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両原の描く漫画は、端的に言えば「面白」すぎた。まず当然絵がうまい。うまいだけではなくその場その場に合わせて完璧にふさわしい絵にしか思えない。どのようなポーズも何の違和感もなく完璧に描けている。その点は自分とは大違いであった。あれだけの速度の中、これほど正確な絵を。どれだけ絵の練習をすればその境地にたどり着けるのか、手代木には想像もつかなかった。とはいえあの速度なので「丁寧」ではない。しかしコマによって明らかに絵が違う。描き分けている。重要な部分、力のあるコマはより丁寧に、描き込みも多く。そうでない部分は大雑把に、しかし一目で何が描かれているかわかるはっきりしたもの。コマの中の線の数、情報の取捨選択も優れている。総じて圧倒的に読みやすい。
それは背景も同じこと。背景も当然にうまい。フリーハンドで、おそらく資料を見ずに描いているのにこのうまさ。正確さ。これまでどれだけの絵を描いてきたのかと思わず唸る。背景もまたコマによって描き込みが大きく異なる。必要な場所、おそらく自分が描きたい部分にはしっかりと描き込むが、そうでない部分は場合によっては無地に。どちらにせよ作品世界を表現する上で必要な背景は的確以上にはっきりあった。
絵のうまさはそれだけではない。構図、レイアウト。どこにカメラを置くか。フレーム、コマの中に何を収めるか。それが恐ろしく優れている。構図というのは手代木にとっても大きな課題の一つであった。どうしても単調なコマばかりになる。同じような構図ばかり。それは単にポーズなどの描き分けができていないからであったが、もちろん構図の引き出しというものが圧倒的に少ないからであった。同じ対象でもあらゆる角度、あらゆる距離から見て描く。フレームに収める。その「カメラの位置」だけで構図は劇的に変わる。優れた名画がその手本で、歴史に残るものはいずれも構図からまず違う。とにかくダイナミック。エネルギッシュ。それでいて「どうやったらこんな構図思いつくんだ?」と驚愕せざるを得ないもの。俯瞰からアオリからすべて。それを一発で、あの速度で描いている。一発で解答を導き出している。どれだけの経験があれば、才能があれば、これほどのものを生み出せるのだろうか……
そして当然、漫画は漫画。絵だけではない。構図だけではない。そこにはコマがある。コマ割りがある。「ネーム」がある。いわゆるネームセンス。それも一目でわかるほど抜群であった。一ページ内での情報の取捨選択。一話内での情報の取捨選択。決して無駄がない。余分はなく不足もない。あまりにも完璧な情報量。あまりにも完璧な流れ。どこまでも読者をスムーズに誘導する。完璧。そうとしか言いようのないもの。総じて、あまりにも「漫画」として完璧。
そしてトドメは、ストーリー。キャラクター、セリフ、行動、ドラマ。それらがすべて、あまりにもリアル。本当に存在するとしか思えないもの。決して作り物ではない。間違いなく生きた本物の感情が、そこにはあった。
止まらない。ページを送る手が止まらない。次、次、次。どうなるんだ、もっと見せろ。この先を。感情移入。共感。前のめりになる。目が離せない。人物たちの一挙湯一投足に、心が揺さぶられる。彼らのセリフに、魂が震える。熱くなる。感動。感情が動く。間違いなく、自らの体験と同じ、それ以上に感情が激しく動く。
こんな、こんな漫画は……見たことがない……
気づいたらとっくに日を跨いでいた。更新されている最新話まで読み終え、恐ろしく深い息をついて顔を上げた時には、もう何時間も経っていた。明日も学校がある。完全な夜更かし、寝不足。今すぐ寝ないと。それでもその興奮下では、とても眠れる気がしてこない。
一体何なんだコレは。一体なんなんだあいつは。こんな、こんなもの、自分と同じまだ十五の人間が描けるわけがない。あり得ない。
なんなんだ、両原長は。
*
真の天才。そうとしか言いようがないように思えた。寝て起きて一夜経っても興奮は消えない。放心状態。完全に魂をあちら側に、作品世界に持ってかれている。こことは違うあまりにもリアルな現実。生きた世界がそこにあり、そちらに行って帰ってこれない。極上の読書経験の後でしか味わえないもの。作品の強すぎる力。それが確かに、両原の漫画にはあった。
