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四月上旬。まだ新学年を迎える前のその春休み中に、両原の初めての単行本は発売された。当然週刊連載をまとめたもの。その最初の、始まりの第一巻目。それに先立ち、当然「単行本作業」というのも行われた。それは当然漫画家を目指す手代木、夏井にとってはよだれが出るほど見てみたい行為。当然無理言って「見学」する。とはいえ、そこでも両原がすることなどあまりなかったのだが。
単行本作業の一番の目玉といえば、やはり表紙だろう。表紙は文字通り本の顔である。その絵は単行本の売上に直結する。だから当然重要で、当然両原が自分で描くものであったが、そこでもやはり彼女は下絵までしか描かなかった。考えてみると両原がカラーを描いているところは一度も見たことがない。描けないということはさすがにないだろうけど、どういうものを描くのだろうか、と手代木は興味津々だったが、結論としては「やはり」描かなかった。というより塗らなかった。無論理由は「時間がもったいないから」。それでほんとにいいのだろうかとも思うが、本人が望むのだからいいのだろう。彼女自身「作画は一応連名とはいえ鹿又さんがやってる以上、表紙も彼女がやるのが筋。というより礼儀」とも語っていた。
それに際して手代木にはずっと疑問もあった。作画担当の鹿又さんは、ほんとにそれでいいのかと。どこまで納得してるのかと。両原の漫画はかなり特殊で、作画担当といってもその大部分はすでに両原が描いている。鹿又が「描く」ということはほとんどなく、本当に仕上げ、「なぞる」だけ。そこには自分の絵などなく、当然キャラクターのデザインもない。それは一般的に言う作画担当とはあまりにも違う。本当にただの「代行」。アシスタントの仕事とほとんど変わらない。本人はそれでほんとうに満足しているのか。納得しているのだろうか。もちろん手代木には聞く機会などなく、その答えを知ることなどできなかったのだが。
今回の表紙、カラーも、両原なりにそういう点での気遣いというのもあるのかもしれない、とも思えた。せめてカラーくらいは。作画担当として、自分の手で。いくら下絵まで完成されてるとはいえ、と。もっともあの両原がそこまで気が回るとも思えなかったが。
ともかく、単行本作業であろうと両原は基本人任せであった。加筆修正の類もない。おまけコーナーなどやっている時間もない。単行本がどういうものだろうと自分には関係ない。だってその中身は、「自分の漫画」は、ガワがどうであろうと何一つ変わらず、揺るがないのだからと。
そうして完成した単行本は書店に並ぶ。山積みされる。発売開始前即重版決定といったような売り文句もつけられる。初版で五万部を超えるという新人としてはありえない異常な数字。それもすぐに各地で売り切れが続出し、結果的に発売前重版は正しかったこととなる。その重版も追いつかず、また重版、と……
単行本が実際書店に平積みされてるのを見ると、感慨もまた違った。「今度こそ本当に遠くに行っちまったな。完璧に世界に見つかっちまったな」と手代木は思うが、やはり学校に行けばそういう気持ちも薄れる。世間を騒がすあの「天才」漫画家は、ちょっと変わった高校生として普通にそこにいるのだから。外部で何が起きようと何も変わらず、ひたすら漫画を描いているのだから。しかしそこにはある種の理想がある。すべての創作者の理想。自分も、こんなふうに創作ができたら。ただ創作のためだけに存在できたら。ほかのすべてを排除できたら、と。
「それにしてもお前のネームマジで全然直されねーよなー」
と手代木はなんの気なしに両原に言う。
「逆に聞くけどあんた私のあの漫画読んでネームに直しいると思う?」
「……いらないっすね、どう考えても」
「そういうこと。まあほんとに一部表現とかはたまにあるけど、それも漫画の根幹に関わる部分じゃないからどうでもいいし。担当も湯本さんだからね。かなり甘いというか、大目に見てくれてる部分はあると思うけど。編集長とかとは何か衝突とかあるのかもしれないし。でも全部私が漫画でねじ伏せればいいだけだから」
「すっご……まあお前じゃねえと言えないセリフだよな……実際売れてんだしさ。売れてるもんはもう正義で」
