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死についての思索(111)

2023年7月26日


 率先して殺戮される者になるものは、洗濯の機構に耽溺してはならない。いわば、そのような人間に為るためには、なにものかという問いを放棄し、原因と未来との橋を破壊し、個有の時間の分解に努めなければならない。


いわば、それは、つねにすでに、おのれを超え出ようとする意欲を、その常態的跨ぎ越しを、『目的が遠い』ではなく、『遠い目的』として認識し直すことである。


最上の根拠である、自己の、その、対峙する『が』の境地を、たちあらためることから始めねばならぬ。<が>の放棄とは、いわば<その、>の放棄と同一である。それは<が>の死を実践せぬという実践であり、<その、>の死を<遠い目的>として視座する意欲である。


またそれは<壇上的>から<非壇上的>への渇望への意欲を思い上がらせるということである。


いわば、そのような形態は影へと侵攻となるであろう。信仰とは侵攻である。それは<非壇上>の稠密性への渇望の意欲である。


外縁を埋める屍となる決意である。


外縁の死にのみ、死の研ぎ澄まされた裂け目が宿る。


いわば、死の継承の、永遠が、宿る、その、余地が、ある。


その、外縁、とは<その、>の最小単位であり、原子単位である。


人間は、むかし、その、外縁より、<山が遠い>として、屹立したのである。


それが、その、人間、の誕生である。



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