あまりに違う。自分とは違う。自分が描いていたものなど、漫画ではない。ただの恥ずかしい妄想の写し。キャラも物語もドラマもない。自分の都合のいいように、自分が気持のいいように妄想したものでしかない。理想の自分、かっこいい自分、モテる自分。可愛い女の子、理想的な女の子。しょせん自分の自己満足、オナニー。とてもじゃないが作品などと呼べるものじゃない。自分は、そんなもので漫画家を……あまりにも、根本から違いすぎる。何が、どういう人生があんなものを書かせるのか。あんなものを作らせるのか。何を見て何を経験してくればあんなものを作れるのか。あんなものが思い浮かぶのか。何もわからない。まったくわからない。その十五年は同じ十五年であってまったく同じではない。何をしたらああなるのか。自分は、今まで何をしていたのか……
それはいい。それはわかる。まだわかる。才能、アイデア。そういうものの差。経験の差。人生が違うのだからそういう違いがあるのはまだわかる。当然だ。自分もこれから、勉強していけばいい。色んな作品を見ていけばいい。色んな体験をしていけばいい。とにかく見ることが足りなかった。見るものが偏りすぎていた。だからまだなんとかなるし、まだわかる。
しかし絵。画力の違い。それは人生の違い経験の違いと言うより、単に練習量の違い。努力の差。もちろん絵の上手い下手にも才能はある。それは当然だ。最初からうまい者もいればたくさん練習しなければ上達しないものもいる。自分は、あえていうなら中の上から上の下くらい。少なくとも小さい頃から「絵心」はあった、はずだ。幼稚園の頃から絵のコンクールなどでは賞をもらっていた。小学生に入ってからも。だから最低限のうまさは、才能はあったはずだ。それから練習もした。上達はしている。けれども彼女と比べれば、あまりにも下手。あまりにも稚拙。絵を見ただけで圧倒的に練習が足りないのが誰の目にもわかる。漫画家を目指す以前の問題。ストーリーがどうこう以前の問題。こんな絵では、到底プロにはなれない。両原には追いつけない。何より、自分で許せない。認められない。こんな絵で、自分は、自分が思う自分の漫画を描けるのか? 自分が描きたい絵、自分が描きたいコマがあった時、そこで思い通りに描けなかったとして、それを許すのか? そのまま妥協して中途半端に先に進むのか? それは彼が今までやってきたこと。歩んできた道。だからこそ上達から遠ざかった道。それを、これからもずっと繰り返していくのか?
俺はほんとに、それでいいのか?
いいわけない。そんなことはできない。許せない。両原を見たら、こんなすごいものを見てしまったら、自分も少しでもそこに近づきたいと思ってしまう。同い年の彼女がすでにそこにいるのだから、自分だって死ぬほど努力すれば少しでも近づけるはずだと、そう思う。そのストーリーテリングは簡単には追いつけない。そもそもどう歩めば追いつけるのかもわからない。構図もコマ割りも、とてもじゃないが一朝一夕で身につくものとは思えない。けれども絵。それでも絵。絵なら、絵だけなら、いくらでも練習できる。練習した分伸びる。上手くなれる。そのはずだ。練習法だってわかってる。一応は今までの経験もある。だから絵。死ぬほど絵。なんとしても、少しでも、せめて両原に見せても恥ずかしくないだけの、あの絵と並べても恥ずかしくないだけの絵を。そこからしか始まらない。それがなければ、始まらない。
とりあえず絵。速度はまだいい。とにかく絵を。自分で認められるだけの絵を。とりあえず一年で。どれくらいの時間がかかるかなどわからない。一年で足りるのかもわからない。一年は長すぎるようにも思える。けれども高校三年間のうちにプロへの道、と考えた時にその三分の一というのは決して長くはない。それくらい腰を据える必要があるようにも思える。とりあえず一年で。できるものなら、ひたすら描いて半年で。
描きたいものはある。山ほどある。描きたい漫画が、描きたいキャラが、描きたい物語がある。高校に受かってそれを毎日好きなだけ描けると思っていた。けれどもそれだけじゃダメなのだと痛感する。描きたいし、描いていいとも思う。それは両原の漫画と比べればどうしようもない出来損ないかもしれないし、しょせんただの自分にとって都合のいい妄想かもしれないけれど、それでもその描きたいという欲は消せない。創作なんてそういう妄想からしか始まらないようにも思える。しかしそれをより自分が思うように、完璧に表現するためにも、絵。そして何より、描きたいのに描けない、そのお預け状態、強力な飢えというのは練習の原動力になるはずだ。自分の思い描く絵に到達するための、エネルギーになるはずだ。それにそうして時間をかければ、練習すれば、もっと色々知っていけば、妄想の見え方も変わってくるかもしれない。もっと何かがわかってくるかもしれない。正解がわかってきて、よりきちんと「物語」としての形を形成していくかもしれない。
焦燥はある。欲はある。でも今はその時ではない。今は自分を抑えるしかない。ひたすら絵を。練習を。それこそが、それだけがプロへの道の確かな道程だと。それこそが、最短距離なのだと、自分で信じて。
