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優しい追放の物語

作者: 花岡


 純血の家系であるマクスヴェル家。

 魔法の強さはいかに非魔法使いの血が入っていないかで決まるため、純血であるこの家の子供はみな強力な魔法使いだった。


 父、セージ・マクスヴェルは崩壊の魔法使い。物質を塵芥へと変える魔法を使う。


 長男、ワイズ・マクスヴェルは質量変化の魔法使い。道端の石ころを大岩へさえ変えられる。


 次男、メイジス・マクスヴェルは動物変化の魔法使い。人や物をあらゆる動物へと変えられる。


 全員が全員、神童と言われた才能の持ち主だった。


 違ったのは俺だけだ。


 三男、ラルク・マクスヴェル。


 触れた物を凸凹にできる。


 俺の魔法は、たったそれだけだった。

 超一流魔法使いばかりの中で、俺だけが三流魔法使いだった。



 それが知れ渡った日から、すべて変わってしまった。



 俺は昨日、十歳になった。

 マクスヴェルでは十歳の誕生日、魔法使いとしての才能を図る風習がある。


 特別な道具を用意され、新たな神童の誕生をみんなで祝おうと父はたくさんの知り合いを呼んだ。


 集まった誰もが期待していた。


 俺だって期待していた。自信があった。


 結果。


 俺は盛大に、自分の才能が三流以下であることを証明してしまった。


 その後は父は怒っていたと思う。怒らない方がおかしかった。

 パーティーはもちろん開かれなかった。招待客たちは俺を哀れんでいた。


 プライドはずたぼろだった。


 翌朝になって、俺は久しぶり兄が帰ってきたと聞いた。すぐに部屋へ行った。


 ワイズ・マクスヴェルは一番上の兄。


 優秀な魔法使いだけが受験できる魔法管理局の試験を余裕で突破した優秀な兄。


 最近は家にいることが少なく、久しぶりに会えるのはとても嬉しい。


 ワイズは自慢の兄だった。


「ワイズ兄さま、おはようございます。ラルクです」


 扉をノックする手は軽やかに、背筋を伸ばす。

 返答があり、俺は扉を開けた。


 箒や絨毯、謎の薬品がある一角以外は片付けられた部屋の中では、寛容そうな印象を受ける丸顔の男——ワイズ・マクスヴェルがくつろいでいた。


 着ている黒コートは魔法管理局の制服のようなものでカッコいいデザインだが、兄の性格を知る自分からすれば吹き出しかけるほど似合っていない。


「久しぶりだな、ラルク。変わりはなかったか?」


 自分の記憶にあるより丸くなった体型から出る声は、聞き慣れた声より少し低かった。


「はい、俺は元気ですよ。ワイズ兄さまは魔法管理局でどうですか? またよそさまのご令嬢に手を出して、吊し上げにあったりしていませんか?」


「ぐふふ。エリートぞろいの魔法管理局といっても、俺を吊し上げられる魔法使いはそういないさ」


 昔、とある箱入り娘の魔女の自室に侵入したワイズは、半日もお父さまの手で庭に吊るされたことがあった。


 その時のことをからかったのだが、あまり反省していない様子で悪い笑みを浮かべる。


 俺はワイズの気さくなところが話しやすく、大好きだった。


「あまり虐めると同僚から嫌われますよ。ところで、今朝いきなり戻ったと聞きましたが、どうしたんですか?」


 俺は努めて表情を取り繕った。まだ知られてはいない、そう信じたかった。


 兄は変わらず調子のいい顔で答えた。


「ん……ああ。少し局内で人事異動があってな。最近はその対応に追われていたんだが、ようやく落ち着いてな。暇をもらって一週間は家で休むつもりさ」


 俺はホッとした。


 一週間。

 あまり長くはないが、この頼りになる兄がいることで肩の荷が下りた気分になれた。


「嬉しいです。家にワイズ兄さまがいると。メイジス兄さまのことは少し、得意ではないので……」


「なんだ、確かに書庫に閉じこもって暗い奴だが、悪い兄じゃないのは知ってるだろう?」


 メイジス・マクスヴェルは二番目の兄だ。


 魔法使いとしての才能は一流。

 しかし魔法を使うことは滅多になく、日がな書庫に閉じこもって読書に没頭している。


 俺は同じ家に住んでいる兄弟なのに、あまり話をしないメイジスのことを苦手に感じていた。


「そうですけど、いつもあの人はお父さまより年上の大人とばかり話していますし、俺と話しても時間の無駄じゃないかと思って……」


「それはないだろ。メイジスは俺と違って平等主義者だからな。誰と話す時間でも大切にする。よく見る爺さん方なんてのは、ボケて孫かなんかに勘違いされてるから仕方なく付き合ってやってるだけだ」


