それから数分もかからなかった。


 漫画を描く、絵を描く者だからわかる。第一に、普通人はそんなふうに最初からいきなり漫画を描くことは出来ない。日常から執筆への境界が一切ない。集中すらそこには必要ない。しかもただの執筆ではなく、続き。これまで描いてきたものの続きだ。だというのに「前回」の確認などない。全部覚えている、わかっているかのようにその「続き」をいきなり描き始める。


 まずはコマ割り。それが超高速。最初からすべてのコマがわかっているかのように定規で一瞬で線を引きコマを割る。まずそれに、漫画経験者らは驚く。考えてない? 普通コマ割りは、ネームは考えて描くものだ。いろいろ試し試行錯誤して完成に辿り着くものだ。しかし両原はそれがない。当然それで終わりではない。


 コマを割ったらすぐに執筆。ネームなどない。下絵もない。最初からいきなりペン入れに近い描き込み。そしてその最初の一ページ目からわかる。尋常じゃない絵のうまさ。漫画のうまさ。そして速度。自分たちが行う十倍以上の速度で、それでいて自分たちなんかより圧倒的な絵のうまさで、一瞬でコマを埋めていく。そして次へ。間など挟まない。そしてみるみるうちに一ページを絵で埋めていく。


 その場にいるものは、すでに言葉を失っていた。


 そして間髪入れずに二枚目。そこで「披露」したのが左手への持ち替え。一瞬何が起きたかわからない。今まで右手で書いていて、右手で握っていた鉛筆を左手に持ちかえる。そしてそのまま、また間髪入れずに描き始める。


 両利き!? 嘘だ、ありえない。しかしそんな驚きも疑念もよそに、先程の右手となんら変わらない速度と質でみるみるうちにページを埋めていく。この頃には、すでに誰もがわかっていた。わかるしかない。両原長は、この新入生は、あまりにも次元が違う。意味がわからない。真の天才、そういうもの。部室には、静寂だけが――正確には鉛筆の先が紙の上を走る音だけが響いていた。


「なんかずっと描いちゃってますけどこんな感じです」


 と手は止めず、両原が口にする。


「――そう……いや、正直びっくりだわ……ヤバすぎでしょあんた」


 と苦笑いせざるを得ないのは部長の鳴山。とはいえそれは鳴山が漫画ではなく文芸の側だから口に出せたこと。漫画経験者たちは、打ちのめされて言葉など口に出せない。ただただその圧倒的な才能、能力を前に、呆然とするだけであった。


「これさ、私は漫画描かないけど、でもたまに読んだりするけど、え、てかこんなのありえんの? 両利き? それ以前に速すぎない? 絵がうますぎるのは素人目で見たってわかるけどさ」


「自分はいつもこれですね」


「そう……? いやでもこれ、どうなの? あんたらが描いてるとこだって見てるけど違いすぎない? これ普通?」


 と鳴山は夏井らの顔を見て問わずにはいられなかった。


「――普通じゃないです」


 かろうじてそう返せたのは夏井だけだった。他のものは、もう完膚なきまで打ちのめされている。ノックアウト。もはや立ち直れない。こんな短時間であったが、彼女たちのこれまでを打ち砕くには十分すぎるものだった。自分たちがこれまで描いていたのは、漫画なんかではない。自分たちはこれまで何も描いてなどいなかった。絵がうまいと、漫画が描けると思い込んでいた。けれどもそれは違った。これを見てしまうと、自分の今までなどすべて存在しなかったように思える。無意味で無価値で無駄だったように思える。だって、こんなのと比べたら……


 私が描いてる意味なんて、ほんとにあるの?


