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死についての思索(26)

2023年2月27日


身体なき死は成立し得ない。我々は思惟のうちに死することなど不可能である。もし可能であるとするならばそれは単なる観念の死である。古代ギリシャ人はソーマ(身体)という言葉によって人格を表した。彼らにとって身体とは己そのものであり、観念的な死などというものは思いつきもしなかった。死するとは身体において死するということである。我々の身体は単に我々の欲を達成するための道具ではない。それは最後の砦である。我々は身体をもって国家を継いで行くのである。故に身体なき国家は必ずその歴史までもことごとく消滅するであろう。古代ギリシャのポリスは滅んだが、ギリシャの身体は今もなお生き続けているのである。我々は国家の安寧を願うばかりで、根本の身体を忘却しているのではなかろうか。

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