死についての思索(121)
2023年8月22日
①和辻哲郎の短編に「日本の臣道」という短編があるが、まさに日本の伝統はこの臣道において語られねばならぬであろう。ここで和辻は、いわば「大君の御ためには喜んで死のう」ではまだ己なるものが残されていると批評している。その境地ではまだまだ己の命へのこだわりが強すぎる。それはまだ「私」なるものを多く含んでいると云う。この意見は大いに記憶に留めておくべきであろう。君子への奉仕でもなく、それは道への奉仕でなければならない。さらにいえば、奉仕という概念すら飛び越えて、己が自然と道と同化するような道でなければならない。そこにはもう己なるものは何もないのである。
②和辻の考察をあらためて考えると愛国心なるものは、そのほとんどが偽物であるような気がする。それは己を国に癒着させ、己の身を残したまま、国なるものへ奉仕することであり、そこには名へのこだわりがある。やはり、愛国心とはむつかしいものである。愛国心とは狂信的ではなく、平静な心なのであろう。しかし、そこに特攻精神のようなものが飛び込んでくる。その精神はあらゆる稠密を破って、その連続を分断する。彼らは肉弾となって生命を執拗にぶつけてくる。彼らは一体どこの静謐からうまれ出たのであろうか? それは探らねばならぬ。その静謐から生み出された荒御魂をわれわれは、執拗に視なければならないのである。観るではいかぬ。それは視る出あらねばならぬ。