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死についての思索(66)

2023/09/04


とにかく憂鬱であるが書かねばならぬ。


今日も私は正直に語らねばならぬ。

正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。

「私は、どうやって、いつ、どこで、だれと、死ぬのだろうか?」

ということは、私にとって一番重要な問題である。

 そして、もちろん、死の問題は、あなたにとっても重要な問題であるはずだ。なぜなら『あなたも、いつの日か、どこかで、だれかと、どうにかして、その、死、を跨ぎこさなければならない』からである。


私は、死についての問題を昔の文章を引用しながら、加筆的に思索する。

いわば、過去の自分を否定的に批評しながら、更なる思索の深みへと向かって、その、在っている、を導いていく。

(『』で書かれた箇所は過去の文章である。その文章の一つ一つに加筆を加えていったものを⇨の後に示すことにする。過去の思索については『小説家になろう』で「死についての思索(そこのあなたは、いつ、どこで、どうやって、誰と、死にますか?)」というタイトルで公開されている)

 本日の加筆箇所は「死についての思索(66)and(67)」に書かれたものである。


①動的時代とは一体どのようにして始まるのであろうか?


⇨どのように始まるのかなど問題とせぬ時、それは動的である。我々は我々の位置から始めなければならぬ。位置の把握が動的の始点である。つまり、意識するとは顧みるという位置の把握である。意識した途端、世界は動的である。


②プロティノスは『行動は観想を弱めるものである』と云うが、行動への没入は破壊への行動によって現実化する。真に行動的とは破壊的であるということである。故に観想は永遠の建設の実践であるからこそ、プロティノスは行動を批判したのである。彼は行動の本質が破壊であることを識る。


⇨一度行動を覚えた者は、もうそれをやめられぬ。創作もある種の行動である。造ることによって己を喪失することである。己の失いとは動的の把握である。それは客観という停止の視点を養うことである。


③真の破壊とは欲求の域から脱し、没入という概念においてその方向は点ではなく、波である。ある一点を破壊するというイマージュを、それはそなえず、それはあらゆる周囲を同時に破壊しうる運動であり、的確さの欠如した運動である。


⇨的確さの欠如が己を失うということである。的確さの欺瞞は己を確信することである。つまり、造ることによって己を生かす虚言の建築である。あらゆる創作の本質は、欺き造ることである。


④死の空間は永遠に持続的であると思われる。個体の死はその死の運動においてある空間を占めているが、その消滅とともに物質は滅する。


⇨物質の消滅もまた幻想である。我々は我々の喪失を理念的に把握することしかできぬ。死ですら理念である。


⑤だがその空間自体はなおも死の点として存続しうると思われる。だがその空間をもはや発見することは不可能である。発見するためには再び個物が同じ空間を通過しなければならぬ。


⇨同じ魂があるということもまた理念である。


⑥それは単に観念的な空間であるにすぎない。我々人間は単に個物自体の生成消滅を目撃することしかできぬ。物質の通過しか捉えられぬ。


⇨我々は観察としての死の発見しか不可能である。他者の死を発見すること以外に死について知ることは不可能である。


⑦私はそのような死の地図があると思う。それは透明な地図であるが、微小の質的差異があるに違いないのである。それを感性や知性で把握することはおそらく不可能である。それを把握するためには唯一創造的作用しかないと思われる。つまり、地図を見るのではなく、地図を仮定し、実践するのであり、地図を夢見ることでしか、それは達成されぬと思われる。夢の把握の中に新しい死の把握があると私には思える。それは実践的に夢を発生させるという作用と同義である。


⇨要は、死の実践は理念の実践である。それは単なるロマンティックな行為である。ロマンティックとは逸脱への強い意志である。

2023年3月29日


 動的時代とは一体どのようにして始まるのであろうか?

 プロティノスは『行動は観想を弱めるものである』と云うが、行動への没入は破壊への行動によって現実化する。真に行動的とは破壊的であるということである。故に観想は永遠の建設の実践であるからこそ、プロティノスは行動を批判したのである。彼は行動の本質が破壊であることを識る。

 真の破壊とは欲求の域から脱し、没入という概念においてその方向は点ではなく、波である。ある一点を破壊するというイマージュをそれはそなえず、それはあらゆる周囲を同時に破壊しうる運動であり、的確さの欠如した運動である。


2023/03/29 私の事柄について


 西早稲田は今日は晴天であり、桜が綺麗であり、空が純粋であり、どこにも記号を見出せない天気である。こんな日は散歩に適している。私はまだ若いのに、仕事も放ったまま、書斎から逃避して、近所を歩く。記号を求めてはならぬ。世界に見出される記号は私にとって都合のいいものであるに違いない。私はいつまでも無記号で存在したい。私と世間との記号を無視して、たまには偶然の中に身を任せたい。腹がすかないでほしい。私はあの書斎にかえりたくない。かえりたくないならば、自分自身を破壊する以外に方法はない。破壊を建設するとは実に奇妙な行為である。

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