死についての思索(104)
2023年6月15日
(F)盲目の場、に居合わせること、神への挑戦、無数の会話と無数の殺害
盲目の場は、基本的に、激越性、平均性、落下性、から成っている。いわばそれは、もりあがり、なだらかな直線、もりさがり、で表される。そこでは無数の対話者がたちあらわれ、無数の問いが問われ、無数の殺害が行われる。殺害はある種の閉鎖のあらわれとして行われるときもある。それはある種の連続性の拒絶であり、その他者性の実態への拒否であり、他者性創造の失敗という閉鎖的空間の発生である。
2023/06/19
(G)閉鎖的記録的世界の出現
無限大に発散したおそれは、いまだない、への憎悪であるということができる。おそれは外部への閉ざされたまなざしによって常に無数の胎児的すがたで把持されている。その胎児的なすがたの変容におそれを持つというのは育てることへの不安である。また育てられる契機の喪失によるおそれも備わっている。育てることの責任のまなざしによって占められているその閉鎖的空間では、死への安逸が阻害されている。そだて、そだてられるという共同の余波が排除されている。しかし、そのうような排除を決行したのは、己自身である。故にこの決意の再認によって、ますますその空間は憎悪化され、おそれの歪曲が独自となる。胎児的なものの無数の、育児放棄がなされるようになるのも、時間の問題である。その空間には無痛の殺害が無限実行され、血のない胎児の死骸が無腐敗に保たれている。