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夏休みが終わった。手代木の難産は続いていた。迷いは簡単には消えない。ネームも一本作ることには作ったが、納得がいく出来ではない。それでいいとは思えない。とはいえそれをこれ以上いじくり回しても答えはないように思える。他のアイデアもそう。一番おもしろいと思う意欲もあるアイデア、もとい妄想でもこうなのだから他も似たりよったりではないかと。当然ネームに挑むのだが、その想像通り今一つ手応えはない。やはりしょせんは妄想、ちゃんとした漫画のネタにはならない、と一から考えもするがそれは作ったものであり今ひとつ気持ちが乗らない。あからさまに作り物のような気もする。堂々巡り。袋小路。そんなところにはまってしまったようにも思える。やはり漫画は難しい。描きたいままに描いていた頃が懐かしい。それに比べて絵を描くのはまだ楽でまだ楽しかった。できるというのがはっきりわかる。実感を持てる。練習は当然必要。決して無駄にはならない。今はこちらに集中するときなのかもしれない、と両輪でなんとか進んでいく。考えて、突き詰めて、やっていけばそのうちに、ネームだって道が開けるときがまたくるだろうと。
そんな九月下旬、手代木の運命を変える一つの電話があった。
午後。部室で。突然なる電話。見たことのない番号。知らない番号というのは出るのが憚れたが、今の手代木は違う。そろそろだということを知っていた。そろそろだと思っていた。まさか、いや、とにかく出ないことには。スマートフォンを持ったまま廊下に出る。歩く者がいない放課後の廊下。静かな廊下。遠くからは吹奏楽部が練習する音や野球部の掛け声。ともかくそんな中、まだ夏の暑さがじんわりと残る廊下で手代木は通話ボタンを押した。
「――もしもし」
『もしもし。私週刊少年チャンプ編集部の中田と申しますが、手代木さんのお電話でお間違いなかったでしょうか?』
「――はい。そうです」
『そうでしたか。今お電話大丈夫でしたか?』
「――はい、大丈夫です」
『そうですか。えっとですね、この度、七月に送っていただいた漫画が七月の月間賞で努力賞に選ばれましたのでそのご報告のため電話させていただきました』
「――そう、ですか……」
手代木はそう言い、一つ息をついた。
「――ありがとうございます!」
『いえいえ、こちらこそうちに送っていただきありがとうございます。すごく面白かったです。完成度も高校二年生、十六歳という年齢を考えればかなり高かったと思いました』
「ありがとうございます……あの、その、ちなみにですけど、その努力賞というのはどういった賞といいますか、どれくらいの賞になるんでしょうか?」
『佳作の一つ下、一歩手前ですね。最終選考に残った作品ということです』
「そうですか……いやでも、ほんとにありがとうございます」
感謝以外に、言葉が浮かばない。とはいえ会話中にそんな大げさに喜ぶこともできない。そこでふと思う。そういえば、まったく同じ賞に夏井も出していたはずだ。彼女は、彼女の漫画はどうなったのだろう。今自分に電話が来ているということはすでに結果は出ているということだ。ならばそれを聞くことも――
いや、今ここで聞いてはいけない。聞くべきではない。どちらにせよその報告は夏井の口から直接聞くべきだ。そんなプライベートなことを今ここで自分勝手に聞き出すわけにはいかない。
手代木は気持ちを押し留め会話に集中する。そうして通話を切り、一人に戻り、ふーっとため息をついた。
「――っしゃあああ!」
人のいない廊下に歓喜の雄叫びが響く。廊下に人がいないだけで各部室にはいるのだろう。けれどもそんなのも関係ない。どうでもいい。今はただこの気持ちをすべて吐き出したかった。手代木は振り返り、文芸部の部室に飛び込んだ。
「賞とったぞ! 受賞だ!」
手代木はそう言い、スマホを掲げる。
「やっぱり今のそうだったんだー! おめでとー!」
と笑顔で拍手する豊葦。
「おめでと。やったじゃん」
両原もそう言い、ふっと微笑んだ。
「おうよ。まー賞っていっても努力賞だけど、でも賞ってついてんなら賞だろ」
「努力賞っていうのはどういう?」
と豊葦。
「なんか佳作の下で最終選考に残った作品の賞らしいけど、賞金とかいくらなんだっけ。出す時見たけど覚えてないな」
と手代木はスマートフォンを操作する。
「……五万。あと原稿用紙もらえる。佳作は三十万だって」
「まあ賞は賞でしょ。担当つくの?」
「つくらしい。まあだとしてもこっちが描けなきゃ意味ないんだけどさ」
「そりゃね。ようやくスタートラインなんだし。でも自信にはなったでしょ。あれで間違ってなかったって」
「それはね。ただやっぱ、そうなるとどうしてもあれを追っかけるっていうか、あれ以上のもん描かないと佳作以上もないわけだし……ただでさえネームうまくいってないからますます悩むわ」
手代木はそう言い一つ息をつく。
「夏井さんのこともさ、聞こうとは思ったんだよ一瞬。同じ賞に送ってるわけだし。めっちゃ住所近いからあっちからもなんか言ってくるかとも思ったけどさすがに個人情報だから言ってはこなかったな。こっちも個人的なことだし勝手に聞くのも悪いと思って。なんかあったらあっちから言ってくるだろうしさ」
「そうだねー。でも手代木くんに今電話来たってことは入選してるなら夏井さんのほうにもいってるんじゃない? 待ってればそのうち来るかもね」
「かもね。まあでも、そわそわするわ」