「――両原さん。あんたさ、どれくらい漫画描いてるの?」


 と夏井は尋ねる。


「期間のことなら十年以上じゃないですかね。幼稚園くらいの頃に適当に描いてたのを漫画と呼んでいいのならですけど」


 両原はいつものごとく紙からは視線を上げず、手も止めず答える。それもまた夏井にとってはまだ困難なことだった。描きながら、ここまで本格的に「集中」して描きながら手も止めずに会話することは、自分にはできない。


「……じゃあちゃんと、こういうふうにいかにも漫画に、コマとか割っわってストーリーとかも考えて、そうやってもう完璧に人に見せられるような漫画描き始めたのは?」


「覚えてないですけど一応最初から人には見せられたんじゃないですかね。多分幼稚園の頃からコマは割ってましたし。少なくとも小学生低学年くらいの頃には今とたいして変わらない感じでしたけど」


「……一日、何時間くらい描いてるの?」


「数えたことないですけど休みの日なら短くても十二時間だと思います。基本描く以外何もしてないんで」


「……プロ、目指してるよね」


「別に目指してはいないですね。でもお金は欲しいです。そしたら高校行かないで描けるんで。学校とか時間もったいないですし」


 レベルが違う。次元が違う。思考が、立ってる場所があまりにも違いすぎる。


「―ッ! 豊芦さん! その漫画見せて!」


「はいどうぞー。ホーム画面にしてあります」


 豊芦はいつも通りのほほんと言い、夏井に席を明け渡す。夏井は慌ただしく椅子に腰を下ろし、食い入るように画面に目をやる。そうして次、次のページへとクリックしていく。その手は止まらない。止められるわけもない。両原の「漫画家」としての能力は、痛いほど見た。短時間であろうと十分に見た。疑いの持ちようがない。けれどもストーリーは。漫画は絵だけではない。漫画だけではない。ストーリー。物語。キャラクター。それは、そっちは、そっちまで異次元なら……


 部室内には再び静寂。その間も両原の手は止まらない。自分の外部で起きてることなど一切関係ない。ただ紙の中だけの宇宙。


「――あー、豊芦さん私にもそのサイト教えてくれる? 読みたいから」


 と鳴山が口を開く。


「もちろんですー。これで検索すれば一番上に出るはずです」


 豊芦はそう言って自分のスマホの画面を見せる。


「ありがと。――何これ。『これが描けたら死んでもいい』って、これペンネーム?」


「そうですねー」


 異常。ある意味中二病。そんな宣言を、覚悟を、誓いを、惜しげもなく恥ずかしがらずペンネームにする。しかしその言葉はあまりにも今目の前で描いている両原の姿を体現していた。


「うわ、結構話数あんじゃん。これいつから載せてるの?」


「中学卒業っていうか合格決まってからですねー。それで私自分のパソコン買ってもらえたんでー。もちろん自分でもお年玉とか貯金使ってますけど。でもまあ見てわかると思うんですけど長ちゃん全部紙で描くんで。原稿ちゃんと残しときたいってのもあってスキャンしてデータ化してるんですよね。それと一緒にネットにも上げて。一応写植だけはしてますけど」


「なるほど……そういうのは全部豊芦がやってるの?」


「そうですねー。長ちゃんがこれまで描いた漫画の量ちょっと膨大すぎるんでー、まだまだ全然追いつかないですねー。毎日増えてく一方なんで。なのでできれば誰も使ってない時にこちらのパソコンやスキャナーも使わせてもらいたいんですけど大丈夫ですか?」


「そりゃね。そういうためのものだし。まあちょっと古いかもしれないけど。共用だから周りと相談しつつね」


「ありがとうございます。一応お伺いしたいんですけどパソコン室とかそういうところのは借りられるんでしょうか?」


「どうだろう。部活で、しかもほとんど私用に近いわけじゃん? そもそもあそこスキャナーあんのかな。放課後はパソコン部が使ってるだろうし。まあ後で聞いてみるよ」


「ありがとうございます」


「それでまあ、もうこんな状況だけどさ、二人は入るの? 文芸部」


「そのつもりです。お邪魔でなければ」


「邪魔なんてそんなことあるわけないじゃん。誰だって歓迎だしそもそも断る権利なんかないし。部員だっていないと廃部になっちゃうんだから」


「ならよかったです。一応もうどっちも入部届持ってきてるんで」


「準備いいね。んじゃまあもうこんな感じだけど、といっても普段とそんな違いないけどさ。まあこんな感じで各々好きにね。書いたり読んだり。あとは好き勝手だべってたりするだけだから。まあ今日は全然談笑とかはないけど、ここにある本とか昔の部誌も好きに読んでいいし。じゃー私も早速両原さんの漫画読んでみよっかな。みんなも読む?」