*
両原は、いつだって漫画を描いていた。彼女に出会った翌日から、手代木はそれを知ることとなる。
授業が始まるまで、彼女は一人机でひたすら何かを描いていた。わざとらしく横を通り確認したが、それはやはり漫画だった。彼女はホームルームの時間だろうと授業中だろうとお構いなしに描き続けた。お構いなしに手を動かし続けていた。けれどもそのあり方は、少しだけ違っていた。
前を見る。前を向く。顔を上げている。さも教師の話を聞いているかのように。さも板書を写しているかのように。それはどこまでも自然。しかしその実は、手だけで漫画を描いている。たとえ紙面を見ていなかろうと、その手は漫画を描いている。異常。そうとしか思えない振る舞い。それ以前に、目をそらしたって漫画が描ける。見ていなくたって手だけで描ける。それはもう、異次元の鍛錬を繰り返した末にしか得られない技術であった。本当に天才なのか。それとも繰り返しているうちに身につけたものなのか。それはわからない。わからないが、できているのだからそれでいい。
自分は、自分も。そう思うが簡単ではない。授業中にも絵の練習をする。とはいえそんなに大袈裟に机の上に教本やらを広げておくこともできない。スマホも置けない。だからといって想像だけで描いていてはこれまでと変わらず上達もしない。とりあえず始めは現実の模写。授業中のクラスメイトや教師、教科書などの一部の絵。そんなもので練習になるのかわからなかったが、適当に想像だけで描くよりはマシ。そして後々編み出したのが教本のコピーやネットのページの印刷。一枚の紙であればいざという時もノートの下などに隠しやすい。目立たない。そうしてひたすら、授業中だろうと絵の練習。時間は限られている。三年間はあまりにも短い。何より、そうしている間も両原は一人はるか先を突き進んでいるのだから。自分も最低でも同じ時間やらないと、追いつくことなどできるわけがないと。
*
放課後。手代木は入部届を提出し正式に文芸部の一員となり、文芸部に向かった。入らないことは考えられない。なにせあの両原がいるのだ。学ぶことしかない。刺激にしかならない。それを除いてもあの教本の数と、何より紙。紙と鉛筆。ひたすら絵の練習をすると決めた以上、それを自由に使えるというのはあまりにもありがたい。まさに部活様々、部費様々。そうして彼は文芸部部室に足を踏み入れた。そこには昨日同様二人がいた。パソコンの前に座る豊芦に、ただひたすらに描き続ける両原。この人間には本当に疲れなどないのか、と驚く。それ以前にそんなに絶え間なく描くことがあるのか。思いつくものなのか。
「こんにちはー」
と豊葦が挨拶で出迎える。
「こんにちは。早速ですけど入部届出してきたのでこれで俺も正式に今日からここの部員です」
「そうですかー。ようこそー。仲間が増えるのはいいことですねー」
「はい。でまあ軽くは国見先生からも聞いてますけど、ここの色々使っていいんですよね?」
「そうですねー。本の持ち帰り、レンタルとかは一応紙に書いて何日までに返却とかはありますけど。紙とか鉛筆の持ち帰りはダメみたいですねー」
「そうですか。それでまーあの、両原さん。もちろん描きながらで構わないんだけど、俺の絵とかちょっと見てもらえたりする? 下手なのはわかってるけどどこがどうかとか」
手代木はそう言って紙を両原の横に置く。両原は手は動かしたまま、ちらっとそれを一瞥する。
「自分で描けてないってわかってんでしょ?」
「まあ、うん」
「じゃあ私が見る必要ないでしょ。自分で見てどこがおかしいとかわかってるんでしょ? どこが変かもわからなくなったら見せればいいんじゃない。自分で見ても描けてるはずだけどできてるか判断できないってくらい描けるようになったらさ」
「そっか……確かにその通りか。両原さんってどれくらい練習してそんな上手くなったの?」
「さあ。私別に練習とかしてないし」
「え?」
「練習しようと思って練習したこととかないし。ただ描きまくってただけだから」
「……それはどれくらい?」
「知らない。ずっとじゃない?」
その言葉に「天才」というものを感じずにはいられない。真の強者は、真にプロになるものは努力を努力と思わない。練習を練習と思わない。ただやる、それだけ。だからこそ凡人とは違う天才なのである、と。
「描くにしてもさ、どういう描き方っていうか、何をどう描いてきたかとか」
「模写でしょ基本は。見ないと描けないんだし。見ないと何が正しいかなんてわからないんだし。見て正しいものを正しく描き続けてればそのうち描けるようになるんじゃない?」
それはあまりにも当たり前の話。けれども凡人には簡単にできるものでもない。
