02.王子の回想
過去と現在を行ったり来たり
時は二年前。場所は王城の中庭。
その日私は婚約者であるセレネイア・メリテ・レイコトエ──通称セレナ又はレイナ、私だけが許されている愛称はメリテ──と友人の一人カドケノス・オウル・パラヌス──通称カディ、もしくはルディ──とで、午後のお茶を楽しんでいた。
別に遊んでいたわけではない。私達のような身分の者は、子供の頃からいそいそと人脈と云う名の土台を作る必要性があるだけ。そしてお茶の時間も立派なマナーの授業なのだ。
まあ、それはいい。
そろそろお開きにしようとした頃合いで、何処からか騒がしさがうっすら伝わってきた。場所の問題だろう。音を遮る壁が無いから……。
私が目配せすると、風の魔法を操って情報を集めていたらしいカディが教えてくれた。
魔物討伐に出ていた騎士団に重傷者が出た事を。
「ギアが誘いを断ってきた理由はそれか? 確かクトニオンス家の者が討伐隊に居た筈だな」
通称ギア──アイギス・ハルアダマス・クトニオンスは私付きの護衛騎士になる可能性の高い、一つ年下の男子だ。
私の確認にカディが悪戯を企むような笑顔を返しながら言った。私の質問の主旨に添う答えではなかったけれど……。
「聖女が現れたそうです」
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時は今。生徒会室。
室内に居るのは、生徒会長として私、副会長としてカディ、書記として婚約者のメリテ、名目上は風紀委員のギア。そして教師側から一人、パイエオン教諭。外部(?)の見届け人としてクトニオンス家から一人。最後に、特待生アタナフネ・ダナイ。
ダナイ嬢は本日も沈黙を守っていた。
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二年前、聖女の可能性を期待されて拉致……ゲフン、招待された少女の監禁され――保護された部屋に私達が訪うまで少し時間がかかった。
単純に少女側の取り調べ……例えば魔力検査とか、家柄だとかを調べているから直ぐに面会するのは無理だと言われたのがひとつ。後は、その時の私達は王族の居住区近くに居て、物理的に少し遠かったという理由からだ。
一口に城と云っても、その殆どは所謂役所だ。行政府だけでも内向きと外向きがある。要は内政関係か外交関係かだ。更に、職員用と来客用等々、区画は事細かに分けられ、更に更に防衛の目的で複雑な構造になっている。生まれた時から城に住んでいる私でも、圧倒的に知らない場所が多くて無駄に広い。案内無しには、そして馬車無しで移動するのは無謀だった。
そもそも会いに行きたいと言い出したのはメリテだった。なかなか良い時間〈待て〉になった事もあり、私は何度か面会中止をメリテに勧めた。だが珍しく彼女が我を通した。自分の我儘であると認めた上で……。非常に珍しい事であったので良く憶えているし、当時の私は彼女の願いを聞き届けてあげようと頑張った。ただ、それには少しばかり引っ掛かるものもあったのは事実だ。というのも当時のメリテが酷く緊張しているように見えたから。あれは何だったのだろうか……?
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授業の進み具合を確認し褒め称えた後、そろりと(カディが)虐めの事実を確認しようとする。しかし目の前の少女──十五歳になったダナイ嬢は二年前とは違う濁った目で、二年前と同じように口を閉ざしていた。
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監禁──ではなく保護されているという部屋に入った時、当時十三歳であったダナイ嬢は椅子にも座らず窓の外を眺めていた。それも窓から離れた状態で。後で思い当たったが、どうやら見張りの護衛騎士やメイドに扮した女性騎士が怖かったのではないだろうか? 壁に置物のように張り付いた男の護衛騎士が二人、建前メイドも二人。ついでに部屋の外、廊下側扉前にも二人。
厳重過ぎないか?
