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いつもの学校、いつもの部室。そこでの光景もいつも通りだった。流れる音もいつも通り。鉛筆の先が紙の上をこする音。スキャナーが紙面に描かれた情報を読み取る音。パソコンのキーボードを叩く音。
両原はいつも通り止まらない。その変わらなさは寒気を覚えるほどだった。描いてる絵も内容も言葉の一つ一つも違うはずだ。そこで揺れ動く感情は異なるはずだ。しかし描いている張本人は、どこまでもいつも通り。何も変わらない。変わるのは時たま切り替えられる鉛筆持つ手だけ。右、左、右。それだけ
「両原、ちょっといい?」
と手代木は声をかける。
「一瞬だけでいいから俺の絵見てもらえる?」
そう言って彼女の横に紙を置く。
「どう? うまくなったと思う?」
両原はほんの一瞬だけちらりとそれを見る。
「最初に比べればね」
「そっか。ちなみに今の一瞬でそんなわかるの?」
「目を鍛えればね。一瞬だからこそわかることもあるし。どれだけ描き込んだって漫画読む人なんて一瞬しか見ないじゃん。一瞬で判断して。脳は勝手に補正かけるから多少の違和感は簡単に見逃されるし」
「確かにそうかもな……でも俺はそれじゃ嫌だからなあ。自分で納得できる絵描きたいし」
「わかってるならそれ目指して描くだけでしょ」
「ほんと――あのさ、ずっと聞きたかったんだけど、両原ってなんでそんな急いでるの?」
「何が?」
「何がっていうか全部だけど。ものすごい速さで、ペン入れもしなくて、いつも時間ない間に合わない時間の無駄だって、そういうの。豊芦さんからも少し聞いたけどはたから見てる感じでもそうだし。ものすごく生き急いでるっていうか、とにかくほんとに、間に合わなくなるって感じで」
「実際間に合わないでしょ」
「え?」
「逆に間に合うと思ってるの?」
「……何に?」
「全部でしょ。全部。こっちからしたらなんでみんな急がないのかわからないし。ほんとに人生はこの先もずっと続くって思ってるわけ? この先もずっと漫画描けるって思ってるわけ?」
「それは……」
「そんなわけないじゃん。保証なんてどこにもないでしょ。そんなの当たり前じゃん。なんでかしらないけどみんなそんなこと考えないようにして生きてるってだけで。知らないのか無視してるのかは知らないけどさ。でも誰だって平等に明日死ぬかもしれないし明日体が動かなくなるかもしれないじゃん。私はそれを知ってるしそれをいつでも考えてるってだけ」
「……それはなんで?」
「知ってるから」
「だからそれはなんでよ」
「私がそうだから」
「……そうって」
「先のことはわからない。それは誰でも一緒。でも私は多分高確率で体が動かなくなる。腕が動かせなくなる。それを知ってるってだけ。知ってていつでも忘れなくて、だから間に合うように必死に急いで描いてるだけ」
「……知ってるって、高確率で体が動かなくなるって、どういうこと?」
「そういう病気。遺伝。家族がそう。体が徐々に動かなくなる。自由に動かせなくなる。ペンも握れないし漫画も描けなくなる。歩けなくなる。そうして死ぬ。そういう病気。もちろん自分がどうなるかなんてわからない。わからないけどそれはあるから、そうなったらもう描けなくなるから、だから描ける内に死ぬ気で描いてるだけ」
「……動かなくなるって、描けなくなるって、それほんとなの……?」
「知らないって。絶対なんてないんだし。だいたい別にそれは私に限った話じゃないんだし。あんたにだって絶対なんてないでしょ。あんた自分でこの先も今まで通りに自由に体動き続けるなんて絶対断言できる?」
「……できないけど」
「そうでしょ。別に誰だって同じじゃん。私の場合は確率が高いってだけで。知ってるし確率が高いからそれを意識してるってだけで。死ぬのも病気も誰にだって平等でしょ」
両原はそう言いながら、決して手を止めず描き続ける。
「私は自分の体がいずれ動かなくなるものだと思って描いてる。実際どうなるかなんてわからないけどそう思って描いてる。動かなくなってからじゃ遅いから、それがいつ来るかなんてわからないから。だから全部間に合うように死ぬ気で急いで描いてる。逆にみんなが、なんで急がないのかわからない。なんでこれが最後だって思ってやってないのかわからない。明日死ぬかもしれないのにさ」