 そうだろうか。


 メイジスの部屋に入っていく魔法使いたちの理知的な目を見ると、とてもボケているようには見えないし、俺にはその人たちが兄とする話についていける自信がなかった。


「弟と話すのはあいつの気分転換にもなる。それに、メイジスはかなり物知りで話してると驚かされて、きっと面白いぞ?」


 そうはいうが、食事も部屋で食べるような人といつ話すというのだろう。


 納得できていないと顔に出ていたのか、ワイズは明るい声で話を切り替える。


「ま、仲良くしろよ。そうだ、忘れてたが今日はラルクにいいものを見せてやる」


「いいもの?」


 そう言って手渡されたのは、豆粒大の大きさの動く模型だ。

 爬虫類らしきデザインで、よく見ると口からは火のようなものを吹いている。


「これは……トカゲ?」


「ドラゴンなんだけどな。まあ見ていろ」


 ワイズが腰のホルダーから杖を取り出す。

 マクスヴェルを象徴するグリフォンが銀に掘り込まれ、根本に嵌まった杖だ。


 俺は何が起こるか察して、慌ててドラゴンを床に置いた。

 直後に杖がひとふりされる。


 すると小さなドラゴンの体がブルブルと震えて、全身が溶け出したかと思えば、一瞬で膨れ上がり大人の背丈ほどある大きさになった。


「ギャアグルル‼︎‼︎ グルゥルルル‼︎‼︎」


 重厚な存在感があるそれは、まさにドラゴンだ。


 牙がよだれでぬらぬらとてかっていて、近づくと生臭い息がかかった。

 いっしょに火も吹き付けられるが見かけ倒しの炎なので熱くはない。


「危なかった……」


「くく、驚いたか? まあ家にいる間はラルクが嫌になるくらい遊んでやるから、覚悟しておけよ」


 ものの大きさを自在に操る魔法。


 それがに神童、ワイズ・マクスヴェルの魔法だった。


 子供の頃から憧れていたその魔法を見て、俺は落胆している自分の存在に気づいた。


 いつか俺も、と思っていたその魔法が俺にはできないものと知ってしまったからだ。


「さて……もっと話を聞きたいのだが、弟の元気な顔を見て安心した。朝食はまだか? 呼び出して悪かったな、もう食べに行っていいぞ」


「……はい。あ、ドラゴン早く戻さないと怒られますよ」


 また杖を振って、ドラゴンを手のひらに収まるサイズへ戻すワイズを尻目に、俺は苦々しい顔を誰にも見られないようにいそいそと朝食に向かった。



 ワイズの時とは違い、ノックのためにあげた腕が重たい。

 朝食をいつもよりゆっくりと腹に収めた俺は、父の部屋の前で足がすくませていた。


 朝に見たワイズのような魔法が自分に使えないことを、父がどう思っているか知るのが怖い。

 だから声を聞きたくない、会いたくない。


 しかし知らん振りをするわけにもいかない。

 俺は観念して、ノックの乾いた音の余韻が消えるまで待ち入室した。


「失礼します——」


 足を踏み入れる俺に反応して、父、セージ・マクスヴェルは手元の書類から目を上げた。


「おはようラルク。昨日はよく眠れたかな?」


 こちらに向けられた父の顔は、怒られるかもしれないと考えていた俺が拍子抜けするほど優しげに見えた。

 口角を上げて、白い歯を見せて笑っている。


 なんだかその顔をする父を妙に思う気がしたが、何よりその表情に救われた気持ちになった。


「は、はい。おはようございますお父さま。昨日は……よく眠れました」


「それはよかった。しかし今日はラルクに、残念なことを伝えなければならない」


