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死についての思索(6)

2023年2月14日


世俗化された死の浸透。基礎付けられた死の形式。孤立化された人格的な死。もはや現代の死に自律的な領域はない。現代の死は完全に受動的な死であり、能動は微塵もない。最高の幸福を内包した死は死滅したのである。ならば我々はその存在自体が分業としての機能を失った社会機構においてどのように死を迎えるべきであるか? 解答はただ一つであろう。それは、べきの喪失、である。我々は、べき、のない生き方、死に方を通じて生物的個性を味わうしか道はない。人格的個性は味わえぬ。すでに我々の死は敗北の途上にある。その道の脇道にはささやかな自殺の小川が流れているだけである。生育、開花、枯死した時間は取り戻せぬ。今や新しい道が模索されねばならぬ。

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