白の歴史書
「全員、問題無く終わったな」
12人から100ずつのステラを受け取った神の遠回しな褒め言葉に、012以外が顔を綻ばせる。
「折角の機会だ。質問があれば受け付けよう」
だが、質問と言われてもピンと来ない様だった。見習いの役目を果たす為に必要な情報は全て知っているし、だからと言って、この場で個人的な質問――好きな食べ物だとかを聞く程阿呆でもないし、いやもしかしてこれは私達を試しているのか……? と、皆が難しい顔をする中、特に悩む事なく手を挙げる天使が1人いた。
「012か。言ってみなさい」
「……はい。先程は何故、詠唱を行ったのですか?」
儀式の内容に対する文句、或いは進行した神への不満と取られてもおかしくはない疑問をぶつけた012に、他の11人がギョッと目を剥く。
「ふむ、其方は普段どうしているのだ?」
「……直接操作しています。時間は大切、なのでしょう?」
確かめる様な言い方から、その考えが誰かの受け売りである事を感じ取ったのだろう。それ自体は間違っていない為に、余計説明が難しい。
「確かに、時間は大切だ。それは間違いない」
行動の根拠を肯定され、012は頷く。
「だが、詠唱を省いた場合、杖を持たぬ者には何が行われているのか皆目見当がつかないであろう。儀式は皆の前で行うもの。それ故、正しく詠唱する必要があるのだ」
儀式は大切で、参加する全員が内容を理解出来なくてはいけない。その為には詠唱が必須で、時間をかけなければいけない。時間をかけると、理解出来て皆が助かる。
脳内の辞書を捲ると、「誰かを助けるのは良いこと」という記述があった。
「……つまり、皆の為に時間を割くのは良いことなのですか」
「そうだ」
なるほど、と012は頷いた。時間は大切だが、その時間を人の為に使うのは良いことなのだ。
頁の余白に続きを書き込む。ほんの少しだけ白が減った本は、それでもまだ完結には程遠くて。
「下に降りている間は特に、詠唱を行った方が良い。先程も、手で《初期化》操作をした様だが…なるべく避けなさい」
叱責と言うよりは、助言に近い一言。だが、圧倒的上位の存在からのそれを聞いても、
「……はい」
わからないことが増えたな、と頁の端を折り込みながら、感情のない声で了承の返事をするだけだった。
* * *
自分に割り当てられた部屋に帰ると、待っていた417が恭しく頭を下げた。
「お疲れ様でした、012番様」
「……417番、次の世界を創る。準備を」
《初期化》した箱庭世界は、全てが塵灰となって消える。そうして現れた無から、新しい世界を創造する。
何度も何度も、012が繰り返して来た行為。
皆が等しく幸せな世界――ただそれだけを追い求め、幾度となくやり直して来た。
「次は、どうされるのですか?」
「……大筋は、変えない。ただ、均等な教育の機会を……」
生まれた場所で、機会が奪われる様な事があってはならない。学びたいと願う者が、学ぶ意欲のある者が、貧しさを理由に弾かれてならない。
――あの世界は、それが出来ていなかった。
だから、間違い。
間違いは、正さなければ。
部屋の中心に立ち、手に杖を握る。とんっ、と床を突くと、軽い音を立てて数枚の管理画面が宙に現れた。自らに刻み込まれた知識に従う012の操作は淀み無く、その手は複数の画面の上を滑っていく。
最後に、人間でいうパソコンのエンターキーの様に、たんっ、と画面のとある項目を叩くと、目の前の空間が歪んだ。そこから現れたのは、一冊の『本』だ。
辞書の様に分厚く、天使の衣の様に白いその『本』を、012は慣れた様子で手に取る。
だが、その代償とでも言うかの様に――杖の先端、宝石の中で煌めく光の数が急速に減り始めた。
「ステラ、《歴史書創造》に伴い816から716へ減少しました」
一種の神々しさすら感じられる光景を前に、417が淡々と告げる。幾度となく繰り返している行為なのだから、今更感じ入るものなどない。
012もまた、ステラに関しては触れずに『本』を開く。歴史書と呼ばれたそれは、外見だけでなく中身に至るまで全てが『白』かった。
