星組の天使
――皆が等しく、幸せな世界を創りなさい。
それが、私達見習いに課せられた宿題だった。
* * *
「お帰りなさいませ」
一瞬の浮遊感と共に、目の前の風景が切り替わる。何回繰り返しても慣れない感覚だが、少女は杖に寄り掛かる事で違和感を打ち消した。
「……ただいま。ステラは?」
「916です。順調でしたのに、何故ですか?」
出迎えた少女が、事務的な口調を崩さないまま問いかける。どちらも純白の衣を纏い、背中から翼を生やしている――天使と、そう呼ばれるのに相応しい外見だ。
「……あの世界は、まちがいだった。それだけ」
「左様ですか」
絞り出された言葉は、答えになっていなかった。だが、側に控える少女は淡々と頷く。納得したというよりは、元から答えを気にしていない様だった。
「《初期化》により、8割のステラが失われました。ステラ4,580から916への変更に伴い、序列第12位となります」
規定通りの言葉で報告を終えると、少女は一礼した。前へと流れた髪を耳にかけ直しながら、その背中に生えた翼をゆっくりと広げる。
「また、星組の皆様に召集命令が出ています」
「……そう」
「ご案内致します、012番様」
* * *
神と天使が住まう天上の世界――「天界」と称されるその場所は、「世界の維持」を何よりの目的としている。
1柱の神に従う、大勢の天使達。
彼らに課せられた役割の全ては、その目的の為。
どれも必要不可欠であり、天使達に序列をつける事は出来ない。だが――
中でも0番台――通称「星組」の12人は別格だった。
* * *
大人が数人、両手両足を広げて横になっても余裕がある程巨大な机に、たった12脚の椅子が並べられている。
見慣れた顔が既に揃っている事、そして空いている席が一番下座である事を確認し、012は真っ直ぐその席へ向かった。無言で着席し、姿勢を正す。
「おい、何か言う事は?」
「……」
「おい、012」
呼ばれて初めて、それが自分に向けられた台詞であった事に気が付いた。軽く伏せていた顔を上げ、その空色の瞳に相手を映す。
「――?」
相手の顔は本気だった。つまり、自分が何かを言うべきなのは間違いないのだろう。
ゆっくりと首を傾げながら考える。
この仕草は「わからない」という事を相手に伝えるものらしい、という知識からの行動だ。
「もう、001ったら。無茶言わないの」
わからない、が伝わったのか、また別の声が思考に割り込んできた。
「皆を待たせた事への謝罪が欲しいなら、そう言わないと。012ちゃんには伝わらないわよ?」
「……しゃざい?」
皆を待たせた、というのは自分の到着が一番遅かった事からわかる。だが、それが何故謝罪に繋がるのかわからない。
「……誰かを待たせるのは、いけないことなのですか?」
わからないから、自分と同じ机についている11人に質問をした。わからない事や知らない事は、誰かに聞けば良い、と言われたから、これは間違っていないはずだ。
「……」
なのに、何故こんな反応が返って来るのだろう。
手を額に当てる、頭を抱える、机を指先で叩く、腕を組む、或いは無反応。それぞれの行動が何を意味しているのかはわからないが、良いものではなさそうだ。
――確か、頭を手で押さえるのは、頭が痛い時だったはず。
「……頭、だいじょうぶですか?」
頭痛は辛いから、心配した方が良い。
大丈夫? と伝えるだけで楽になるものだ。
だから、そう言葉をかけるという自分の行動は正しいはずなのに、何故彼女は顔を赤くして拳を握るのだろう。
わからない。わからないことだらけだ。
「えっとね、012ちゃんもずっと待つの嫌でしょう? だから、誰かを待たせたり、遅刻したりするのは良くない事なの」
沈黙に耐えかねた様に、003が先程の質問に答える。
「……」
誰かを待たせるのは、良くないこと。
遅刻するのは、良くないこと。
その言葉を咀嚼して、脳内の辞書に書き加える。
白紙の頁に2文。これでは、まだ埋まらない。
今回自分が遅れた原因は、箱庭世界に降りていた事と、《初期化》をしていた事だ。それで召集命令を聞くのも、会議室に向かうのも、遅くなった。
だが、箱庭世界の管理・運営は自分達、神さま見習いの義務であり使命であり責任であり――何より優先すべき事だ。ならば、それが原因の遅刻は、仕方がないのではないだろうか。
次なる質問をしようと口を開いて――
「……あの、」
「皆、揃っているな」
別の声が――世界の誰よりも威厳に満ちていて、美しくて、尊ばれる存在の声が012の質問を掻き消した。
ガタッと音を立てる程の勢いで、12人が椅子を引いてその場に跪く。これまで興味が無さそうに座っていた者も、苛立ちを抑えていた者も、心配そうに見守っていた者も、全員が一瞬の迷いもなく首を垂れた。
勿論、012も例外ではない。
世界を総べる存在であるからとか、自分を創り出した存在であるからとか、そういった理屈を抜きにして。
ただただ、そうするのが正しいと刻み込まれていた。
一気に張り詰めた空気の中、その存在が12人の天使を見渡す。一つ頷くと上座に腰を下ろした。
「楽にして良い」
その言葉に、12人は顔を上げ、立ち上がり、椅子に座る。彼らの洗練された動きは、つい数秒前の雰囲気からは想像も出来ないものだ。