 鳴山はそう言い、言葉を失っている部員たちに自分のスマホの画面を見せる。他の部員たちも、興味はある。漫画は絵だけじゃない。物語。これほどの人間が、どのような「物語」を紡ぐのか。それは漫画を描かない者にとっても同じこと。そしてそれは一部の者にとっては終わりの始まりであった。



「私多分漫画描くのやめる」


 後日、部長の鳴山にそう告げる文芸部員もいた。


「自信喪失っていうか、あんなの見ちゃったら私なんか描く意味ないじゃんって……漫画家とか、なれたらいいなあとか思ってたけど、年下であんな子見ちゃうと自分なんか無理だって……」


「そっか……まあでも今はそうってだけでさ、時間経ったらどうなるかわからないし、あんま今のうちに決めつけずにね」


「うん……部は辞めないから。部員のこともあるしあんたも大変だろうから。でも前みたいに来て、描いたりおしゃべりしたりっていうのはまだちょっと……あの子がいるところでそんなことあれだし、だからその、部誌も多分描けないから迷惑かけるけど……」


「いいって気にしなくて。それより別に漫画嫌いになったわけじゃないんでしょ? これからも読むわけで」


「それは、多分」


「じゃあ読んでるうちにまた描きたいって思うこともあるだろうしさ。他人との比較じゃなくて自分が描きたいから描くってだけで。それでいいと思うし。まあこっちのことは全然気にしなくていいから」


 そう言って「見送」る鳴山。一方で、夏井は簡単には折れなかった。


「両原さん、私の漫画読んでくれない?」


 夏井はそう言って執筆中の両原の横に直近の部誌を置いた。夏井は、未だ描いていない両原というのを見たことがない。それは正確ではないが、最初に部室にやってきた時、そして極たまに部室に向かって歩いている時。それ以外で、描いていない状態の両原というものを見たことがない。部室にいる時も準備と片付けの一瞬。それ以外は常に描いている。あとは、極たまに水分を補給する時くらい。そしてこれも極たまに、豊芦が用意してくれるブドウ糖、ラムネの補給。


「いいですよ」


 両原は一瞥もくれず、描き続けながら答える。そうして「優子」とだけ呼びかける。


「うん」


 豊芦はそれだけ答え、部誌を手に取ると夏井の漫画のページを開き両原の前に掲げる。両原は、紙に目をやったまま描き続け、そして少しだけ顔を上げ一瞬だけ夏井の漫画に目をやる。もちろんその僅かな間も手は止まらない。そしてまた視線を戻した。それを合図に、豊芦がページをめくる。それの、繰り返し。


「――何それ」


「長ちゃんの読み方ですねー」


 と豊芦がなんでもないことのように答える。


「一人の時はブックスタンドとかですけどページめくるのも時間かかりますし。基本鉛筆なんで問題ないですけど汚すこともあるんで。私いる時は基本このスタイルですねー。映画とかだとめくる必要ないんでやりやすいんですけど」


「……映画とか描きながら見てるの?」


「そうですね。長ちゃん見なくても描けるんで」


 いや、そんなの、ありえないじゃん。というかそんな読み方、ふざけてる。そんな適当に、ついでのように。


 けれども夏井にそれを指摘する権利はない。文句を言う権利などない。自分が頼んでるのだ。年下だろうと、頭を下げて頼んでいるのだ。「漫画家」としてははるか上の存在に。それこそ「プロ」となんら変わらないような実力の人間に。むかつく、気に食わない。けれどもだからといってそんなことで駄々をこねてはいられない。自分はこの人間より下手だから。何より、この尋常じゃない才能を目にして、漫画を読んで感想がほしい、アドバイスが欲しい――願わくば、それで間違っていないと言われたい。認められたい――そう思ってしまった自分がいる。そう思ってしまって、葛藤して、それでも見せることを選んだのは自分なのだ。だから文句など、言える立場ではない。