それ以外でもあっちも多少は事情を汲んでる部分もあるのかもしれないな、と手代木は思う。
実際、順調。あまりにも順調。傍目に見ても、こんなに何事もなく思い通りにいっていいのか、と思う。こんなこと本当にありえるのか。ありえていいのか。もっとこう、連載ってめちゃくちゃ大変なものじゃないのか。山のように障壁があるものじゃないのか。
成功は喜ばしい。そこに妬みなど微塵も感じない。けれども、不安。あまりに順調過ぎるがゆえの不安。それは当然、両原の体のこともある。それを知ってるからこそ起きる不安だろう。でも、大丈夫だろう。何事もないだろう。こんなにうまく行ってるのに、何か悪いことが起きるなんてありえないだろう。
それは両原の体しか知らぬこと。彼女の体以外、知る者のいない答えであった。
*
手代木は漫画を描いた。漫画を描き続けた。二年生になってもそれは変わらない。単純な練習時間を減らし創作にあてる時間が増えた程度の変化で、漫画を描く時間そのものの増減はさしてない。一年間の徹底した修行のおかげで絵は見違えている。速度も見違えている。ポーズが、構図がすんなり描ける。だから一つ一つの絵、コマにかける時間も減る。意図通りに表現できる。それはこれまでにない怪感に満ちていた。
漫画を描きながら、漫画の勉強、練習も進める。それはこれまでもやってきたことだが、より本格的に、徹底して。まずはネーム。それも両原という最高の手本がある。両原自身はネームと下書きを兼用してるのでネームらしいネームというものはなかったが、それでもその構造はこれ以上ない見本となる。両原の漫画を見ながら、「両原であれば俺のこの漫画でどういうふうにネームを切るか」を考える。両原の漫画を徹底して読むとそれがわかってくる。彼女の教えを思い出しながら、それを見ながら読むとわかってくる。すべての意図が。あの高速の執筆の中にも、すべてに意図がある。考えられている。その考えを、作業を徹底して続けた結果としてあの半自動的なものが生まれているに過ぎない。必要最低限、取捨選択。それは難しいが、鬼になるしかない。アイデアは、妄想は膨大にある。
しかしそれをすべて描くわけにはいかない。それでは重すぎるし、流れが悪すぎる。情報が多い。読者も疲れる、飽きる。読者が望むのは動きであり、流れ。変化を望む。感情の動きを望む。物語が先へ進むことを望む。何も作者の脳内をすべて見たいわけではないのだ。掘り下げとは別の、取捨選択。それは本当に読者にとって必要なものなのか。この作品世界、漫画世界において必要なのか。生みの親。生みの親であるがゆえの苦悩。それでも心を鬼にし泣く泣く切り捨てていく。両原は毎度毎度こんな作業そしているのか。それ以前の段階で取捨選択ができているのか。それとも頭に思いついた時点ですでに取捨選択などすました完璧な状態で現れるのだろうか。それは手代木にはわからない。そして彼は両原ではない。同じことなどできない。教わった以上、学んだ以上、そこから始めるしかない。それを徹底して繰り返した先に、両原の世界もあるのかもしれないと。
そうして手代木の漫画は劇的に進化していく。ずっと温めてきたもの。アイデア。妄想。そのメモ。それを念願かなって漫画にするため。そうして一旦ネームにすると、当然量が多い。ページ数が多い。それをなんとかするために、鬼の取捨選択が始まる。せっかく考えたものを切り捨てていく。この部分はいらない。この部分は余計。この部分は、作品に物語にも関係ない。そうして捨てていくと、徐々にその作品の本質だけが残っていく。それは寂しい気分でもある。自分のあの興奮が、妄想たちがどこかに行ってしまった。消えてなくなってしまった。けれども、そういうことでもない。それはちゃんとまだ頭の中には残ってるし、設定にもメモにも残っている。いつかもし、もしこれが連載にでもなったら、その時また会おうと。そうじゃなくても、いつかどこかで別の作品で会うかもしれないと。そうしてまたねと一旦の別れを告げる。そうして残ったものをさらにシェイプアップさせ、規定のページ数に合わせネームの形にしていく。しかし当然そのままでは、自分のアイデアを妄想をネームにしただけにすぎない。ネームは、物語はそこでは完成しない。
