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死についての思索(109)
2023年7月20日
嘆きは散発的であるが、ウィトゲンシュタイン氏の「死は人生の出来事ではない。人は死を体験しない」などというのは、その嘆きの典型である。また氏の「7.語りえぬものについては、沈黙せねばならない」もまた単なる散逸的感情の吐露であ理、まさか論理哲学的吐露ではない。
私は私の中にもはや何もできぬ私を有している。それはまるでベットに横たわった亡霊のように常に嘆きを放っているのである。それは言葉とならぬ無形態のフォルムで撒き散らされている。それは幽閉のベットから響き渡る。それは離れた私という旋律を奏でている。超越的音声がこだまする。それは、跨ぎこす聖音である。それは、おそらく死の心音におそろしくちかい。その心音の嘆きは、不自由の暫定を跨ぎ越そうとする、拘束された旋律としての、氾濫したベットの微動である。