 両原のその読むとも言えない「読む」は続く。ほんとに一瞥。時間にすればおそらく一ページ数秒も見ていない。自分が死ぬ気で何ヶ月もかけて描いた漫画を、そのように一瞬で。虫酸が走る。けれども何者でもない自分には、それを言えない。結局自分が必死に読むだけの漫画を描いてないからだ。自分にそう言い聞かせる。


 そうして豊芦が最後のページをめくり終える。


「これで終わりだよ」


「ありがと」


「……自分で頼んで読んでもらっといて文句とか言う気はないけど、ほんとに今ので読めてるの?」


「読んでますよ。読むより見るですけど。でも大抵の読者の読み方はこれなんで」


「え?」


「自分が好きなわけじゃない漫画、興味がない漫画に対する読み方なんて大半の人がこの程度じゃないですかね」


 それは、確かにそうだ。自分を思い返してみたってそうだ。好きでもない、興味がない漫画など、ほとんど表面をなぞるようにパラパラとしか見ない。その中で絵が良ければ、好きな絵があれば、好みのキャラが見えれば手が止まることもある。その程度のもの。


 読者は、初めから誰も「読ん」でなどいない。


「読者とか言いますけど大抵の読者は読みなんかしませんよ。見るだけですしそもそも見すらしませんし。本当にちゃんと読む読者、読もうとする読者なんて一%もいないんじゃないですかね。そういう人だけ相手にしてても一万部くらいは売れるのかもしれませんけどそれでいいのかって話ですし、そもそも読まない人間の手を止めるくらいの何かがないとその一万にすら辿りつけないんで。だから初めてのものを読む時の読み方としてはこれのほうが正しいと思いますけど」


「……そうかもね。それで、読んで、『見て』みてどうだった?」


「……はっきり言ったほうがいいんですかね」


「……もちろん」


「じゃあ言いますけど、絵はまだ全然ですね。うまい風ですけどうまくないです。まだ絵というか人体、立体を理解できてないですね」


 その、あまりにも直球な言葉。プライドにぶっ刺さる事実。


「多分好きな絵、好きな漫画家の絵とかそういうのはたくさん模写してるんだと思います。でも表面だけですね。根本の人体、立体をわかってないからポーズとか応用が効いてなくて細々と小さなところで破綻があります。一瞬、表面なぞって見ただけだとごまかせるかもしれないですけど一秒注視したらバレますね」


 淡々とそう告げる。当然、その間も紙の上からは視線をそらさず、手を動かし続け。


「絵は全部そうです。背景もですね。多分デジタルですよねこれ? 背景資料とか使ってるんだと思いますけどパースとかちゃんと理解できてないからズレてますよね。的確じゃないです。あとデジタルと言えばペン入れですけど、線が全然ですね。線に思い入れがないと言いますか、ただ下絵なぞってるだけで。意図がないと言いますか。入りとか抜き、強弱もそうですけど。線で表現したいことが何もないですよね。その点はデジタルの方が多分難しいんでしょうけど。まあこれに関しては私基本ペン入れしないので言う立場にないですけど、でも鉛筆でだって線で表現できますから」


 線で、表現する。線の意図。そんなことは、これまで考えたこともなかった。


「あとネーム、コマ割りもいまいちです。流れが悪いですね。コマの取捨選択もできてないと思います。余分だし足りないし。セリフも同じですね。ストーリーも、言いたいこととか描きたいことはわからなくもないですけどその表現方法が悪すぎますね。持ってき方と言いますか。ページ数限られてますしもっとシンプルに、絞りつつも明快なエピソードで各部分を補強しつつ、メリハリつけてじゃないですかね」


