第14話 ビリヤードとゲロマズドリンク
それから数ヶ月が経過した―――。
サンチョ・パッソがヴィオレンザ・ファミリーの護衛役を引き受けたというビッグ・ニュースはその日のうちにグラデーボレ・シティ中の裏稼業を生業としている者たちに広まり、彼らを震撼させた。
これまで特定のファミリーに肩入れすることのなかった伝説の殺し屋がヴィオレンザ・ファミリーについたことで、週1回は行われていたティアーモ・ヴィオレンザへの襲撃がその日からぴたりと止んだ。
その結果はサンチョが街中から恐れられる殺し屋であることを証明する何よりの証拠になっただろう。
― グラデーボレ・シティ ヴィオレンザ・ファミリー ホーム 娯楽室 昼 ―
「よう、ブラザー。2杯目を飲む準備はできているか?」
「しっ、黙れ」
ファミリーのボスであるティアーモを黙らせ、サンチョは片目をつぶり、棒を構える。
「せいっ!!!」
サンチョが狙いを定めて撃った白球が「3」と書かれた赤いボールにぶつかり、跳ねる。
ガッ、ガッと音を立てながらビリヤード台の側面を「3」のボールが跳ね返り、そして見事に…
「3」の球は白球と共に角の穴に落ちていった。
「~~~~!!!!」
「だーっはっはっは!ヘッタクソ!おい、見てろ」
ティアーモは無言で悔しがるサンチョの肩を笑いながらバンバン、と叩き、ポケットから転がってくる白球を回収し、「4」と書かれた濃い青の球の前に置く。
キューを使って白球を突くと、「4」にぶつかり、白球がピタリと止まる。力が完全に伝わった「4」は茶色い「7」の球をかすめて右側面の穴に落ちた。かすめた「7」もスピンしながら左上のコーナーポケットに落ちていく。
「ぬぅ…」
「どうだ!見たかよ」
ティアーモは笑いながらサンチョの脇を通って白球の前に立つ。鍛え抜かれた身体から高そうな香水の香りがふわっとサンチョの鼻孔をくすぐった。
残念ながらサンチョは香水に詳しくないのでなんの香りなのかは定かではなかったが…。
「そんでもって…こうだ」
的球を落としたティアーモは2回目のショットで白球をオレンジ色の「5」の球に向けて打つ。
またも白球は「5」にぶつかってピタリと止まり、その「5」が転がる先には…。
「あ…」
思わずサンチョが声を上げる。
「5」は「9」と書かれた黄色い球にぶつかる。「9」は真っ直ぐに右下のコーナーポケットへと転がっていき…
ゴトン…
見事にポケットの中へ入る。ナインボールは「9」を落とした方が勝ちのルールだ。
この瞬間ティアーモの勝利が決まる。
「よっしゃぁ!!また俺の勝ちだな。よし、待ってろ。今すぐに俺がお前のためにゲロマズ乳酸菌ドリンクを作ってやる。次は青汁入りだ」
「くそ…」
先程はダーツ勝負で青唐辛子と味噌入りのゲロマズドリンクを飲まされたサンチョは心底悔しそうな声を出す。
ティアーモは鼻歌を歌いながら娯楽室にあるバーカウンターの冷蔵庫からほうれん草を取り出し、ミキサーへ放り込む。
「あとはキャベツだろ、セロリもいいな。それから…シソも外せねぇよなぁ。がっはっはっは!お前が酒飲めねぇせいでこの部屋の冷蔵庫の中は罰ゲーム用の青汁の材料が増えちまったぜ」
ティアーモはすでに刻まれて小分けにされているキャベツとセロリとシソをミキサーに加え、「それからどうすっかな」とニヤニヤ笑う。
「あぁ、そうだ。にんにくを加えよう」
「頼む…せめてにんにくは勘弁してくれ。乳酸菌飲料水とにんにくの組み合わせはマズい」
伝説の殺し屋は懇願するが、街一番の暴れん坊と名高いティアーモがそんな命乞いを聞くわけはない。
「別に身体にわりぃもんは何一つ入ってねぇぜ。健康になれよ、兄弟」
ご機嫌で乳酸菌飲料水をその中に注ぎ、ミキサーにかける。
できたドリンクをグラスに注ぎ、「はい、おまちどう」とカウンターテーブルにニヤニヤしながら置く。
「…」