と当時に思った。今でも思う。幾らなんでも大袈裟だ。
私は第一声で、挨拶抜きに疑問を口にした。どうして椅子にも座らず立ったままでいるのかと。ダナイ嬢は答えず、ただ深く身体を折って礼を示しただけだった。今なら判る。だが当時の私には判らなかった。ダナイ嬢は既に警戒していたのだ。だから身形の良い私達に言質を取られまいと口を閉ざしていたのだろう。だが未熟だった私は気付かない。引き続き名前や住まい、年齢を訊いたが返事は無く、私は苛立ち初めていた。
「殿下、そのように怖いお顔で一方的に訊ねては、彼女も困ってしまいますわ」
私に注意を促してきたのはカディではなくメリテであった。こういう場合、私を注意するのは大抵カディの役目だ。私もカディも意外に思って想わずメリテを注視してしまった。メリテも私達の反応を気にしたようではあったが、それよりも目の前の少女を優先しようとしたらしい。らしい、というのは、ダナイ嬢へ声をかけようとしたメリテが一瞬固まりすぐに慌て出してしまったので、結局どうしようとしたのか分からず終いになってしまったからだ。
メリテの視線を辿り、彼女が何故慌て始めたかの理由を知る。当時は名前も認識していなかったダナイ嬢が両膝を床に着く最上の跪礼(最上のゐや)を行っていたのだ。当時は内心慌てたが、冷静になってみれば跪礼の理由にも思い当たる。メリテが私を「殿下」と呼んだからだ。初見で気付いていたが、ダナイ嬢は町娘、つまりはただの庶民だ。だから身分制において最上位にあたる王族たる私に跪礼を示したのだろう。だが私程度では、ここ迄の礼をされるのには慣れていない。おそらくそれで私は冷静さを欠いてしまったのだろうと思う……。思い返すと情けなくも恥ずかしい。
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まるで精巧な人形を相手にしているようだ。ただただ一方的に喋り通している現実に、さしものカディも口を閉ざしてしまった。私はカディに同情し、ダナイ嬢へ向けて呆れた声をかける。
「何か言ったらどうなんだ?」
どうせまた返事は無いだろうと思っていたのに、珍しくというか漸くというか、とにかくダナイ嬢が口を開いた。
「殿下方は随分と──」
彼女が一旦言葉を切る。たぶん単語を模索しての事だろうくらいは私にでも分かる。
「──ゆとりがおありであるようで羨ましいです」
〈ゆとり〉と云っても色々あるだろう。今回の場合はさしずめ「随分、時間に余裕があるんですね」転じて「随分、暇人ですね」という意味だろう。嫌味かよ!
「目の下に隈を作る程疲れた顔をしていても口が減らないとはな。相変わらず元気なようで何よりだ」
だからこちらも嫌味で返して遣ったさ。相変わらず生意気なままだな、と。
隣に座るメリテがはらはらしているらしい気配。メリテは二年前のあの時もそうだった。いや、あの時はビクビク怯えてもいたかもしれない。隠そうとして隠し切れていなかったように思う。何故だろう?メリテがダナイ嬢に遅れを取る要素なんて何も無いのに……。
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「名前が分からないので、仮に〈娘さん〉と呼ばせてもらいますね」
私の高圧的態度ではいけないとでも思ったのだろう。カディが一見人当たり良くダナイ嬢に話しかけた。
「まずは殿下のあなたに対する失礼を、僕が代わりにお詫びします。申し訳ありませんでしたね」
ダナイ嬢の返答は無い。頭が少し揺れただけ。首を振ったわけでも、況してや頷いたわけでもない。膝立ち状態で俯いているので、表情も分からない。
「……何か仰りたい事でもございましたか?」
たぶん、わざとだろう。カディが少しばかり言葉を丁寧に直した。当たりを良くしようとしたのか、嫌味なのかは私にも分からない。だが成果は無い。ダナイ嬢は又しても無言。
「……こちらはお話しをさせていたたきたいだけです。ある程度はお話しいただけませんと、なかなかお帰しできなくなるのですが──」
「困ります」
初めて聞こえたダナイ嬢の声はまだ高く、可憐と言うには幼さを残していた。
「では、お話しさせてくださいね」
この柔らかな物言いは、嫌味八割と見た。
「まずはゆっくりしましょう。座りませんか?」
カディの音頭で物事が進められる。
私達はそれぞれソファーに腰を下ろしたが、ダナイ嬢は立ち上がりこそしたものの俯いたまま、やはり椅子にもソファーにも座る気配がない。私が咎めるような視線を向けると、意外にもはっきり理由を述べてきた。
「わたくしは先頃道端で転んだ為に、御覧のとおり全身が酷く汚れてございます。座れば椅子を汚してしまいます」
「別にそのような事は気にするな」
「どうぞ、御容赦を」
今度は優しく言ってやったというのに、なかなか頑なな態度である。私は「好きにしろ」と一言だけ告げて放っておく事にした。
「お名前を伺っても?」
「……高貴な方に名乗るなど、畏れ多いです」
子供らしくない返答に、カディが僅かに困ったような表情になった。それでもへこたれないのがカディだ。
「……小学部に通っているのかな?」
「はい」
「お家はどの辺りにあるのだろう?」
「……お願いです。もう帰してください」
「遠いのかな?」
「母が心配します」
「……他の御家族は心配してくれないみたいな言い方だね」
「……母以外の家族は居ません」
馬鹿な私は単純に思った。複雑な家庭の子供なのだろう、と。そして安易に失言になるとも気付かずに言ってしまったのだ。
「何だお前、片親か。娼婦の娘か?」
ダナイ嬢以外の全員、置物のように立っている警護の者達までもがギョッとしたのが分かった。
まずい…やらかした……!!
