死についての思索(81)
2023/05/17
死の淵での死神の会話。
今、三羽の鳥がおそろしく晴れ渡った、光の天国で飛び廻っているとしようか、君はその光景を地獄の大地から眺めている。さて、君なら何を思う?」
「私ならその晴天は、その三羽の鳥によって弄ばれていると思います。つまり、その鳥の飛翔は切断の意志であり、晴天の心はその縦横無尽な飛翔の力によって刻々と分解されるのです」
「ならば、その考察の逆は、空の拘束であり、鳥の飛翔の不自由であるというわけだね?」
私は大笑いをせざるを得ないその空か、その鳥たちを捕まえ、拘束するだって? 空には、あの網もないというのに。決定を下すのは、常に正に、その鳥の態度であるのだ。
「実に明快なことであるが、発端において飛ぶことを意欲したのは、その鳥自身である。その空は、その決意を見越してあらかじめ拘束という支配の網をしかけたかもしれないが、それは決して、その鳥の瞳にはうつらない。故に、それは空虚な、透明の支配である」
「なぜ、それがうつらないというのだ?」
私はまたしても大笑いを止められない。こいつの平凡な悟性ときたら、意欲ですらも制御してしまえる、礼儀正しい悟性ときたら、なんて退屈なのだろう。なんて衰弱した意欲なのだろう。
「その鳥には瞳そのものがないからです」
「遮蔽ではなく、欠如ということですね?」
「ええ、そうです」




