04.兄貴じゃありません
叔父さん視点
彼女--ダナイ嬢が俺を憶えていないであろう事実は、彼女が生徒会室に入って来た時には察する事ができた。少し残念に感じたが、仕方がないという諦めもあった。
俺--ルプス·グラウクス·クトニオンスはクトニオンス家の人間として無理矢理この場に参加させてもらっている。俺の命の恩人が不当な虐めに曝されていると聞いて居ても立ってもいられず首を突っ込ませてもらったしだいだ。
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二年前、俺は魔物討伐でしくじった。
標的を無事に落とし、周囲確認を怠った時点でうっかり気を抜いたのが敗因だ。だが……着地と同時に足元が崩れて魔物が出て来るとかどうしろってんだ!
いや、愚痴はどうでもいい。
とにかく地面から複数湧いて出た魔物に、俺だけでなく数名遣られた。死人が出なかったのが奇跡だ。
否
奇跡は人の手によって成されたのだ。
奇跡を成した者の名は
--アタナフネ·ダナイ
亜麻色のストレートの髪を持った、乙女と呼ばれる手前の少女。
前後不覚に陥った後の記憶は切れ切れで、そのくせ死が迫っていたであろうあの時は、綠 に見えないのに意識だけは戻っていた。
死にたくない。
騎士にあるまじき未練だが、理想と現実は全く違うのだ。俺はまだ若い。可愛いお姉さんともお近付きになれていない。死ぬ時は美人のカミさんに看取って貰うってのが個人的な希望だ。だのに……こんな風に馬車に転がったまま死ぬとか何の冗談だよ……。
俺の情けない未練を余所に、死は容赦無く遣って来る。実際、馬車に転がされてた俺達は、片足は死神に捕まってたと思う。それを、そちらに逝くなと、手を掴んで強引にこの世に引っ張り戻してくれたのが、まだあどけないアタナフネ·ダナイ嬢、その人だった。
自分の目に光が戻った瞬間に映った少女。
くそぅ。彼女がもうちょっと大人だったら、その場で速攻口説いたのに……!
そんな訳で、ダナイ嬢の可愛い顔はしっかり印象と共に憶えてる。「あ」と見開かれたキラキラした灰色の大きな瞳。
だった、筈……。
だが今、俺が目にしている彼女は、疲れはてた死んだ目で、黙したまま椅子に座っている。
何でだ!! 何かムカつく!!
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「御用が無いのでしたら、わたくしは帰らせていただきます」
漸く声が聞けたと思ったら、何ともつれない。
だがこれが今のダナイ嬢のいつもの姿なのかもしれない。生徒会の子供達は何事も無かったように既に諦めムードだ。
おい……それじゃ呼んだ意味無いだろう。
俺達だって来た意味失くなるだろうが!
俺の内心を置き去りにして、甥っ子--ギアが送って行くとか言い出してるし。当のダナイ嬢は、予想通り拒絶の姿勢だし。
「ダナイ嬢? いつもクトニオンスのエスコートは受けてらしたでしょう?」
「生徒会の皆様以外にも、先生方まで居らしておられるのですもの。何か大事なお話でもございますのでしょう? わたくしは邪魔になりますので、これにて失礼致します」
引き留めようとするパラヌス家の嫡男--カドケノス·オウル·パラヌス、通称カディの言葉にも動じず、そつなくそれらしい返答で躱してしまう。それとなく会話の軸はずれているが、ずらされた本人が指摘しないのであれば、それまでだ。パラヌス家の嫡男ともなれば、気付かぬわけでもなかろうに。
「とにかく、送ってく」
お? 粘るな、良いぞ、行け! 甥よ!
「此度は些か遅くなりましたので結構でございます」
いやそれ、反って危ないからね?
「なら尚更危ない。送ってく」
「結構です。それでは失礼します」
ドアに向かって歩き出したダナイ嬢を、追い付いた不肖の甥っ子がその腕を取って留めた。
「ほら、こんな風に出られたら危な--」
ギアが言い終わる前に腕を取った手を外された。外された当の本人のみならず、全員が、唖然としている。だってそうだろう? まだ未熟とはいえ、ギアは剣術をはじめ、その他も騎士として恥ずかしくないよう身体を鍛えている。目の前の少女があっさり外せる程その握力は弱くない。しかも俺が見たところ、あれは力任せに外したのではない。一言で云うと《技》だ。ダナイ嬢は何処でこんな技を身に付けたんだ?
まあそれはそれとして、抱いた感情はともかく俺の身体は勝手に動いていた。ダナイ嬢の背後を抑え、自身の両手で彼女の両腕を抑えるようにして拘束していたのだ。気が付いたら動いていたのだが、羽交い締めにしたり両腕全部で押さえ込みにかからなかっただけ、まだ理性が働いていたのだろう。
「ゴメンねダナイ嬢。でも落ち着い--」
俺も全て言い終わる前に、ぶん投げられていた。拘束を解くだけだって無理だろう!? いや、それを言ったらギアの時点で呆気にとられたんだよな。じゃなくて……!
「惚れた!! 俺の嫁になれ!」
「ギア!? お前いきなり何言い出してんの!?」
俺は身を起こしつつ想わず叫んでいた。
俺の反応が意に適ったのか、ダナイ嬢が立ち上がった俺の背に走りよって隠れた。
うむ。 一度こんな風に女性を背に庇って立ちたかったのだ!! いや違う。落ち着け俺の煩悩。
「兄貴、退いてくれ!」
「いや退けない案件じゃね?」
「兄貴、ここは俺と彼女の二人で話し合う局面だと思う」
「明らかにそれ以前の話だよな? それと俺は兄貴じゃねーし、叔父貴だし」
「違うの?」
俺とギアの遣り取りに、可愛らしい声が挿し挟まれた。ダナイ嬢だ。意図せずこぼれ落ちた呟きのようだった。だがしっかり聞き取った俺達--つまり部屋に居た全員が彼女に注目する。呟きを漏らした自覚が無かったのか、先程迄と違い、ダナイ嬢がおろおろし出す。そして皮肉にも、可愛らしい目に生気が戻っている。
あゝ、この娘はまだ腐ってない。
俺はそう確信した。
ふと、彼女と目が合う。
「……お兄ちゃん、じゃないのですか?」
ダナイ嬢は混乱から立ち直りきってはいなかったのだろう。少々敬語が崩れているのに気付いていないようだ。だがそこは問題じゃない。
「……あの?」
「もう一度、さっきの質問聞き直しても良いか?」
「………クトニオンス様の兄上様かと思って--」
「違う! 兄上ではなく! 先程何と俺を呼んだ!?」
「お兄…ちゃん……」
怒鳴るような形になったので怯えさせてしまったようだ。すまない……と思いつつも……可愛らしいな。こんな妹欲しかったな……。
「叔父貴……何で耳が赤いんだよ?」
馬鹿甥ギアの声が素通りするのを待つまでもなく、ダナイ嬢がソロリソロリと俺から距離を取ろうとしていた。