ストーリー、プロット。それにおいて重要な要素。結局どれだけしぼとうとアイデアはアイデアのままであり妄想は妄想のまま。それをいかに「面白い」ストーリーにするか。自分がとりあえず作り上げたネームを見れば、足りないのがよくわかる。物語としての面白さ。波。緩急。起承転結。序破急。感情の流れ、波。個々の行動を、出来事を、もっと感情的なものにできる。もっと劇的で、激しく、登場人物も読者も揺らぐものにできる。それに合わせてキャラクターももっと特徴があり個性があるものにできる。行動が、彼らにそれを強制していく。
それを繰り返す。徹底したネームの手直し。それをすると、徐々に見えてくる。完成形が。徐々にわかってくる。こうだったのかと。この漫画は、本当はこういう姿をしていたのかと。
深く深くまで潜り探求する日々の先、ようやく答えらしいものを見つけた、気がした。
そうして完成させたネームを見る。そこまで至るのに、一ヶ月の時間を要した。でも、だからこそ、そのネームはこれまでとは比べ物にならない完成度におもえた。読んでみても、ネーム段階で十分面白い。でもこれは自分だからこそかもしれない、とも思う。散々苦労した分その親心もあるし、完全に客観視はできてないのではないか。過程を見てるのだからそれが最初に比べ断然いいのは当たり前でよくわかっている。あらゆる知識や情報があり、自分が作者だからこそネームの僅かな絵でもなんとなくわかってしまうからこそ面白いのではないだろうか。それなしで、事前情報なしで読んでこれはどこまで面白いのか。
もちろん手代木には答えは一つしかない。両腹に見せる。本当の答えなど、そこにしかないのだからと。
「両原、ネーム描いてきたから見てほしいんだけど」
「ネームだけ?」
「そう。まあ書き込みは、下絵の下絵程度はあるかもだけど、この辺のネームの書き込み量も今ひとつわかんないよな。今なんて自分さえ分かればいいんだろうけど、この先担当に見せるとかなったらさ」
「その心配はさすがに早すぎるけど、まあ好みだからね。私がネームだけやるなら当然時間短縮でちょっとしか描かないけど」
「だよなあ。でまあこれだけど、一ヶ月かけた。一ヶ月間、徹底してこのネームだけやった。まあ休憩とか気分転換に絵の練習とかもしてたけど」
「休憩が練習なら別にいいんじゃない。でも一ヶ月もかけたんだ」
「うん。とにかく徹底して、完璧なネームだけを求めて」
「そう。じゃあ読んでみる」
桧原はそう行って読み始める。絵のほとんどないネームだから当然その読む速度は普段よりも早い。けれどもこの高速の中で読まれてもわかるものこそが、真のネームなのだと。
「読んだ。一ヶ月かけたってのもわかるし徹底してネームだけやたってのもわかる。これまでの勉強とか全部総動員で?」
「ああ。両原に教わったことにそのメモ。両原の漫画徹底して研究してわかったこと。そういうのをほんとに毎回毎回思い出して向き合って、ここまでまとめた」
「そう。元々のアイデア、源泉知ってるあんたからしたらどう? このネームは。自分として」
「……正直自己ベストで、知ってるからこそどうしても甘めにつけて、完璧に近い。百点、はありえないにせよ、今のこれはもうこれ以上のネームは無理だと思う」
「そっか……私が見た上で、ネームだけ見た上で言うなら、このネームは九〇点」
「きゅ、九〇点!?」
「ネームはね。だからこれを活かすも殺すもあんた次第。これができたんだから、こっからが勝負でしょ。下絵にペン入れに仕上げに全部。もう絶対にこのネームに報いられるよう、このネームを活かせるよう、勝負じゃん」
「それは、ほんと、そうだよな……」
「プレッシャー?」
「いや、まあさすがにちょっと……というより、自分のネームがまさか逆にプレッシャーになるなんて思わなかったからさ……」
「いいものを作れたらそのいいものを完璧に完成されるための責任が生じてくる。それがすべての創作者の責任で現実で運命。自分自身に呪われ縛られんの。おめでと、ようやくこっちこれて。これから先はもう、生半可な気持ちじゃできないから」
両原はそう言い、珍しく、ほんとに珍しく、ふっと笑った。それはどこか、狂喜を湛えた笑みであった。
