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死についての思索(121)

2023/08/22


(Ⅰ)人間の死の現象とは、偉大な遊戯であらねばならない。遊戯とは手元を離れた創造であり、最高の気晴らしであり、なまなましい自然に楯突く反抗者であり、正常に膨張をもたらすものであり、挿話の連続である。


(Ⅱ)創造物の本意は、その創造者の意図ではなく、その媒介者に何を迫るかである。どのような行為へと導くかである。という点において、創造の意図などは、もやは何をも物語らない。創作者の目的は、もう消滅したのである。これから起きることは、あらゆる媒介者の行為である。媒介者の自己建築のために、それは他用されるのである。


(Ⅲ)ある類比概念を他者の心にうつしだすということは、それが、語っている、という様態において、その他者を捉え、迫っているということである。通常の語りではこのような作用は起きない。通常の感情では人間を根底から行為へ導くことは不可能である。また通常の人間では根底の心を捉え、それを携えて長期にわたる彷徨に耐えることができぬ為に、彼らはその最後まで究極の明晰さに辿り着くことはない。彼らに純粋な魂が作用することはない。彼らの群の行為からなされる純粋性は、どれもみな濁りの極みである。濁っているが、その速度の速さゆえに、束の間の純粋性を写しだすのである。純粋は光速である。だが、その真実は本来濁っていないのである。

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