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死についての思索(3)

2023年2月10日


低劣なる命はあるというよりは低劣なる経験的世界があると言わねばならぬ。それは経験の認識を怠ったからでもなく、経験の熟成において腐敗を引き起こしたからでもない。それは行為の才能のためである。行為する才能が枯渇しているのである。生存の幸福が死滅の幸福を上回ったともいえよう。つまり、人間は自然的人間になったということであり、今後もなりつつあるということである。人間の死はもはやその死の明朗さを認識できぬようになってしまったのである。かつてのギリシャ人のような死の明朗性は完全に失われたのである。

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