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 手代木は毎日毎時間を無駄にせぬよう生きた。ただ読むのではなく常に分析して、学ぼうとして。それは娯楽でありながら同時に娯楽ではない。すべての漫画は教科書であった。


 描くのも同じ。描きたいと思う。間に合わなくなるという焦燥もある。自分が描かなければこれはすべて存在しない、と。しかし一方でプロへの道もある。自分が表現したいイメージもある。読んで面白い漫画にしなければとも思う。すべてをやる。すべてを、同時にやる、これまで通りただ欲望のままに描くのではない。作るのだ。作品として、自分の手で作り上げるのだ。


 両原は「自分では作っていない」と言っていた。しかしそれはこれまでの膨大な経験があってのこと。やり続けて体が頭が覚えたからのこと。自分は最初からそんなふうにはいかない。ちゃんと作らなければ、作り上げられない。とにかく、丁寧に。考えて。自分の頭をフル稼働させて。手本はいつだって周りにある。あとは自分がそこからどれだけ学べるか。見いだせるか。適当に生きるな。漫然と生きるな。一挙手一投足呼吸の一つまで魂を込めて、線の一つまで、全神経を集中させて。存在のすべてを、そこに込めて。


 そうしてまた激動の一ヶ月が過ぎ、夏休みを迎えようとしていた。



 夏は漫画描きにとって天敵である。暑いのは当然だが、それによる汗がでる。汗が垂れる。汗で紙が引っ付く。湿度で紙がヨレヨレになる。とはいえそれもエアコンという文明の利器によってある程度解決ができた。夏においてはアナログの方がデジタルより優れている部分もある。デジタルの場合はただでさえ暑い中のあの熱。電気消費量も増える。滅多にないが、ブレーカーが落ちて全部おしゃかなどということもあり得た。


「しかしうちのこんな小さい部室によくエアコンついてますよねー」


 と手代木はうちわで扇ぎながら紙を見るかのようににエアコンを見る。それは一般的なエアコンとは違い、窓エアコンと呼ばれるたぐいのものであった。一般的な室外機のある大きなものと比べれば性能は低いが、それでも部室はそこまで狭くないのでありがたい。扇風機も駆使すれば十分に冷えた。


「結構古いけどねー。OB、じゃなくてOGの人がくれたやつなんだってー」


 と豊芦が答える。


「そんなありがたいOGの人がいたんだな」


「みたいですねー。ちなみにこのパソコンとかスキャナーもそうらしいよー」


「マジで? 大盤振る舞いっていうか金持ちじゃん。もしかして文芸部出て活躍した作家とか? そんな人いるの?」


「詳しくは知らないけどどれも一応お古みたいだよー。使わないからあげるーって。でもほんとありがたいよねー。大事に使えばちゃんと長持ちするし」


「ほんとなー。しかしほんと、夏は漫画描くにはしんどいよなー」


 とうちわで扇ぎながら両原の方を見る。この人間は、やはり変わらない。何も変わらない。暑さなど感じてる様子はなく、汗もかかず、両手を駆使し今までとなんら変わらない様子で描き続けている。時たま流れてくる冷房や扇風機の風で多少コピー用紙がめくれても、特に気にもしない。集中というもののあり方があまりにも違いすぎる。


「両原はもう暑いとかすらないの?」


「暑いに決まってんじゃん。今はそうでもないけど。クーラーあるならどこでもできるでしょ」


「けど夏休みともなるといよいよ部誌の準備しないとだよなー。受験生の人たちとか文芸の人がどれくらいの量描くかはわかんないけどさ。ゼロはさすがに申し訳ないし、といっても上手くないイラストだけ載せてってのも逆に恥ずかしいし。しっかり漫画載せたほうがやってんじゃんって感じは出るよな」