手代木は一人またそのネームと向き合う。読むのは数度目だが、やはり贔屓目なくそのネームは完璧に近いように思われる。だからこそこれを、完璧に仕上げなければいけない。その責任。そうだ、生半可なことなどできない。それではこの作品に対して失礼だ。というか、それを自分に許せない。いい仕事を、完璧な仕事を求めなければならない。ここから先は修羅の道。徹底した己との、そして自分が生み出した作品との戦い。
恐れはある。不安に恐怖。それでも、好奇心。未知の世界に来てしまったことへの絶え間ない興奮。ここから先は、全部俺が知らない世界だ。知っているけど知らない世界。
やろう。やってやろうじゃねえか。
「ちなみに月刊でやるにしてもこれをこの三分の一くらいの速度でネーム切れるようになんなきゃやってけないと思うけどね」
「……そうなんだよな、ほんと……」
その指摘は、あまりにも今はまだ直視できない事実であった。
ネームの後は下書き。手代木も下書きまでは鉛筆でする。そもそもが勉強のフリをしながら絵を、漫画を描いてきたというのが彼の原点。絵はずっと鉛筆で描いてきた。それが一番うまくかける。死ぬほどやった絵の練習も基本は紙と鉛筆。それが彼にとってのベストの環境だった。加えて、その組み合わせなら両原同様いつでもどこでもできる。なにより紙が、紙と鉛筆で描く漫画が好きだった。
下書きでは多くのものが決まる。ネーム時点である程度決め、見えていたことではあるが、構図からポーズに表情まで。配置。アクション、動き。基本となる情報をすべて描き込んでいく。もちろんこの時点でもそらで描けないものなど多い。当然あらゆるものを駆使してなんとか正解に近い絵に近づけていく。重要なのは表現。絵の表現で、どこまで自分が思うものに、ネームの段階であったものに近づけるか。それを徹底して、やり続ける。なんどもやり直し、あるはずの正解をひたすらに目指す。それこそが彼の人生であり、漫画家の人生だから。
ようやく下絵を完成させた頃にはまた一ヶ月が経っていた。絶句する。あっという間の二ヶ月。二ヶ月もの間、あれだけやっていたのに、これしか進んでいない。両原はこの作業を、この四十枚程度のネームと下書きを、たった数日でこなすだろう。あのネーム兼下書きで、一日に十枚以上は平気で量産する。だからこんな四十枚なんて、場合によっては二日で終わってしまう。二日と、二ヶ月。その差。そこにある距離。
ほとんど絶望的。でも絶望などしていられない。この先にしか、この繰り返しの先にしかあの世界はない。両原の漫画は存在しない。自分もそこに行くために、やるんだ。ただひたすらにその道を辿って。走り続けて。そうすればいつか、この自分の足だって今よりもっと早くなるだろうと。
そしていよいよ仕上げに入る。ペン入れ。ここからはデジタル。手代木は、毎月の小遣いを必死に貯め、お年玉も全部注ぎ、液晶タブレットを買った。それで練習もしていた。けれども当然、これほどまでの「本番」は初めて。ここから先で、すべて台無しになるかもしれない。その恐怖。それでもやらない以外はありえないのであったが。デジタルなら失敗も修正も楽。そう言い聞かせて描き進める。
ペン入れは、一番練習していない作業。普段の紙と鉛筆とも違う。難しい。線によって絵は簡単に変質してしまう。一発で思い通りの線を引けるなど、絵をかけるなどありえない。そしてここからは両原の手本というのもほとんどない世界。デジタルであればなおのこと。両原ですら完全ノータッチの世界。死ぬ気で色々勉強する。便利なものでネットには動画などで描き方を教えるものも沢山ある。そして「両原の漫画のデジタル仕上げ」という点では鹿又が仕上げた彼女の漫画という教科書もある。それを手本に、やっていく。作品が、漫画が指示してくる線を。その漫画にとっての理想の線を。線の一つで絵は変わる。表現は変わる。すべては変わる。とにかく、今できる自分のベストをと。
そうしてペン入れを終え、デジタルも駆使しなんとか背景も入れ、最後に慣れないトーン処理もし、なんとか完成させた。
終わった頃には、高校二度目の夏休みも近づいていた。
出来上がった原稿を読み直す。そうしてまたデジタルで細々とした部分の修正をする。また読み直す。そうしてまた。その繰り返し。そうして今の自分にはこれ以上は無理だというところまで行き着く。これが今の自分のベストで、完成だ。そうして完成した原稿を、改めて読み直す。手代木は、深く息をつく。