 一転して、父は目を伏せて悲しそうな表情になる。

 今にも歯軋りの音が聞こえそうなほど、眉間にシワが刻まれた悲しそうな表情。


「ラルク、お前は今日からマクスヴェルの子供ではなくなることになったよ。これからは人と会う時、家の名前を言わないようにしなさい。いいね?」


「ど、どうしてですか……?」


「ふむ、マクスヴェルの人間は優秀な魔法使いでなければダメなんだよ。だがラルクは昨日、魔法使いの才能がないとバレてしまっただろう? だからお前を置いておくわけにはいかないんだ」


 そう言いながら父は優しげな笑顔だった。

 あまりに笑顔で、俺は父の違和感に気づいた。


「お前は魔法使いの才能はなかったかもしれないが頭のいい子だ。私の言うことが分かると、そう信じているぞ」


 父はいつも余裕を崩さない人だ。

 感情が表情に出ることはない。


 今、あけすけに見える父の胸の奥には、何か大きな感情が隠されているのだ。

 俺はそれを感じ取って、急に怖くなった。

 これは冗談じゃない。


 本気で言っている。


「ご、ごめんなさい」


「どうして謝る? お前はただ、私の言った通りにすればいい。できるだろう? お前でもそれくらい(・・・・・)なら」


 俺は怖かった。


 ひとりになること、父から見捨てられること。

 マクスヴェルではなくなった時に起こる変化が怖かった。


 俺は父の意見に反することなど滅多にないのに、声が震えるのも気にせず必死で言った。


「私は……マクスヴェルの子供で、いたいです」


 父は表情を変えた。


「恐ろしいことを言うな、血を裏切った愚か者が‼︎‼︎」


 瞬間、空気が爆発したように震える。

 衝撃で壁に背中を打ち付けた俺は、痛みより父に怒鳴られたことに呆然とした。


 呆然としながら、俺は疑問に思った。


 どうして俺はマクスヴェルの人間なのに、魔法使いの才能がないのか。

 父がこんなに怒っているのか。


 何も分からないまま状況が変わっていく。

 俺は昨日からずっと、どこかに取り残されているような気がしてならなかった。


「げほ、げほッ……」


「誓え。名を、マクスウェルを捨てると」


 背中を打ち付けた俺が咳き込んでいるのも気にせず、怪物が乗り移ったかのように豹変した父は恐ろしいことに杖を向けてきた。


 杖は魔法使いの武器だ。

 それを向けたということは、攻撃の意思を持つことを明確にしている。


 父が、俺を傷つけようとしている。

 俺は戸惑い以上に悲しかった。


「まっ……まって、待ってください、私は必ず魔法使いとして立派になってみせます! だから」


「それはありえないことだな。お前の限界は、どこまでいってもみすぼらしいあの輝き程度にしかない」


 それは微かにあった、まだこれから成長するかもしれないという希望をあっさり打ち砕いた。

 魔法使いとして一流の人間から証明された、あまりに低すぎる才能の限界。


 俺は死刑宣告を受けた気分になる。


 父はさらに追い討ちをかけるように、言葉を続ける。


「マクスヴェルの血がお前に魔法使いの才能を与えなかったのは、お前が純血を裏切ったからだ。マクスヴェルの穢れにお前は屈したのだ。そのような者がマクスヴェルとして子を残し、穢れを蔓延(はびこ)らせることは許されん。それがこの家の決定だ」


 純血を裏切る? マクスヴェルの穢れ?

 魔法の才能がないことで、これほど怒りに染まって排除しようとするのはそれが理由?