「――いいところは、一つもない?」


「あると思いますよ。熱意と言うか、気持ちはわかりますよね。けど変にこねすぎっていうか、かっこつけすぎなんじゃないですかね。よく見せようとしすぎてるというか。だから表面的すぎて。どうやったって自分以上のものなんてできないんですから変に背伸びしないで描いたほうが完成度も高くなると思いますけど」


「――ッなんなのよあんた! そんな、んなことあんたに言われる覚えどこにもないんだけど!?」


「……はっきり言ったほうがいいって言ったのは夏井さんの方なんですけど」


「うっさい! はっきり言いすぎなのよ! んなボロクソ、ほんとに完全にボロクソじゃん! そんな、いくらあんたがどれだけうまくたって、すごくたって、そんなこと、」


 そこから先は、言葉にならない。


「――夏井さんはどこ目指してるんですか?」


「は?」


「漫画。描いてる漫画。漫画描いて何を目指してるんですか? 多分漫画家になりたいんだろうなあって思ってこっちは話したんですけど」


 そのような言葉の間だろうと、決して両原は夏井に一瞥もくれず、ただひたすらに自分の漫画を……


「少なくとも今のままでは多分無理なんで。けどこれから描いてけば良くなるでしょうし。今がこれなのはもうどうしようもないんでこれからやってくだけだと思いますけど」


「……あんたってさ、正論しか言えないの?」


「正論だとも思ってないですね。普通そうじゃないですかってだけで」


「――やってらんない。知るかバカ。一人でやってろっての」


 夏井はそれだけ言うと、目元をにじませながら勢いよく部室を出ていった。その直後、


「どうもー……なんか今夏井泣いてたっぽいけど、なんかあった……?」


 と恐る恐る入ってきたのが部長の鳴山。「実はー」となれた様子で説明するのが豊芦。そしてやはりその間も、一切揺れず我関せず、両原は一人描き続けているのであった。




 というのがおよそ三ヶ月前にあった出来事。


「ということなんだけどー、夏井さん部長には色々言ってたけどやっぱり一人で描いてたんだねー。リベンジって感じで」


「そうだな……まあ今見た感じでもすごい負けず嫌いみたいな感じあったけど、でもそういう方が伸びるだろうしさ。けど両原ってマジで誰にでもそうなんだな……年上にでも」


「うーん、でも求められたからそう返してるだけだと思うよ? 求められなかったら何も言わないだろうし。けどそこは手代木くんもすごいよね。ほぼ同じような対応っていうか、同じこと言われても全然へこたれてなくて」


「いやあ俺は、多分同性じゃないってのもあるんだろうけどさ。あと自分でも下手ってわかってたし、スタートラインにも立ててなかったわけで……あとはまあ、俺はずっと一人だったからさ。漫画描いてることなんて誰にも話してなくて。誰にも見せてないし、誰かと比較したことなんかなくて。だからこの中で上手いとかそういうのもなかったし。マジでゼロからみたいなもんだったからへし折られるプライドも何もなかったんじゃない?」


「そういうねー。だとしても燃え上がるだけ、やる気出るだけっていうのもすごいと思うよー。それもある種の才能だよねー。夏井さんほど激しくないけど、でも夏井さんもあの激しさだと絶対うまくなるよねー」


「そうだね。ありゃ相当の負けず嫌いだし、相当漫画も好きでしょ多分。けど豊芦もなんか慣れてる感じだよな……」


「まあ初めてじゃないからねー」


「やっぱそうなんだ……夏井さんもさ、もっと素直にっていうか、そういう感じで一緒に描いてしょっちゅう両原のこと見てアドバイスもらってればもっと早くうまくなれるだろうにな。俺としても切磋琢磨したいし、そもそも両原しかいないと自分がどれだけ進んだのか全然わかんないしよ」


「ははは、そういうのもあるかもね。じゃあ声かけてみれば?」


「俺会ったの今日初めてだしろくに話してもいなんだけど……」


 手代木はそう返しつつ、夏井さんも見た感じレベルが目指すのに丁度いいくらいなんだよなー、どうやって描いてるとかも両原よりは近くて参考になるだろうし、などと考えているのであった。



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