ごくり、とサンチョは生唾を飲みながら恐る恐るグラスに手を伸ばした。
その間にティアーモは自分のグラスにグラッパ(※ブランデーの一種)を並々と注ぐ。
「うぇーい。乾杯!」
「…乾杯」
グラスを軽くぶつけた後、サンチョはグラスに入った薄緑色の液体を覗き込み、顔をしかめる。
匂いは…にんにくの香りしかしない。
「~~~~~~カーッ!!!!!」
ティアーモのグラスに入っている酒はアルコール度数40度の相当強い酒の筈だが、テキーラをショットグラスで飲むような感覚でぐいっ、とあおり、叫ぶ。
「これは効くぜぇ~。喉が焼けやがる」
「…なんで罰ゲームじゃないのにそんな量のグラッパを飲むんだ?」
それを見たサンチョは信じられないという顔でティアーモを見る。グラッパの生産者だってあの量を一気飲みすることは想定していないはずだ。
だが、それだけのものを見せられれば、罰ゲームを受けるサンチョがゲロマズドリンクを飲まないわけにはいかない。覚悟を決め、サンチョは鼻を摘みながらぐい、と薄緑色の液体を口の中に流しこむ。
「ごふっ!?」
口の中いっぱいにセロリとにんにくの臭いが広がり、あとからシソの香りが鼻から抜けていく。鼻を摘んだところで口の中から鼻を通り抜けていく匂いはどうにもならなかった。ちなみにキャベツの味は他のメンバーのキャラが濃すぎてほとんどわからない。
恐ろしいのはこれらの食材のパートナーが味噌や出汁ではなく、あまーい乳酸菌飲料水であること。
本日2杯目の罰ゲームドリンクを半分くらいまで胃に入れたところで、強烈な拒否反応がサンチョを襲う。
サンチョがむせたことでグラスの中で薄緑色の液体が跳ね、口ひげを汚す。
「だーっはっはっはっは!ほら、後半分だ。ブロ。気合いを見せろ。ほら、イッキ、イッキ!」
アルコール度数40度の酒をグラス一杯、ストレートで飲み干したティアーモはサンチョにゲロマズドリンクの一気飲みを強要する。
「~~~~!!!………………げふっ」
ぐびぐびぐび、と飲みきったサンチョは小さくゲップをした後、息も絶え絶えに
「一気飲みの強要はダメなんだぞ」
と呟く。
「それ、マフィアに言うか?そもそもてめぇのそれはノンアルコールだ。問題ねぇ」
ティアーモは、がはははは、と楽しそうに笑うとサンチョの横にどかり、と座る。
「楽しそうだな」
「…ああ。こんなに楽しいのは久しぶりだ」
ティアーモは素直に頷く。
ティアーモがボスに就任してから約1年。サンチョが正式に護衛の仕事を引き受けるまでは毎週のように襲撃が続いており、彼は安心して眠ることもままならかったという。
襲撃がぴたりと止んでからは、以前と比べ、びっくりするほど性格が丸くなった。
彼の乱暴な態度はひょっとすると殺されるかもしれないという不安を隠すための隠れ蓑だったのかもしれない。
「―――お前のおかげだよ、ブロ」
ティアーモは空いたグラスにグラッパを再び注ぎながらしみじみと呟く。
「俺ぁよ。昔からダチがいなかった」
「…」
「…兄貴とは血が繋がってねぇんだ。妾の子ってヤツでさ。パパとは別々に暮らしてた。まあよくある話だろ?マンマは俺を生んでおばあちゃんと3人で暮らしてたんだが…」
話し始めてから不安になったのか、「すまねぇ、葉巻を吸うぜ」とティアーモはサンチョに一声かけ、ポケットからシガーケースを取り出す。
そして葉巻を取り出すと、シガーカッターで葉巻のヘッドを切り落とす。そして平行に葉巻を持ちながらライターを回すように動かしてフットに火をつけ、口に咥えた。
ティアーモが葉巻を吸う度に、白い灰が赤くチロチロと輝く。
やがて少し落ち着いてきたのか、大きく煙とともに息を吐いて再び語り始めた。
「でもマンマはプライドが高かったんだろうな。周りには『私はヴィオレンザ・ファミリーのボスの女だ』って言って回っててさ。…ガキの時からよくいじめられたよ。『嘘つき女の息子』ってな」
