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死についての思索(27)
2023年2月28日
戦争による死は、個人的身体の死というよりは社会的身体の死というべきであろう。ある国家が戦争を実践する場合、一般的にその国家の国民は身体の強制を強いられるであろう。もちろん、積極的に個人的身体を国家に捧げる者もあろうが、社会的身体への強制を拒む者も出てくるだろう。しかし結局のところ、そのような個人的身体の抵抗も社会的身体としての共通の運命の渦にのみこまれてしまうであろう。抵抗のパトスはロゴスによって説得される。なぜならば共通の運命に従って他の大勢と結合する方が論理的となるからである。生き残るためには相手を圧倒する他はないのである。生存の種を死守することは明らかに身体的に論理的である。人間は戦闘を実践しながら平和を目指すことに、もうあまりに身体的に拘束されているのである。人間は本来戦闘的生物種である。