「現在は001が第1位か。ステラは?」
「471,616です、主よ」
緊張と、喜びと、誇り。それらを綯い交ぜにした表情で、001が答える。
「そうか。順調そうで何より」
星組の席は序列によって決まるため、つい先程第12位に降格した012は、上座から1番離れた位置にいる。だがその距離が意味を為さない程、その存在は圧倒的だった。
「今日集まって貰ったのは、皆のステラを移す練習の為だ。知っての通り、ステラは天界の根幹。その数を増やす事が、世界の維持と平和に繋がる」
淡々と世界を憂う言葉を紡ぐ彼――或いは彼女の機嫌を損ねない様、一斉に頷く。指先の動き一つで自分が消される恐怖が、そんな事は無いとわかっていても天使達の胸を掴んで離さない。
「今回は全員一律で100。練習とは言え大切な儀式、心して臨むように」
だが、天使達が従っているのは決して恐怖からではない。神さま見習いとして、それ以前に天使として、尊敬し、感謝し、唯一の主と定めているが故の行動だ。
「では、杖を」
指示を受けた12人の手に、一斉に杖が握られる。大人の拳程の宝玉と、磨き抜かれた木で出来た杖だ。机の下に隠し持っていたのではなく、虚空から喚び出した――という表現が近い。
透き通った石の中には無数の小さな光が煌めき、その宝石自体の美しさも相まって、見る者を魅了する力がある。
身の丈程もあるその杖は、星組の――神さま見習いの証だ。
色や形の微妙な違いは、個人差で片付けられる程度。だが、球体に閉じ込められた光の数は杖の持ち主によって明らかに異なっている。
その多寡は丁度、序列が上である程多く――更に言えば、各自のステラと同じ数だった。
「では、001から前へ出よ」
自分の兄姉達が順に呼ばれていくのを、012はぼんやりと眺めていた。自分達星組は、ステラを増やして世界に捧げる為の存在。だが、こうしてステラを献上するのは今日が初めてだ。
大切な儀式。その予行演習。だと言うのに、012の胸は高鳴らず、ほんの少しの騒めきすら感じない。
――やっぱり、私は変なのだろうか。
知識はあるのだ。
何事も、初めては緊張するものだと。緊張すると、胸がドキドキしたり、汗をかいたり、手足や声が震えたりして、いつもと違う状態になるのだと。
だが、012がそれらを感じた事は一度もない。
図太いとか肝が据わっているとかではなく、その気持ちがわからないのだ。わからないから、前に質問したことがある。
その時の答えは確か――
「次、012」
「……はい」
昔を振り返っている間に、自分の番になっていた様だ。立ち上がり、杖を片手に前へ出る。
「やり方は、わかっているな?」
「……はい」
自分の杖の先端に鎮座する、空色の石。その中を飛び回る916の光の内、100を移せば良いだけ。
――私達はやり方を知っているというのに、何故皆は緊張するのだろう。
「では、始めなさい」
眼前には、自分より大きな杖を掲げた光り輝く存在。恐らく、この場面で感じるべき感情は「畏敬」なのだろうな、と頭の片隅で考える。それは、012の中で唯一完成している頁であった。
曰く――ある存在を前にした時、誰もが抱く感情であり、
――その存在を「神」と呼ぶのだ、と。
軽く息を吸い、最初の台詞を口にする。
「――星は天に砕け 天は凡ゆる恵みを与え賜らん――」
玲瓏な声で、淀みない詠唱が行われていく。だが実際には、言葉を紡ぐ事と、もたらされる奇跡に直接の因果関係はない。
詠唱は、あくまで管理者権限を行使する方法の一つに過ぎず、省略しようと思えば出来てしまう。それなのに012がわざわざ詩的な言葉を並べ、時間をかけているのは、兄姉達がそうしていたからだ。
何故、兄姉達の真似をしているのか――それは以前、「貴女は私達と同じ様にしていれば良い」と言われたから。
「――天は陽を囲い 陽は地を照らし 地は花を育て 花は風に散り 風は雲を運び 雲は雨を降らし 雨は種を芽吹かせ 種は実をつけ 実は鳥を羽ばたかせ 鳥は空に舞い 空は人々を覆い 人々は星に祈る――」
だからこうして、床に杖を突き立て、目の前に広がる複数の画面を音声操作している。
手で触れれば一瞬で終わるのに。つい先程、何代目かの箱庭世界を《初期化》した時の様に。
「――万物の根源は星にして 星は信仰 星は希望 星は愛 命の輝きそのもの 我が世界の煌きを 歴史を 象徴を 皆の願いを 受け取り 育み 貴殿の世界に瞬かせる事を――」
時間は大切に、と誰かが言っていた。だから、詠唱を省略するという、012のあの時の行動は間違っていないはずで。
「――我は希う者なり」
――なら、無駄に時間をかけている今は、現在進行形で間違えているのか。
締めの文句を口にすると、手にしている杖の輝きが一層強くなった。
宝石から星が飛び出し、向かい合う杖の宝石に吸い込まれていく。虹色の光が無数に尾を引き、特別に瞬く様子は、空いっぱいの流星よりも美しく、幻想的だ。
それは、目にした者なら誰もが胸を熱くするはずの、奇跡の光景。
だが、012はそれを綺麗だとは思わない。
――あぁ、成功だ。
感動や、それに匹敵する感情も抱かず。練習を恙無く終えた事を確認して、静かに杖を下ろすだけだった。