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死についての思索(112)
2023年7月27日
通俗的な死とは、あらゆる<その、言葉>で取り巻かれ、包囲された世界の死である。それは<その、言葉>によって統べられた者たちの、無のお喋りで満たされ、力動している。この力動的な無こそ、あらゆる殺戮への種子である。この種子は、無の無意味な無邪気さのうちにじっと保たれている。それは無意味ゆえに微力であり、無邪気さ故に無軌道である。
通俗的な死の例示に、非通俗的な死の解明が行われるのである。いわばそれは脈絡の逸脱としての死として、ひらかれて、あらわになる、のである。単なる現象として、それは露呈されるが、その吟味によって、ひらかれ、と、あらわれ、の印を確認できるのである。
故に、解釈するものが必ず必要である。それは解釈を与えるという、その、者、として露開しなければならぬのである。
その、者、こそ、新しい死の発見者である。