 どれも理解できないことだ。

 俺は理解できない理不尽なことで、自分を否定されている。


「私がどれだけこの家を大切に思って尽くそうとするかより、魔法使いの才能がないことの方が重要な問題なのですか……?」


「そうだ。純血がなぜ尊いのか。それを理解するからこそ我々は血の純度を証明する、魔法使いの才能を重く見る」


「なら、裏切ったのはお父さまだ……」


「なんだと?」


 俺は、昨日まで自分が優秀な魔法使いになることを疑っていなかった。

 信じ切っていた。


 だがそれまで魔法使いの才能がないのを理由に人を見下したり、傷つけたり、嫌ったりはしなかった。


 父もそうだと信じていた。

 たとえ魔法使いの才能がない自分にも、それ以外のいいところを見つけて認めてくれるとどこかで期待していた。


 しかし父は違った。

 魔法使いの才能だけを見て、俺を否定している。


 俺はこれまで感じたことのない力の奔流を知覚した。


 怒りではなくもっと澄んだ、命の深いところから溢れて湧く強大な力。

 それは俺の全身を満たし、今まで閉じていた感覚を開いた。


「あなたは、俺の愛を裏切った!」


 杖から閃光が走る。

 同時に、俺は初めての感覚に身を委ねた。


「……!?」


 今度は吹き飛ばされることもなく、痛みさえ俺の体に届かない。


 目の前で石の床が盛り上がって、盾のように父の攻撃を遮っていた。

 一撃に耐えきれず、ボロボロと崩れかけているが父の魔法を防いだのだ。


「……これ以上私を失望させるな。それを見て私が考えを変えると思ったか? ふざけるな、こんな三流以下の魔法、マクスヴェルを貶めるだけだ!」


 今度は溜めもなく、杖から放った魔法が床を抉っていた。


「もう一度告げる。ラルク、今後お前がマクスヴェルを名乗ることを禁ずる。出て行け!」


 言われるまでもなかった。扉を乱暴に開けて、俺は父に背を向けた。



 この屋敷からは出られない。

 屋敷には人払いの結界が張り巡らされているから、合言葉か、家の人間から招き入れられた者でなければ出入りができないのだ。


 まだ子供の俺は合言葉を教えてもらっていない。

 あれだけ威勢よく飛び出しても、行くあてなど限られていた。


 俺は部屋に戻ろうとしていた。

 ひどく疲れている心身を休めなければ何もできそうになかったからだ。


 初めて魔法使ったことによる疲労と、父からマクスヴェルを名乗ることを禁止され、この先どう変わっていくのか見当もつかない不安が重なり合い、悪魔的な乗算の結果俺の精神を追い詰めていた。