「そうだねー。私はどうしよっかなー。正直そんなちゃんとページ数ある漫画描いてる余裕もなさそうだしイラスト集とかになっちゃうかなー」


 と豊芦。


「まあほんと最後は両原頼みだよな。あんだけ描き終えてる短編とかもあんだし。半分以上両原のとかになったりして」


 などと笑っていると、文芸部のドアがバンと勢いよく開いた。


「――やっぱりいた」


 その女子生徒はそう言い、ズカズカ中に入ってくる。


「いや、えっと、どちら様ですか?」


「あんたが誰よ。前はいなかったよね。新入部員?」


「え? はあ、まあそうですけど。ていってももう三ヶ月くらいはいるんで」


「ふーん、あの後か……男子が入るとはね。名前は? 一年なんでしょ?」


「はい。一年の手代木っす。あの、もしかして二年の夏井さんって方ですか……?」


 手代木がそう言うと、女子生徒は手代木をギンと睨みつけるように見る。


「なんであんたが知ってんの? 誰から聞いた?」


「いや、あの、前に部長が来た時に二年は夏井って一人だーだから部長候補だーみたいなことを、確かですね」


「ふーん……まあ別に必ずしも二年が部長やらなきゃいけないわけじゃないでしょ。そもそも私もいるかわからないし。ていうか今いるの三人だけ?」


「そうですね……」


「へえ……じゃあ早速部室乗っ取ったわけだ」


 と夏井は苦々しげに両原の方を見る。


「ほんと、ずっとその調子なんだ。前見た時と何も変わってないじゃん。これ見よがしに両手使ったりしてんん?」


「してますね。疲れるんで」


 と両原は描き続けながら簡素に返す。


「ほんとすごいこと……相変わらずペン入れも何もしないんだ。それであれから何ページ描いたの?」


「さあ? 私は数えてないんで。優子に聞いてください」


「あれからってうのはちょっとわからないですけどねー、でも四月からの分で言うと少なくとも500枚は描いてるんじゃないですかねー」


「は、さすが。天才は違うねー」


 夏井はそう言うと紙の束をバンとテーブルの上に置く。


「漫画。描いてきたから読んでくれない?」


「……じゃあ前に開いてもらえます?」


「手止めてちゃんと読んでって言ってるの。あんたの言うこともわかるし実際できるのかもしれないけどさ、最低限の礼儀ってあるわけじゃん? そういうのわかる? 一応はこっちが年上なんだからさ。ちゃんと読めてるとか以前に読む態度ってのもあるでしょ。別に私がそうされないとむかつくとかじゃなくてさ、そんなんじゃこの先大変だよ?」


「そうですか……読む速度まではいじれないですけど」


「どうぞ。まーでもこれも私が三ヶ月練習してがんばって完成させたものなんだからさ、一回目はともかくせめて二回は読んでよ。ちゃんと見て。あんただって自分が描いたのぞんざいに扱われたら嫌でしょ?」


「どう読もうがその人の勝手なんでどうでもいいですね。ちゃんと読まれないようなもの描けてないこっちの責任ですし。原稿汚されたりするのだけはさすがにですけど」


「はっ。ほんと天才は……とにかくさ、よくある体験談で編集が新人や持ち込みの原稿ちゃっちゃか見てるのだって明確な上下関係があるからこそ許されてるわけだし。売手と買手。仕事だから。天才だからって礼儀はいらないなんて道理はないでしょ」


「私は天才じゃないんで」


 と答えつつ、両原は初めて――それはおそらく手代木にとっては初めての――両手を紙から離し、夏井の漫画を両手で持って読み始めた。最初は、一回目はやはり。速い。ぱっぱとページをめくっていく。しかし当然適当に見てるわけではない。手代木の時と同じ。あくまで数多の読者と同じ視点で。読者は読んだりなんかしない。目に入る一瞬で判断する。その力が、あるかないか。