「まあそうだろうけど……両原さんめちゃくちゃ速いけどめっちゃ正確じゃん。何も見ないで描けてるし。それはどうやってるかっていうか、何をしたらそれができるようになるかっていうかさ」
「それも模写でしょ。繰り返し。人間なんかわかりやすいけど。あらゆる角度から色んなポーズ何回も描いてれば自然と覚えるしわかってくるし。そうしてると自分の頭の中で人体自由に動かせるし。動かせれば頭の中で描きたいポーズに動かしてその通りに描くだけで」
やはり描きまくるしかない。当たり前のこと。わかっていたことだが、近道などない。模写。ひたすらなる模写。体が自然と覚えるまで。
「まあ最初はどうなってるかとか頭で考えながらかもしれないけど、繰り返してれば考えるのも自然にできるようになるだろうし。あえていうなら全部立体だってちゃんと理解して描くことじゃない? あくまで三次元を二次元に落とし込んで表現してるってだけで」
「そうですね……わかった、ありがとう。邪魔してごめん」
手代木はそう言いつつ教本やデッサン人形を取ろうとするが、
「あ。あとそういえばだけどさ、授業中とかあれやっぱ漫画描いてるの?」
「そうだけど」
「なんかすごい勉強してるふりっていうか、話聞いて板書してるっぽい感じで描いてるけどあれどうやってんの?」
「別にそのままでしょ。顔だけよそ向けて話だけは一応聞いといて手だけは描いてるってそれだけ」
「……他見ながらでも描けるの?」
「やってればできるようになるでしょ。少しは見てるし。時間ないんだから自然とそういう描き方覚えるし」
「そうっすか……なんでさ、そんな時間ないっていうか、そんな急いでんの? ペン入れしないって話の時も言ってたけど」
「逆にそっちは急がないの?」
「え?」
「人に聞いてるけどそっちはそんな時間あるの?」
「……いや、どうだろ」
「ないでしょ。あるって思ってたってないのは事実で。普通急がない? 時間なんて誰だってないじゃん。明日死ぬかもしれないんだし」
その言葉は、事実は、知ってはいながらも真面目に考えたことのないあまりにも現実離れしたものであった。
「それは、そうかもしれないけど……」
「だったらなんで急がないの? 毎回これで最後だって思ってたら普通急ぐじゃん。これ描いたら死ぬって思ってれば急ぐじゃん。これが最後かもしれないって思ったら死ぬ気で急いで描くじゃん。逆にそうしないほうがわからないんだけど」
それは、常軌を逸した生き急ぎ。彼女が同い年にして何故あの領域まで行っているのか、その理由が手代木には少しだけわかった気がした。とはいえ、何故そこまで生き急ぐのか、その理由は想像もつかなかったが。
けれども、言ってることは正しい。全て正しい。時間などないのだ。時間など最初から限られているのだ。誰にとっても時間などない。誰にとっても時間は平等に限られている。自分だってそう。同じこと。例外などない。そして高校在学中にプロの道筋を、と本気で考え目指すのであれば、必然一層時間は限られる。
自分には足りなかった。圧倒的に覚悟が。自分は何もわかっていなかった。天才、才能。そんな言葉で簡単に片付けられるものではない。生き方が違うのだ。生きてきた年数が同じであろうと、その中身が、濃密さが違うのだ。
彼女がどうしてそういう人間になったのかはわからない。何をどうすればそういう人間になるのかはわからない。それでも、彼女はどこまでも手本であった。彼女が行く道を追えば間違いないと思えた。同じ道をたどれば少しでも近づけると、そう思えた。
ちくしょう、負けてられるか。負けてたまるか。どうしようもない距離。圧倒的な遅れ。しかしそれはもうどうしようもない過去のこと。けれども今は、これからは自分でなんとかできる。
描け、描くんだ、描きまくるんだ。描くだけの体になれ。体が覚えるまで描きまくれ。死ぬ気で頭使って全感覚で存在のすべてで描きまくれ。
「――そうだよな。ありがと」
腹は決まった。手代木は教本と紙と鉛筆とデッサン人形を手に取り机に座った。そうして日が暮れるまで、教師に下校を促されるまで、ひたすらに描き続けた。帰ってからも描き続けた。手が腕が肩が背中が痛くなっても描き続けた。もう自分はただ、描くだけの存在になれ。描くためだけに時間を使え。明日死ぬんだ。これで終わりだ。自分の人生の最後に何をしたいか。当然それで言えば、練習をすることに意味などない。未来がなければ絵がうまくなることにはなんの意味などない。そもそもが未来の保証などどこにもない。けれどもそういうことではない。人生の終わりに、その最後に、自分は何をしたいか。何をやりきったと言って死にたいか。
彼はただ、今はひたすらに絵を描きたかった。たとえ今死んだとしても、それが自分の人生だと。