片手で身の丈程ある杖を立て、もう片手で白紙の本を開いた状態で、012は静かに目を閉じた。暗闇を見つめたまま軽く息を吸い、まるで祈りを口にするかの様に、言葉を紡ぎ始める。
「……ここに記すは、世界のはじまりの物語……」
白い歴史書が、声に呼応して淡く光を放つ。どこからともなく吹く風が、厚みのある歴史書を支え、頁を順に捲っていった。
――【ここに記すは、世界のはじまりの物語
――【数多の星が砕けし天 天が囲うは陽 陽が照らすは地 地が育てるは花 花を散らすは風 風が運ぶは雲 雲が降らすは雨 雨が芽吹かせるは種 種がつけるは実 実が羽ばたかせるは鳥 鳥が舞うは空 空が覆うは人々 人々が祈るは星
――【是、創造主たる我が定める、この世界の理なり
012が滔々と語るのに合わせて、白紙の頁に文字が刻まれていく。日頃の定められた詠唱とは異なり、自由度の高い『記述』という行為だが、その重要性は他と比較出来るものではない。
――【我は天より降りし、星の女神
――【この世界を創り、育む者
――【この地に生きる人間が、等しく幸せである事を希う者
一般的に、歴史書とは、起こった現象や人々の行いといった過去の事実を記すものだ。だが、無から創り出される箱庭世界には、過去の歴史と呼ぶべきものが何一つない。それまでの人々の営み、進化と発展、重ねた苦労と努力――そういった過程を全て省略して、結果だけを求められる世界だからだ。
――【我は、月の髪と空の瞳を持つ女神、アストレア
――【我が存在をもって、この世界に始まりと終わりを齎そう
過去の、歴史のない世界などあり得ない。国の成り立ちひとつとっても、神話や昔話、英雄譚といった、人々が納得する何かしらの『設定』が必要になる。
――【月から滴る一雫、砂上に落ちて大地となる
――【それより花弁の如く広がりし四の地を原初の国と、中央の地を聖域とし、何人も侵すことを許さず
歴史という表題で、創造主の都合の良いようにつくられる、架空の物語。こうして綴られた『歴史』は、文字通り『過去』として箱庭世界に与えられる。
たとえそれが、どんなに荒唐無稽であっても。或いは淡々とした箇条書きであっても。一つの物語として成り立ってさえいれば構わない。世界の修復力、補正力とでも言うべき力が働き、白の歴史書に記された事柄は箱庭世界の共通認識となる。
――【聖域は絶対的な教育機関であり、子供達は貧富の差なく学ぶべし
だから、こうして明記しておけば、先程の少女の様な子は生まれないはずだ。理論上は。
「……」
012の瞼の裏に、薄汚れた格好の少女が浮かぶ。学びたいと雄弁に語る瞳の煌めきが、焼き付いて離れない。強い光を見た後の残像の様にこびり付くキラキラに、何故だか胸が苦しくなって――
目を開く。
本の淡い光、ステラの輝き、照明の眩しさ、色んなキラキラが一斉に飛び込んで来た。だが、そのどれを見ても、いつも通り何も感じない。
「……」
この症状は初めてではないとは言え、不可解であることに変わりはない。加えて、今行なっている歴史書の記述は、最も箱庭世界の行く末を左右すると言っても過言ではないのだ。万全の状態で行うべきだろう。
画面を操作し、一時中断の指示を出す。歴史書の光が弱まり、頁が閉じられ、宙に消えていく。それを確認してから、012は杖を下ろした。
「012番様、どうぞ」
中断が疲労によるものと考えたのか、417が椅子を用意していた。手早くお茶が注がれるのを見て、拒否することでもないかと休憩を受け入れる。
「お熱いので、お気を付け下さい」
考えるのは、これから創る世界のこと。胸の苦しさは、不思議ではあるが優先度は低い。天使である以上、心臓に疾患があるとは考えられないし、そもそも寿命や病気とは無縁の存在なのだから。
「……ねぇ、417番」
ティーカップを受け取りながら、何となく呼びかける。012と417の関係性は、付き合いの長さとは裏腹にあっさりしている。業務連絡以外の会話が滅多になく、主と仕える者という義務的な繋がりでしかない。
「はい」
実は417の方は、星組への畏怖と尊敬から、012が予想しているよりも良く仕えたいという気持ちが強いのだが。そんな風に思われているとは露程も考えたことのない012は、淡々と言葉を続ける。