ネームの時には九十点だった漫画が、甘く見たって八十点まで落ちている……
活かせなかった。活かしきれなかった。自分の技量があまりにも足りなすぎて。及ばなすぎて。もっと、うまくならなければ。下絵まではよかった。もっと、デジタルを自分の手として使いこなせるようにならなければ。
とはいえ、それは完成は完成。ありのままの今の自分。当然両原にも見せる。
「――自分では何点だと思ってんの?」
「正直に、つけると七十五」
「妥当かな。私もネームの良さ考えておまけで七十五。わかってんでしょ自分で?」
「まだ全然デジタルを使いこなせてない。仕上げができてない。ペン入れも背景もトーンも。これはもっと完璧な、それこそ百点の漫画も目指せたけど、全部俺の腕の無さが足を引っ張ってる」
「そうね。まあ私もペン入れ以降してないから何も偉そうに言えないし、そこから先はもう教えられないけど、それでも見れば良し悪しはわかるから。どうやればいいかは教えられないけど線のどこがどう悪いかは教えられるし。まあでもデジタルのことなら夏井さんか、それこそ鹿又さんにでも聞くのが一番だからね」
「いや、さすがに聞けんでしょそんな忙しい人に。というか俺赤の他人だし」
「でもなんかこっち来るって。さすがにここらで湯本さんと一緒に一度はちゃんと顔合わせとこうって。こっちのネーム下書き貯金のおかげであっちの作業も余裕出てきたみたいだし。連載分より先に進みまくってたから。ずっと休んでなかったから休載も一度くらいはってことで取材も兼ねてみたいな。その時に聞けば?」
「……いや、そもそもそこ俺いていいの?」
「いいでしょ別に。あっちが断ったら無理だろうけど。ここはさすがに無理だろうけど、優子の家とかになるんじゃない?」
「そこはさすがにせめてお前んちじゃないの? 編集者なら保護者にも挨拶とかもあるんだろうし」
「ああ、面倒なこと色々ありそうね……これどうするの? 原稿」
「あー、まーもったいないし、少なくともネームは自信あるからなにか賞には送るかな」
「そうしたら。これなら多分賞取れるし」
「そんな?」
「可能性はあるでしょ普通に」
「そうか……じゃあ出すわ。けどまあ、三ヶ月もかかっちまったなあ。四〇ページくらいしかないのに」
「それくらいじゃない普通。学校行きながら描いてたら。もちろんプロはその量一ヶ月くらいでやるけど、でもアシスタントもいてだしね。まあ筆は早いに越したことないし、賞だって数撃ったほうが当たるだろうし。なにより筆早いほうが賞だろうと編集の評価はいいでしょ」
「そっか……これってさ、直接湯本さんに見せるとかはやっぱ反則かな。別に俺の担当なわけでもなんでもないわけだし」
「知らない。優子に聞いてもらえば? 持ち込みだろうと直接もウェブもあるし、ウェブなら誰に当たるかわからないだけで同じだろうし、それで良ければ賞に流してもらえるんだろうし結果は同じじゃない? 現時点で編集者の意見が欲しいかどうかで」
「だよなあ……両原の方で推薦とかは」
「マナーというか常識としてどうなのか知らないからなんとも。まあその漫画なら読んで損はないくらいは口添えできるけど。あんた次第でしょ。それでいいのかどうかって。全部一から、自分一人の力でやりたいか」
「そうだよなぁ……つい頼っちまうし楽な方っていっちまうけど、自分の力で責任持ってやるべきだよなあ……わかった、あんたがと。とりあえず、賞に出して一から勝負してみるよ。けど今日夏井さんいないの残念だな。見せてビビらせたかったのに」
「目的変わってるでしょそれ。あの人も今仕上げだから家でデジタルでやってるみたいだけど。そろそろ完成みたいだし。タイミング被ってよかったんじゃない? あの人のもネーム相当よかったから仕上げの分でいい勝負っていうか、夏井さんの方が上だろうけど」
「マジか……そりゃ夏井さんだってあんだけ必死に両原の漫画研究してやってたからな……けど両原も夏井さんとそういうことも話すようになったんだな」
「別に。あっちが勝手に色々喋ってくるだけだし」
「はは。まーでもわかるよ。俺だってさ、両原に自分の漫画知ってほしいっていうか、認めてもらいてーし。もちろんそのために描いてるわけでもないしそれが目標じゃないけどさ、でもそれは漫画家への道として間違いのないものだと思うしな」