「『嘘つき女の息子』、か。…俺は『透明人間』だったな」
サンチョはボソリ、と呟く。サンチョが子どもの時はかくれんぼをしても見つけてもらえないまま、存在を忘れられて皆が帰ってしまったり、一人だけパーティーに誘ってもらえなかったりしたものだ。
「ははっ、『嘘つき女の息子』と『透明人間』か、そりゃいい」
ティアーモは笑ってゆっくりと葉巻を吸う。
煙がサンチョにかからないように反対側に向かって吐いてくれる。
「だから俺は昔からダチがいなかった。そんな俺をマンマは『あの人と似てない。あの人は大勢の仲間がいるのに』って殴るんだ。誰のせいでダチがいねぇと思ってやがんだ。…『似てるのは肌の色だけだ』っていうんだぜ?てめぇの肌も真っ黒だろうに…」
ティアーモの葉巻を持つ指が震えていた。サンチョはなにも言わずに黙って彼が言葉を紡ぐのを待つ。
「マンマはいつもパパを見ていた。どこどこのファミリーとヴィオレンザ・ファミリーが抗争した、とかファミリーの若いヤツがポリ公に捕まっちまったけど、あれは誰誰の身代わり出頭だ、とか。ガキの俺にはわかんねぇことばっかだった」
「…」
「俺はガキの時は頭も悪かったし、ナリも小さかった。マンマはそれも不思議だったらしい。『なんでてめぇはパパに似てないんだ。パパは頭がいいし、背が高くてカッコいい。お前はバカでチビでブサイクだ』って」
ティアーモの目に涙が浮かぶ。
「…日に日に乱暴が酷くなるんだ。マンマはどんどんおかしくなった。そしてある時、マンマは気づいた」
「…なににだ?」
「ニンジンだよ。パパはニンジンが大好きだった。俺はニンジンが嫌いだった。気づいたあの日から毎食ニンジンが出たよ。ニンジンのグラッセ、ニンジンステーキ、ニンジンサラダ、ニンジンマリネ、ニンジンニンジンニンジンニンジンニンジン…」
ティアーモは葉巻を咥えながら身体を両腕で掻きむしる。
「食べなければ殴られた。食べなければ服を脱がされた。食べなければ家から追い出された。食べければ無視された。食べければ他になんにも食い物は与えられなかった。俺にはニンジンを食べる選択肢しかなかった。…だが」
ティアーモはポツリと呟く。
「おばあちゃんだけは違った。ノンナはマンマから俺を守ってくれた。こっそり俺にお菓子をくれたりもした。ニンジンを食えなかったせいで服を全部燃やされた時も、俺にセーターを編んでくれた」
素っ裸のティアーモがセーター1枚だけを着ている姿を思わず想像してしまうが、彼からすれば良い思い出であるため、サンチョはあえてそこには触れない。
「…兄貴のマンマが死んじまって、マンマとノンナと俺がこの屋敷に迎え入れられてからもおんなじだ。マフィアの息子と仲良くしてぇヤツなんかいねぇ。―――いるのはパパの権力に取り入りたいヤツと金が欲しいヤツだけだ」
「…」
「だから俺は仲間も女も金で買った。買えないものは暴力で手に入れてきた。だが…それでもいつも皆、俺を裏切る。陰では俺のことを悪く言う。本当は俺のことを嫌いなんだ」
「ノンナは?」
サンチョの問いにティアーモは首を振る。
「ノンナは屋敷に来てすぐに病気で死んだ。…唯一、俺の味方だったのにな」
「マンマは?」
ティアーモは葉巻を思い切り吸い込んで、煙を盛大に吐き出す。
「…マンマはパパとケンカする度に手首を切るんだ。何度『やめろ』って言ってもな。本当は死ぬ気なんかないんだ。パパの気を引きたいだけ。でもある時、勢いでやり過ぎて…そのまま帰って来なかった」
「…………」
サンチョはかける言葉が見つからず、黙り込む。それを見てティアーモは薄く笑った。
「…なあサンチョ…」
ティアーモが口を開きかけたその時、アッラ=モーダが飛び込んでくる。
「パパ、今度はオゥルソが…」
「またか!!!!」
おかっぱの報告を聞いたティアーモがバーカウンターの酒やグラスを全て地面に叩きつけて叫んだ。