 今は、心にのしかかるすべてにフタをして、狭い世界に閉じこもりたい。


「ビーンズ……こんなに散らばって、誰がやったんだ?」


 足の裏に、何かを踏んづけた感覚があった。

 下を見ると箱ごとひっくり返したように大量のビーンズが転がっている。


 今は片づける気力などない。

 俺は足をどかして立ち去ろうとして、その瞬間目を疑うことが起こった。


 ビーンズが爆発的に体積を増して、俺を上空に跳ね上げたのだ。


「がふ!?」


 床に肩を強打し、視界が黒く染まる。

 何が起きた、そんな疑問はない。


 俺はすぐに分かった。

 それを昔からよく見てきたからだ。


「こ、この魔法は……どうして」


 一番上の兄、ワイズ・マクスヴェルは物の大きさを自在に操る魔法を使う。


 それは、例えば床のビーンズを膨れ上がらせれば上を歩く人間を転倒させられる。


「どうしてだ……ウッ、ウゥ……」


 俺は泣いた。


 魔法使いの才能がない。

 たったひとつのことだけで父と兄からの愛情を、家族の絆をなくしてしまったのだ。


 俺はこれまでこの家で楽しかったすべての思い出が虚しく思ってしまい、起き上がることさえできなかった。



 翌朝から俺の生活は変わった。


 外から見て、マクスヴェルの屋敷は平常運転といえた。

 掃除や洗濯に動き回るメイド、厨房で飯の用意をするシェフ、庭の景観を守る庭師。


 中央都市から大きく離れた森の深くに佇む屋敷の中で、みんな日常に追われて生きている。


 ただそこから俺は爪弾きにされていた。

 今はマクスヴェルの家中が俺に牙を向けている。


 朝、メイドはしわのない服を用意しなくなった。

 広間に俺の食事が用意されることはなくなったし、そもそも家中の人間が俺を避けるように動いていた。


 偶然にも顔を合わせれば、彼らは俺に哀れんだ目を向けてくる。


 ことさら上の兄、ワイズには蛇蝎の如く嫌われた。

 帰ってきた日の会話で見せた優しい兄の姿が嘘のように、行く先々でビーンズがばらまいては気付かず通行する俺のことを、まるでお手玉のように空に打ち上げる。


 直接姿を表さず、床でもんどりうつ弟の姿に冷酷な笑い声だけ寄越してくるのが憎たらしい。

 俺は日の出ている時間に、屋敷の中を歩くことができなくなった。


 そして問題が起こる。


 食べものがないのだ。

 最後の食事からは二日が経とうとしている。


 空腹は限界に近い。

 俺は今夜、厨房で何かしら食べものをつまむつもりだった。そのため夜の廊下を歩いていたのだが、途中急激な体調の悪化があり引き返してしまった。


「まいった……夜は守護霊が屋敷を警備してるんだった。あぁ、近づかれたせいでまだ寒気が収まらない……」


 屋敷にいるのは人間だけじゃない。

 夜の闇の中、この屋敷を守っているのは守護霊たちだ。


 守護霊に触られると生命力を吸われたような寒さを覚える。

 俺は運悪く遭遇してしまい、最悪の体調になってしまった。


「けどまだ夜の方が安全だ。この時間はどこも戸締りされてるけど、俺の魔法は鍵開けくらいならこなせるみたいだしな……何より昼に歩けばワイズのオモチャだ」


 俺は自分の魔法を理解し始めていた。


 凸凹変形(バンピー・プラナム)


 たいして珍しくもない、物の形を変える魔法だ。

 触れた物を盛り上げたり、へこませたりすることができる。


 弱点もあるが、そこそこ便利ではあった。


凸凹変形(バンピー・プラナム)


 ポケットから取り出した土を変形させ鍵口に押し込む。

 引き抜くと穴の形にあった即席の鍵が出来上がっていた。


 通常、魔法使いが魔法を使う時には杖を持つことが前提とされる。

 それは魔法を使うことが高い集中力、繊細なコントロールを求められることであり、杖の補助がなくては難しいためだ。


 だが初めて使った時から杖を持っていなかったせいか、俺は少し練習すれば杖なしで魔法を使うことができていた。


「……ん、ラルクか?」


 自分の部屋に帰ると、誰かに名前を呼ばれた。

 まったくの不意打ちだったせいで声から誰のものだったかは推し量れない。


 俺は暗闇に目をこらす。

 ちょうど月明かりが差し込み、くたびれたローブの裾を映し出す。


 何もかもが手入れされた屋敷の中で、異物のように汚いその格好を見て、俺は思い当たった。


「メイジス兄さま?」


 部屋に中にいたのはメイジス・マクスヴェル。

 俺の兄であり、そして俺とは違って魔法の才能を持つ純血の魔法使いだった。


 月明かりがかすかに差し込む俺の部屋で、メイジスは木造りの椅子にもたれかかっていた。


 部屋には鍵をかけていたはずだったが、魔法使いなら解錠くらいするだろう。

 だから侵入されたことには驚かないが、メイジスが訪ねてくることはかなり珍しいことに違いなかったのでとても驚いた。


 メイジスは生活すべてを部屋の中ですませてしまう人だ。

 フラフラと気分転換に森を歩く時しか姿を見ることがないので、こうして部屋まで訪ねてくることに俺は警戒や疑いより、何かとんでもないことがあったのではという心配をしていた。


