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死についての思索(2)

死を選択するとは努力して獲得すべき未来である。

奴隷には死を選択することはできぬといえる。

奴隷には生命以上に尊重すべき死の形相を創造することは不可能である。

奴隷は瓦礫となった神殿で死するのみであり、演劇化された死であるに過ぎない。

神殿がなく、瓦礫がある以上、奴隷の死は写実的な偽造の死である。

そこでは多くの偽の涙が流されている。啓蒙という詐術の犠牲となった命ばかりである。

どうしてこのように奴隷の命は萎縮してしまったのであろう?

それは元からそうなのだろうか?


2023/08/06 加筆---「加筆とは人生の延長である」---西早稲田にて


死を選択するとは努力して獲得すべき未来である。

それは意味を掘り起こすという意味において努力的である。


奴隷には死を選択することはできぬといえる。

奴隷に優越した仕方で常に上位の考えが思考されるのである。

故にどの思考もある時点では奴隷的であると言わねばならぬ。

それは必ず加筆されねばならぬもの、塗り改められねばならぬものである。

故に、奴隷の書き換えが必要である。


奴隷には生命以上に尊重すべき死の形相を創造することは不可能である。

死の一歩手前の思索においても奴隷的であること必定である。

思索で死にたどり着くことは不可能である。

故に、思索の放棄は死に近しいとも捉えることは可能である。

しかし、そこでは死への努力は不可能と言わざるを得ない。


奴隷は瓦礫となった神殿で死するのみであり、演劇化された死であるに過ぎない。

演劇化された死が、必ずしも自然的でないとは言えぬ。

あらゆる人工的なものを凝らしたものが、自然に通ずることも考えねばならぬ。

もしも自然的な死を嫌うのであれば。


神殿がなく、瓦礫がある以上、奴隷の死は写実的な偽造の死である。

偽造の死もまた反省できぬと言わねばならぬ。

偽造と判断された思惟は必ず他者にあると言わねばならぬ。

自らの死を偽装と思索するものは、そもそも何も救いはないであろう。

もし救いがあるとするならば。


そこでは多くの偽の涙が流されている。啓蒙という詐術の犠牲となった命ばかりである。

どうしてこのように奴隷の命は萎縮してしまったのであろう?

それは元からそうなのだろうか?

身をくねらせ、顔を歪めている死とは奴隷の死であろうか? 強制の死は奴隷の死であろうか?

本当に注意深く思索を観察するならば、円環なる思索は不可能であると言わねばならぬ。

思索はやはり標高を成すと思われる。

故に高さがあるというものであるならば、滑落の死は十分にあり得るであろう。

もしもその、者が勇敢なる思索の登攀者であるならば、彼は登りながらに、山を成しているであろう。

彼は永遠の登攀者、標高を極める者である。

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