「そりゃどうも。でも私なんかより編集の言う事のほうが絶対だからね」
「そりゃそうだけそそこまで行くにはお前の背中追ったほうが確かじゃん。でもさ、夏井さんも多分これが最後になりそうだもんな」
「何が?」
「漫画描けるの。受験生の夏休みっつったらさすがにもう本格的に受験勉強始めないとじゃん。あの人がどこ行くかとか知らないし、美大目指すのかもしれないけどさ。でも美大だって多分予備校? みたいなので美術の基礎みたいなの学ぶ必要あんでしょ多分。この田舎にそんなのあんのかな。美術部入るなりして美術の先生に教わるとかできんのかもしんないけど。どっちみち多分漫画書いてるだけの絵じゃ入れないんだろうから。デッサンとか徹底してできないと無理なんでしょああいうの?」
「知らない。そこは完全に専門外だから。まあ漫画とかで読むとそんな感じらしいけど」
「東京芸大目指すやつとかな。でも東京芸大は別だよなあさすがに。他はどうなんだろ。まあ美大以外でもデザインとかそういうなんかあるのか? あと京都精華大だっけ? 確かマンガ学科とかあるの。ああいうとこの試験ってどんなのなんだろうな。まーとにかくさ、どうするにせよさすがに受験生で、夏休み入るっていったら今までみたいに漫画ばっか描いてるってのは無理じゃん。息抜き程度にやるにせよ、多分完成まで半年とかかかるんじゃない? それ考えるとさ、多分高校いるうちに夏井さんが完成させる漫画もこれで最後っていうか、まあ最後の一つ前だろうし。俺らがいるうちに直に読めるのなんて。夏井さんにしたってさ、高校のうちに一つの結果を、ってなったら多分これが最後の勝負だろうし。そういうの残念だし寂しいけど、でもすげえ応援する気持ちもあるし。それと同時に改めて自分に残された時間ももう一年しかないって思い知らされるしな。別に一年しかないわけじゃないけど、高校生の漫画生活っていうと」
「あんたも受験すんの?」
「どうだろ……正直まだ考えてないし考えたくもないけどさ、まー親からしても学校からしてもそれが既定路線なんだろうし。俺だってここまで漫画本気でやる前は、中学の頃とかはそれが既定路線なんだろうって思ってたし。正直まあ、この漫画次第って部分はあるかな。これでほんとに賞とれたら少しは道筋つくだろうし。けどまあ、編集にしたって行けるなら行っとけなんだろうな多分。ほんとに漫画家になれる保証なんてないわけだし、それ考えてもどうなってもいいように行けるなら行っとけってのもわかるし。でもほんとさ、漫画のことだけ考えて生きてえよなあ」
「そうね……それはほんとに幸運だし、特権だし」
「ほんとさ。そのために漫画家なりたいようなもんだし。ほんと漫画のことだけ考えてさ、そんなふうに生きられたら多分心底幸せなんだろうな……それはそれで辛いことなんていっぱいあるだろうし、売れなきゃ地獄だろうけど。でもほんと、今の両原はほんとに羨ましいし、幸運で幸福で、これ以上ないって立場だよな」
「ならあんたも目指すだけでしょ。ほんとにこれだけが欲しいなら。自分であと一年っていうなら、その一年でここまでくればいいだけじゃん」
「はは……ほんとおっしゃるとおりで。そうだよな。あと一年もあんだし、やるだけだよな。でも時間は限られてて、それ考えるとほんと休んでる時間なんてないし、筆も今の二倍の速度で描けるくらいには速くしねーと」
「そりゃね。単純に二倍の量描けるわけだし。数撃ちゃ当たるは事実だけど、でも同時に一つ一つの完成度も上げなきゃいけないから、まあ大変だろうけどがんばって」
「はは、他人事だなあ。両原にはありえない悩みだよなあ」
「私はすでに通った道ってだけだから。そんな道はとっくの昔に通ったってだけ」
「……だよな。両原だって当然そこ通ってんだもんな。じゃあ俺も通らねえとだし、通ればちゃんとそこに通じてっか」
手代木はそう言い、「ヨシッ!」と両頬を叩き気合を入れ直す。すべてのゴールは始まりだ。一つ描き終えたら終わりではない。それは次の始まりに過ぎない。終わりなどないのだ、この道に。漫画に。人生には。すべては続く。否、続かせる。それが自分で選んだ自分の人生なのだから。