「どうして俺の部屋に?」


「……そうだな。今日邪魔したのは、ラルクに助け舟が必要だと判断したからだ」


「助け舟……」


 口の中で言葉を噛み砕く。

 その間メイジスを見て何を考えているのか窺おうとするが、理知的に輝く青の瞳は、逆にのぞき込んだ俺の心を見通しているように感じた。


 俺は目を見るのが辛くなった。


 メイジスやワイズは、父と同じ青い瞳だ。

 しかし俺だけは混じり気のない鳶色の目で、昔から三人の目を見ることが、疎外感を感じるトリガーになっていたのだ。


「……それって、つまりメイジス兄さまは知ってるってこと? 俺が今どう扱われているか」


 俺がマクスヴェルの爪弾きになってから二日も経っていない。

 書庫にこもりがちなメイジスはまだ知らないと勝手に思っていた。


「僕はペットのネズミたちに家の中を見張らせている。何かいつもと違うことがあれば報告するように躾けてな」


「え……たまに見かけたネズミのこと? みんな野生だと思ってるよ」


 マクスヴェルの屋敷にはネズミが住みついている。

 厨房の食材には不思議と被害が出ないので、男家族のマクスヴェルでは害がないネズミを気にする者はいなかった。


 メイドは目の仇にしているようだが、出たら悲鳴をあげて逃げてしまうので、これまでネズミが駆除される事態には至っていない。


 俺はずいぶん昔からいるものだから、きっと誰かがエサを与えているのではと予想していた。

 まさかメイジスに飼われていたとは。


「お前もネズミの前で隠しごとしないだろう? できるだけ正確に屋敷のことを報告させたかったから、内緒にしていた。まあ始めた頃はすぐ明かすつもりだったんだが、家にネズミがいることをお父様が気にしないから、数も増やして本格的に育ててしまったよ」


「そう……、でも危ないからメイドたちには言った方がいいと思うけどな……」


 ずいぶん前だが、ネズミ捕りの作り方をメイドが庭師に聞く姿を見かけた。

 捕まえても結局さわる必要があると教えられると諦めていたが、このままだと次の使用人の求人要項に、ネズミ処理可と載せることを要求しかねない。


「そうだな。確かに家の人間は監視して長いし、そろそろ打ち明けても問題ないか」


 俺はメイジスの変人っぷりに苦笑した。

 どう考えても、自分の家でネズミを使った諜報活動をする必要は見当たらない。


 ワイズが以前言っていたが、確かにメイジスと話すと驚かされるというのは正しいことのようだった。


「そのネズミたちのことだ。最近ラルクについておかしなことがあると報告してきてな。御側付きのメイドを問いただした。だからお前が今、どういう目にあっているかも分かっている」


「……それで助け舟?」


「その通り。ここに三通の手紙がある。お前が外の世界で生きるため必要なものだ」


 俺は驚いた。


「なんだって? 外の世界?」


「そう、ラルクも外に出ることは考えたはずだ。今この屋敷は、お前が生きるのに最悪の環境。食事の保証さえありはしない」


「まあそうだけど……」


 外に出る。


 自分も一度は父の部屋を飛び出した時、衝動的に森の外へ向かおうとした。

 しかし冷静になって思い返すととても恐ろしいことのように思える。


 自分が生まれ育った屋敷ではないどこかで暮らす。

 それはどこか非現実的で遠く、自分の一部を失ってしまうような気さえした。


 一方で、メイジスの言うことは正しいと理解できた。

 このまま家にいても、この夜のように、空腹に耐え忍ぶ毎日が待っているのは確実だ。


 最悪死んでしまうかもしれない。


「だから外だ。右からそれぞれ隠居した魔法使い、迷宮都市の理事、魔法学校の校長へ手紙をしたためた。みんな僕の知人の魔法使いたちだ。手紙を見せれば、お前を預かってくれるだろう」