「これデジタルですよね」


「そう。ネームは紙。あとはデジタル」


「わざわざ紙に印刷して持ってきたんですか?」


「あんたに見せるためでしょ! そっちのほうがいいでしょあんたも」


「そうですか。とりあえずネームはアナログ向けにはなってると思います」


「あ、ついでというか割って入ってすみませんけど、ネームがアナログ向けってどういうことか聞いてもいい?」


 手代木はちらっと夏井の方を一瞥し言う。


「一番わかりやすいところでいうと縦スクロール。ウェブで縦スクロールの漫画とか読んでるでしょ? あれはもう日本の一般的な右から左に読んでいく紙の漫画とはまったく違うものだから。視線の移動やページのめくり方、というより移動の仕方が違うからそれに合わせてネームも変わってくるわけ。あとはスマホ。PCなんかだと紙みたいに見開き、二ページ載せられるのもあるけどスマホだと片面一ページだけとかあるからね。そうなると当然見方は変わってくるし特に見開き一ページなんて効果的に使えないから。視線移動にはそこまで差はないけどそれでも実際めくる時とは微妙に違うし左側左下のコマからのめくって右側右上一コマ目とかね」


「そんな色々あるのか……」


「あるでしょ。それでいったらこういうふうに投稿とか意識した原稿用紙で一枚ずつ見てくのだって少しは異なるわけだし。それも全部漫画読みながら覚えていけばいいけど、自分で読むとか人に読んでもらうとかすればもっとわかるでしょ」


 両原はそう言いながら二回目を、今度は先程よりゆっくり、じっくり読んでいく。そうして読み終え原稿を夏井に返した。


「これどこかに出すんですか?」


「……出来による。ダメならそのまま部誌にリサイクル。どうよ。三ヶ月前に比べて」


「正直に言ったほうがいいですかね」


「正直に言えないとかあるのあんた?」


「わかりませんけど。とりあえず何かの賞に引っかかる可能性はゼロではないと思いますよ」


「……ほんとに?」


「わかりませんけど。相手とかその時の他の作品にもよるので。なんであろうとゼロじゃないのが普通ですし」


「そういう話じゃないし」


「最低限スタートラインには立ってるってことですね。ペン入れはデジタルとはいえまだ荒いんじゃないですかね。線が。絵は前よりはだいぶ良くなってると思いますけど。でもまだ手が止まるほどの力とか個性は足りないと思います」


「……内容は?」


「プロットの完成度は前より上がってると思います。ちゃんと起伏にメリハリがあってまとまってて。その分単調というかどこにでもある話になってますけど。でもどこにでもある話を描ける能力も重要ですしそこから始めてけばいいだけなんで」


「……つまり全体としてはどういうこと?」


「良くなってると思いますよ。絵は特に。とりあえず絵が描ければ原作もらって漫画は描けますから」


「……でも全然なんでしょ」


「それは私が決めることじゃないんで。応募するならそこの編集者ですし、それとは別に夏井さんの自分の納得で。それとは別に三ヶ月での変化、やったことはちゃんと出てるんじゃないですかね。成果は成果で」


「――言ったな! ほんとだな!? 自分のこ言葉に責任持てよ!」


「別に無責任には言ってませんけど、でも全部自分の判断じゃないですかね。自分の人生の責任は誰もとってくれませんし」


「ーッ! なんだっていいし! とにかく賞には出す! 部誌のほうはどうなるかしらないけど責任とってあんたがなんとかしといてよ! どうせ腐る程漫画はあんだろうから!」


 夏井はそれだけ言うと原稿を鞄にしまい、来た時同様激しくドアを開け去っていくのだった。


「漫画は別に腐らないけどね……」


 両原はそれだけ言うと何事もなかったかのように再び漫画の執筆に戻る。


「――いや、というか何だったの今の? 俺あの人に会うの初めてだったけどさ、夏井さんってあんな人だったの?」


「いやーそれは私たちもちゃんと知ってるわけじゃないしー」


 と豊芦が穏やかに笑いながら答える。


「いや、でもさすがにあれはなんかないとああならないでしょ……俺が入る前に何があったの……?」


「何がというかほとんど今のに近い感じかなー」


 と豊芦が答える。


「私たちは夏井さんが何思って何考えてるとかは知らないからあったこと覚えてる範囲で答えるしかないから」


「……それでいいから教えてくんない?」



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