それは、あまりにも正しい言葉だった。世界の真実ですらある。自分は、今日死ぬ。明日死ぬ。その「可能性」は常にあり、誰にでも平等だ。病気でなくとも、健康体であっても、この先何が起こるかなど何一つわからない。保証などどこにもない。
けれども、とはいえ。その事実を「知って」いたところで、普通人間はそのようには生きれない。常にそれを思っては生きれない。疲れてしまう。耐えられない。虚無に飲み込まれる。明日死ぬなら、自分のすべてが無意味になってしまう。常にこれが最後などと思って生きていては、うまく未来を築いて生きていくことはできない。
困難なのだ、その道は。その生き方は、あまりに困難だった。けれどもそれを、この両原長という人間はやってのけている。
ひるがえって自分はどうだろうか。自分は、そんなこと一度も考えたことがない。自分が死ぬなど、考えたこともない。とはいえそれも正確ではない。小さい頃に初めて死というものを知り、死を意識し、「死んだらどうなるのだろう」と考えることくらいはあったはずだ。けれども両原のそれは、あまりにも違う。常に死を意識するということ。終わりを意識するということ。メメント・モリ。むしろ死のほうがありがたいのかもしれない。死んでしまえば自分は消える。何も感じない。けれども生きながらえながら、体が動かない。腕が動かない。何も描けない。大好きな、自分の生きがいである、生きる理由である漫画を描けない。そんなことになったら。その絶望と悔しさは、いかばかりか。
考えたことなどなかった。自分はいずれ描けなくなるなど。毎日毎日、これが最後かもしれないなどと。漫然と、明日はどこまでも続くと、そう思って生きていた。
覚悟が、あまりに足りなかった。
両原は、多分。毎日毎日「これが最後だ」と思って描いてきたのだろう。だから「自分の人生の最後に何をしたいか」と思い、自分のすべてを注ぎ込んで描いてきたのだろう。これで終わるから、せめて少しでも長く、少しでも先までと、脅威の速度で。それでいて自分の納得、自分の生きた証にと、あれ程の熱量のある画で。そして生きた証を、魂を注ぎ込んだ人物、行動、セリフ、ストーリー。
すべて合点がいった。何故両原が特別なのか。彼女自身が、別に特別なのではない。天才なわけではない。彼女の「病気」だって、何も特別の直接的な理由ではない。
それが生む生き方。それが強制する生き方。覚悟。注ぎ込み方。それが両原の漫画を特別なものにしていた。
自分とは、違う。あまりにも違った。
「だいたいさ、あんたも漫画描くわけでしょ?」
と尋ねられ、手代木は我に返る。
「え? ――ああ、うん、まあ一応は」
「自分の中にストーリーとかキャラとか、描きたいものがあるわけなんでしょ?」
「それは、もちろんそうだけど……」
「じゃあそれ描かずに死んでもいいわけ?」
「え?」
「描かずにさ、形にしないで、途中で死んでもいいの?」
「……それは」
「嫌じゃない普通? 私は絶対嫌。我慢できない。作品って描いて形にしないと存在しないのと同じじゃん。描かないと自分の中にしか存在しないじゃん。そのまま死んだらさ、そのまま描けなくなったら、もう存在しないのと同じじゃん」
両原は、手を止めることなく続ける。
「私が描かないとそれは存在しないわけじゃん。じゃあ描くだけでしょ。私しかそれはできないんだから。別に誰かに読んでもらう必要もなくて。でも描かないとどこにも存在しないから。それはもうしかたないだけじゃん。やむにやまれずで。私以外できないから私がやるってだけで。自分の中に存在するものに責任もあるし。
とにかく急がないと間に合わないから急いでるだけ。描いて形にしないとなくなるかもしれないからやってるだけ。どれだけやったって追いつかないくらい描かなきゃいけないことが山ほどあるから。仕方ないからやってるだけ。他に方法がないから。急いでるのなんてそれが理由。それだけ。逆に急がない人はそれがないんじゃないの? 自分が死ぬとも思ってないし、自分が描かなきゃ存在しないとも思ってないし、そんな物語が自分の中にはないってだけで。でも私はあるから。あるからやるしかないから。やるしかないからやってるだけ。別に大袈裟に聞くことでもないでしょ。全部当たり前じゃん。当たり前じゃないほうがおかしいだけでしょ」
両原のその言葉は、あまりにも正しい。正しすぎる。それはすべて世界の真実であった。どんな物語でも、どんな人物でも、自分の中にしかなければそれは存在しないも同然だった。