 静寂な夜、メイジスの声は森のフクロウの鳴き声と重なって、暗い部屋に染み渡っていく。


 助け舟として出されたその手紙は魅力的だ。

 特に魔法学校というのは、俺が今まで想像してこなかった新しい未来を描いてくれる響きがあった。


 しかし俺の心は、手紙に指をかけることを躊躇っていた。


 俺は家族のことを疑ってしまっている。

 メイジスが置いた目の前の手紙は、自分をさらなる不幸へ叩き込む落とし穴への招待状ではないのかと。


「……悪いけど素直にメイジス兄さまの出してくれる助け舟には乗れないよ。本心で言っているかが分からないんだ」


 自分の言うことは無責任だった。

 あれだけ父に家族への愛を裏切ったと啖呵を切っておいて、今はメイジスを信頼することがこんなにも難しいと感じているのだ。


 メイジスを見る。


 理知的な青い瞳が、まっすぐに見返してくる。

 メイジスは言葉を挟まず、ただ待っている。


「ワイズ兄さまが俺に魔法を使った嫌がらせをしてくるのは知ってるだろ? 俺はワイズ兄さまを理解していたつもりだったけど、優秀な魔法使いじゃないことで、あれだけ目の敵にする人だなんて知らなかった」


 他人を知るのは難しい。

 仲のよかったワイズのことさえ知らないことばかりだった。


 ならば、どうしてロクに話さないメイジスの本心が分かるだろうか。


「今メイジス兄さまはどっち? 本心なのか、嘘なのか。どう信じればいいのか……分からない」


 心情を吐き出す。


 だんだんと自分の思考が整理されていくのを感じた。

 もやがかかったように不透明だった心や感情をコントロールできるようになっていく。


 俺は、裏切られるのが怖い。


 恐ろしい。


 父にワイズ、ふたりに嫌われて裏切られて、もう自分は嫌われてしまうことに諦めたつもりでいた。

 痛みに慣れたはずの心は、それでもなおメイジスに嫌われたらと思うと生々しく、初めて知る痛みのように新鮮な傷口を胸に刻む。


 だけど疑問にも思う。


 どうして苦手とさえ思っている、このメイジスに裏切られることがそれほど恐ろしいと感じるのか。

 慕っていた父とワイズ、そのふたりへの想いと釣り合うことが不思議だった。


「ラルク……、裏切られて、人を信じることがとびきり難しく感じるようになるのは分かるよ。だけど心を他人に委ねることはできないから、自分の気持ちは自分で決めるしかないんだよ」