手代木はその言葉通り、落ち着かずに部室で作業を続けていた。ネームをやるがうまく集中できない。自分の結果と、その喜びに興奮と、夏井の結果。頭をフルで使うネーム作業はそうした注意力散漫な状態ではできるものではない。そういう時はやはり絵の練習。手を動かすに限るといつものように練習をする。
そうして下校時刻も迫った頃、外からバタバタと廊下を走る音が響いてきた。それは部室の前で止まり、次の瞬間勢いよくドアが開く。その先にいたのは、息を切らした夏井だった。
「――佳作とった!」
夏井はそう言い、両原に向かってスマートフォンを突き出す。
「でしょうね」
「でしょうねってあんた」
「あれなら佳作くらいは不思議じゃないんで。取って当然だと思います。手代木より上なのは間違いないと思いましたし」
「手代木より上? ってことはあんた」
「努力賞でした……」
「マジ!? あんたも賞もらったんだ! やったじゃん!」
「そっすね。けど俺の負けっすね」
「そうだけどどっちも取ったならどっちも勝ちでしょ! やったね手代木!」
夏井はそう言って手代木とハイタッチする。
「いやでも、同じ部の人間が同時に受賞とかマジすごくない? 普通ありえないでしょこんなの。うわー、でもほんと……」
夏井はそう言い、一つ息をついて顔を両手で覆う。
「ほんと、良かった……」
「ほんとおめでとうございます夏井さん」
と豊葦。
「これでようやく夏井さんもスタートラインですね」
と両原も言う。
「そうだね……嬉しいけど、これでようやくスタートラインだもんね……でも、よかったほんと。がんばってよかった。それが認められて。自分は間違ってないって、はっきりわかってよかった。今このタイミングで。もちろんまたすぐ漫画に集中できないのはキツいけど、でもがんばれる。私は大丈夫だって、はっきりわかったから」
夏井はそう言い、両原を見る。
「両原、ほんとありがとうね。あんたがいなかったら私はここまで来れなかったから。ほんとにありがとう。でも思いは前と変わらない。待ってなさいよ。私もそこに行くから」
「知ってます。待ってます。夏井さんは多分ここに来ますから」
「ふふっ、ほんと生意気。でもありがとう。助けになる。あんたもがんばってね。私も、少しでもあんたの助けになりたいから。なんかあったら言ってよ。まあ私があんたの助けになれるようなことはないかもしれないけどさ」
夏井はそう言ってから、手代木を見る。
「あんたも、同じスタートラインだから、どっちが先に行けるか競争だね。まあ私は受験で忙しいから不利かもしれないけどさ、でも手を抜く気はないし。あんたも余裕こいてないでがんばんなよ。多少のリードなんて一瞬で抜くから、せいぜいこの一年で前に出れるようがんばんなよ。なんせ私は佳作であんたは努力賞なんだから」
「わかってますよ。そっちこそ受験で漫画の描き方忘れないでくださいよ。俺も死ぬ気でがんばりますから」
「忘れるわけないでしょ。あんた授賞式とかどうする? というか努力賞も授賞式呼ばれるの?」
「なんか早速上からっすねー。まあちらっとそんな話はされましたけど。でも東京っすからね。金あっち出してくれるんですかね? 行けるもんなら行きたいですけど。夏井さんはどうするんですか?」
「私は正直キツいかな。一月とか言ってたし。そんなの受験真っ最中じゃん。授賞式なら連載作家も、それこそ両原も呼ばれたりするのかな。そうだったら同じ授賞式に文芸部三人勢ぞろいとかすごい状況作れたのにね。まーでも、受賞も授賞式もこれが最後じゃないだろうし、いつかまたどっかで三人揃えることもあるだろうしね」
夏井はそう言って笑う。
「じゃあ、みんなまたね。次の漫画楽しみにしててよ。いつになるかはわからないけど、私もみんなの漫画楽しみにしてるから」
夏井はそう言い、手を振り部室をあとにした。
「――佳作かー……一歩先行かれたなー」
「でもほんとすごいねー我らが文芸部。この世代だけで三人漫画家排出しちゃうかもねー」
「ほんとな。両原パワーマジですごいな」
「私は何もしてないでしょ。努力したのは二人なんだし」
「だとしてもさ。そのきっかけも教えも。やっぱお前いないとこんなのなかっただろうし。ほんと俺も恩返ししないとだけど、でも夏井さんの言う通り俺がお前にできることなんてないんだよなーどう考えても。賞金でなんかとか言ってもお前のほうががっつり稼いでんだしさ」
「じゃあ部にでも寄付すれば?」
「え?」
「散々世話になってるんだし。後続、後輩のためにも、これからのために道具とか何か寄付したり。そうすれば次にって繋げるでしょ。別に私に直接何か返すだけが恩返しじゃないし」
「それもそうか……確かに初めての賞金の使い道としてはいいかもな。生徒からの金受け取ってくれるか知らないけど。でもなんか物買って勝手に置いといて寄付すればいいのか。紙も鉛筆も散々使ったからなー。お前もパソコンとかすげーの寄付したしな」
「というか自分用だけどねほとんど。散々使わせてもらってるし」
「そうだな。けど次の漫画か……当たり前だけど終わりなんてないんだもんな。描いても描いてもまた次ってさ。週刊連載なんか毎週それやってんだし。お前なんてずっとそれの繰り返しやり続けてんだもんな。ほんとすげえよ」
「したいしできるからやってるだけだけどね」
両原はそう言い、両手を下ろしぷらぷらと手を振る。
「お前でも手疲れることあんだな。両手使ってんのに」
「その分両手疲れるしね。最近は結構。やっぱり休みなくやってるから疲れも溜まってるのかもね」
両原はそう言い、ぐっぱと開いては閉じる手を見つめるのであった。