「……意図的に豊作にした世界を、覚えている……?」
「はい。結果は知っております」
白の歴史書に書かれる内容は、言わば箱庭世界の初期設定。故にこれまでも、記述には細心の注意を払っていた。
――あれは、何回目の世界だっただろう。
食べ物がたくさんあるのは、幸せなはず。そう考えて、【収穫量が増える】世界を創ったことがあった。
歴史書には、【この世界では常に豊作であり、不作はあり得ない】【食糧の略奪行為を禁じる】と記し、飢餓の原因となり得る、日照り、大雨、蝗害等あらゆる天災を事前に食い止めた。
人々はお腹いっぱいだった。笑顔だった。
だというのに、その世界は唐突に壊れてしまった。
「……あの時のステラは、幾つだった?」
「一時は万を超えましたが減少が続き、《初期化》を行われる直前には、1,000を下回っていたと記憶しております」
箱庭世界への干渉にはステラの消費が必須であるが、天使の役目はステラの集積。つまり、天候を操作したり、災害を止めたりといった『奇跡』の行使にかけたコストに対して、リターンが見合わないならば、その世界は失敗ということだ。
バランスが崩れてしまった世界は、遅かれ早かれ終焉を迎える。手元にステラがなければ、管理者と言えどそれを救うことは出来ない。故に――
「……釣り合いが、大切、なんだって」
012が世界に降りた時、空の双眸に飛び込んで来たものは『悲劇』だった。雑草や土を口に入れ、木の幹を齧り、泥水を争って啜り、子供を手にかける――そんな悲惨な世界を目の当たりにした。
――あの世界は、誰も幸せじゃなかった。
その時点で、“宿題”の条件を満たしていない。だから、「何故」とか「どうすれば良い」とかを考えるよりも先に、杖を手に取ったのだ。
「……世界の均衡が保たれていれば、ステラも“宿題”も、達成出来るんだって」
「それは、003番様のお言葉ですか?」
「……そう。集会で聞いた、星組の総意」
――いつも、途中までは順調なのだ。
干渉の仕方を間違えたのか、記述を間違えていたのか。一体いつから、どこから失敗していたのか。
わからない。湧き上がる疑問も、わかったかもしれない原因も、あったかもしれない解決策も、全て置き去りにして。
――わからないまま、あの世界を終わらせた。
取り返しがつかなくなる前に、何もかもなかったことにする。《初期化》は、その為に用意された、最終手段なのだから。
「……あの世界は、どうしようもなく壊れてしまっていた」
思い出す様に012が呟く。無意識に、自分の行いを肯定して欲しかったのかもしれない――なんて。そんな感情を持つはずがないことは、よくわかっていた。
「はい。あのまま《初期化》をされていなければ、ステラはゼロになっていたことでしょう」
「……」
あの世界は、どこかが間違った失敗作。
壊れてしまって、滅びへ向かうだけの存在。
だが、原因は不明だと口にした012に対して、003は――
「……003さまは、干渉のし過ぎだ、と」
――壊れたのか、それとも壊したのか。
そう諭されて、012はわからなくなった。干渉しなければ簡単に終わってしまう世界を前にして、干渉するなと言われてしまえば。
――それなら、自分は何をすればいいのだろうか。
――わからない。
答えが出ないまま世界を繰り返す、そんな自分の行動は正しくないのかもしれない。そこまで考えて、ティーカップを口元から下ろした。
「……003さまの、今日の予定は?」
「特になかったかと。お茶会を、開かれますか?」
頷くと、417は一礼して部屋から出て行った。003付きの天使に、話を通しに行くのだとわかっているので、012は待つだけだ。
普通、茶会というのは事前に相手の予定を伺い、何日も前から準備をした上で臨むもの。相手が好む菓子や話題を用意し、会場を確保し云々、というのは以前に教わった事だ。
だが、003は、わからない事があったらいつでも聞いて、とも言っていた。
――だから、私は間違っていないはずだ。
少し温くなったお茶で唇を湿らせ、考えを纏めながら417が戻ってくるのを待つ。
了承の返事を受け取ったのは、それからすぐの事だった。