さすがに誰に指摘される迄もなく気づいたが、つい口からこぼれ落ちてしまったのだ。しょうがないじゃないか! 勿論私が悪い! 解ってる!
私が失言を取り消す前に、ダナイ嬢がキッと私を睨み付けてきた。自分が悪かったのは承知していたが、その強い目付きに呑まれまいとムッとしたふうを装ってしまった。虚勢だ。返すがえす、私は馬鹿だ……。
「……何だその目は?」
私の物言いは、殆ど因縁を付けているのに等しい。故に、ダナイ嬢は今度は黙っていなかった。
「こういう造作の顔なので、わたくし自身には如何ともしがたく申し訳ありません」
「そんな事を言っているのではないっ。睨み付けるな!」
「それ程迄にお気に障るのでしたら、いっそこの目をくり貫くなり何なりなされば宜しいのでは!?」
「そこ迄不愉快だとは言っていない!!」
「殿下、落ち着いてくださいまし!」
「君も真に受けないで」
メリテとカディが間に入ってくれて、泥仕合になるのは避けられた……と思う。
「もう帰らせていただきます」
ダナイ嬢のいきなりの宣言だったが、誰も何も反対しなかった。
カディは露骨に溜め息を吐くと「送らせよう」と言った。しかしそこはダナイ嬢。安定の拒絶。
「結構です」
「城内は複雑な造りだし広いから、案内と馬車がないと移動は無理だよ──」
「放っておけ!」
説得しようとしているカディの言葉を、私は最後迄言わせなかった。
「いらないと言っているのだから馬車は勿論、案内も不要だ!」
「殿下……あまりにも大人気ないですよ」
「私はまだ未成年だ!」
「話を逸らさないでくださ──」
「言質を頂戴いたしましたので──」
今度カディの発言をへし折ったのはダナイ嬢だった。
「わたくしはこのまま帰らせていただきます」
彼女が言い切るなり、彼女に一番近い背後の窓が
--バンッ
と勢い良く開いた。全開だ。
優しくはない風が吹き込んで来る。ダナイ嬢がクルリ向きを変えて窓まで走る。
──まさか飛び下りか?!
まさかと思ったのはおそらく部屋に居る全員で、騎士達も反応が遅れた。何より全てが突然の出来事だったのだ。
ダナイ嬢があまりにも軽やかに窓の外に飛び出すのを誰も止められなかった。
メリテの悲鳴が挙がり、出入口の扉が開く。扉の外の歩哨が悲鳴を聞いて飛び込んで来たのだろうと、頭の隅で冷静な自分が判断している。他人事のように。けれども肝心のダナイ嬢はそのまま……。
私達がただ呆然と窓を見詰める事しかできない中、さすがは騎士達だ。それぞれ窓に噛り着き……「え?」と固まった。
私達には騎士達の反応が理解できない。しかし騎士を押し退けて下を確認するのも躊躇われる。
結果を言うと、ダナイ嬢は落ちていなかった。
騎士達の背中で気付くのが遅れたが……飛んでいたのだ。人間が、少女が、ダナイ嬢が……!
救いになるのかならないのか、彼女は城壁に辿り着く前に風に流されて行った。
一度、切ります。