自分が死ねば自分の体とともに消え、初めから存在しなかったことになるものでしかなかった。描かないことには、それは存在しなかった。手代木は、そんなこと考えたこともなかった。
自分の妄想。その中にいるキャラ。その中にいる物語。それは確かに、存在しない。ほんの一部ノートに描いたあの漫画の中でしか、存在しない。そしてそれは誰にも見られたことのないものだから、誰の中にも存在しない。けれどもあそこに絵として、漫画として、形が残っている限りは、一応世界には存在する。たとえ自分が死んだとしても、それは存在する。そして誰かが、それを見るかもしれない。そうしたならば、確かにその人の中にも、その物語は存在することになる。
けれども、描かねば。描かない限りは、それは永久にどこにも存在しないものとなる。
両原長が描く理由。異常な速度と熱量で描く理由。多種多様なあらゆる漫画を描き続ける理由。それは単に、一種の責任。物語への、人物への責任。自分がそれをしない限りは、それらは世界に存在しないから。
それは多分人類普遍の、作家という存在の本懐。
すべてが繋がった。すべてがわかった気がした。両原長という人間は――作家は、漫画家は、あらゆる「創作者」の正答として、そこに存在していた。特殊な立場が、彼女を齢十五でそこまで導いていた。いや、自らの足で、そこまで到達していた。
ひるがえって、自分。自分だ。自分にはそんなもの、これまで一切なかった。そんなものは考えもしなかった。自分はただ、妄想で気持ちよくなっていて。現実逃避で漫画を描いて気持ちよくなっていて……
でも、それだって。それですら「創作」であり、自分の中にしか存在しない物語、自分の中にしか存在しないキャラクターをこの世に顕在化させる行為だったのだ。理由はどうであれ、それは作品をこの世に存在させるための唯一の手段だったのだ。
自分だって、それをしていたのだ。それでも。
クソッ、ちくしょう。悔しい。今までの自分の生き方が、あまりにも悔しい。十五年という時間を、あまりにも無駄に使ってきた気しかしてこない。なんで俺は、なんであんな無駄に、なんであんな適当に……もっとできたはずだ。もっとできただろう。知っていれば、わかっていれば。
クソッ、クソッ、チクショウ!
腸が煮えくり返る。けれども、まだ間に合う。まだ間に合うのだ。幸い自分は死んでいない。まだ死んでいない。体も動く。手も動く。まだ何一つ、失われていない。けれども自分が知らないだけで、それは明日にでも失われてしまうのかもしれない。今まで考えたこともなかったそれを、今本気で考える。
今が最後。これが最後。最後のその時に、自分は何をして生きるか。何を残すのか。
両原の言葉はただの言葉じゃない。ただの言葉じゃないことを、手代木は知っている。実際目にしている。目にしてしまった。目にして、知ってしまった。今目の前でも繰り広げられている、毎日のこの異常な速度の執筆。それの集積としての、あの膨大な量の漫画。その一つ一つ。それはただの言葉じゃない。それは行動で生き様だ。はっきり目に見える形で、それがある。だから真実の言葉として胸を打つ。
「あんたは『これが描けたら死んでもいい』って思ったことある?」
と両原は言う。
「『これが描けたら死んでもいい』って描けたり、そういう漫画を描けたことある?」
「……ない」
偽ることは無意味であった。そもそも偽ろうなどとも思わない。それは今こここの自分という出発点。過去は変えられずどうすることもできない自分。
「私はいつもそう思って描いてる。描いてるもの全部が『これが描けたら死んでもいい』って思えるものだし、そう描けてる。でも、そんなこと全然思えない。これが描けたら死んでもいいだなんて思えない。描いても描いても次があるから。どれだけこれが描けたら死んでもいいって思えたところで次が来るから。次はもっとすごいものかもしれないから。
でも最後に、全部全部描ききってほんとに全部なくなって、ほんとに『これが描けたから死んでもいい』って思えて終われたら、それは多分後悔なんて微塵もなくて最高でしょ。だから私はそれを目指してる。その終わり以外に興味ない。そこだけ目指してる。みんなそうやって描けばいいだけじゃん。だってどうかんがえたってそれが一番最高なんだから」
「――そうだよな、ほんと、その通りだわ」
全て正しい。その通りだ。その通りだから、そこを目指すだけだ。
人生は決まった。すべて決まった。自分が何をするのか。どう生きるのか。
手代木の人生が、確定した瞬間だった。