 同情し、諭すように語りかけるメイジスの声が、どこか古い記憶に刺激を与える。


 子供の頃だ、俺は今よりずっと小さい頃にこの声を毎日聞いていた。

 夜の静かな世界が集中力を高め、古い記憶を呼び起こそうとする。


「僕を信じるかはラルクが決めること。この先どうするかだけじゃなく、僕の手が必要かも決めるんだ」


 月明かりが差し込んで、メイジスの日にあたっていないため不健康に白い顔をあらわにする。


 俺は思い出した。


 俺はメイジスのことが苦手ではなかった。

 小さい頃は本当に大好きだった。


 いつも俺の世界はこの屋敷の中だけだった。


 毎日が同じ、焼き増しのように繰り返される。

 それがちっとも辛く退屈と感じなかったのはメイジスがいつも隣にいたからだ。


 メイジスは毎日本を読んでくれた。

 外の世界の話や魔法使いの物語、魔法のこと、動物や魔法生物のこと。


 俺が聞くと、メイジスは優しくなんでも答えてくれた。


 いつからかメイジスは書庫にこもるようになった。

 メイジスの隣は俺ではなく、賢そうな大人の魔法使いがいるようになっていた。


 彼らは魔法についてだけではなく、学問のことをたくさん教えたり話したりしていて、メイジスはとても熱心な顔をしていた。


 それを見て思ったのだ。


 俺はメイジスに何もしてあげていなかった。


 だから離れていったのだと。


 俺は一緒にいるのが申し訳なくなり、恥ずかしかった。

 いつか、マクスヴェルの魔法使いに認められたらその隣に戻れると期待を寄せていた。


 だから、十歳になって魔法使いの才能を認められた時、まっさきに魔法を見せにいこうとしていた相手は、他でもないメイジスだったはずなのに。


 どうして忘れてしまったのだ。


 痛い。


 心がズキズキと痛み、堪えきれず目に映る世界が水たまりに沈んだ。


 胸の痛みは、父にマクスヴェルを名乗るなと言われた時より、ワイズに魔法で攻撃された時より百倍強く胸を締め上げる。


「ごめん、俺……ごめん…………!」


 どうして裏切られるのが怖いのか。


 それは、相手のことを大切にしていればいるほど、愛情があればあるほど、裏切られた時には深く胸にナイフが突き立つのだと、この数日で俺は知っていたからだ。


 皮肉なことに、その痛みの大きさを予期したからこそ、俺は大事な思い出を掘り返すことができた。


 だが、今更だ。


「ラルク? 男が簡単に泣くものじゃないだろ。……けど今夜は風が強くて森がうるさいから、いいよ」


「ッズ、グス……うん…………」


 メイジスの声が降りかかる。


 昔とは違う声が重なるように聞こえるのは、あの頃と同じぐらいの優しさを今のメイジスにも望む身勝手な願望のせいだ。


 もうとっくの昔にメイジスから見放されている。


 そのうえ何年もずっと、空っぽの時間を積み上げてしまった。


 俺は魔法使いの才能より大事だと信じていた家族の愛が、裏切るより取り返しのつかない形で失われていたことを自覚した。



 森をざわめかせる強い風が止んだ頃、迷いはもう晴れていた。


 今目の前のメイジスを信じるのは難しい。


 だが俺は家族を信じたかった。


 俺は過去のメイジスを考えた。


 そして毎日、本の話をしてくれる大好きだったメイジスのことなら信じられた。

 その延長にいる今のメイジスなら信じられたのだ。


 信じたからには、聞かなければならないことがあった。


「メイジス兄さまは、魔法使いの才能がない人間はマクスヴェルにいてはいけないと思う?」


 それは俺の最も恐れる問いだった。


 答え次第で、最大のコンプレックスを刺激するだろう問いだ。

 しかしそれを見ないようにすることは許されない。


 信じるからには、相手が俺をどう見ているかに目を背けてはならないと思った。


「ラルク、僕は魔法使いの才能がそれほど重要とは思っていない」


 俺は思考が停止しかけた。


 夜は月明かりが追い払い、そこには理知的な青い瞳が輝いている。

 マクスヴェルなのに、魔法使いの才能が重要ではない?


 それは父とは対極にある考え方だと思った。


「魔法の才能が尊いものと、世界中が思っていたなら混血の魔法使いは生まれなかったはずだ。だが実際は血に関わらず、人と人は結ばれている」


 俺はこれまで会った人を思い浮かべる。


 家族や、たまに訪れる他家の純血を名乗る人をのぞいて、使用人や大半の魔法使いは混血の人ばかりだった。


「きっと非魔法使いと血を交わした魔法使いたちは、あるものを見出したんだ。才能を継ぐことより尊いと思った何か。それは才能の代わりに血に込められていくものだ」


 俺はその答えがすぐに浮かんだ。

 ずいぶんと昔だが、魔法使いと非魔法使いが結ばれる物語を読んだことがあったからだ。


「愛?」

「それもひとつかもしれない」


 メイジスは笑ったが、うなずきはしなかった。

 愛がその何かに含まれるかは、きっとメイジスさえ知らないのだ。


 答えを知るのは見つけた誰かだけなのだ。


「ラルク、僕たち純血もそうだ。血から魔法の才能ひとつを取り出せば、空っぽになってしまうものではない。だから僕はこう思う。血が与えた何かを受け取っているのなら、君はちゃんと(・・・・・・)マクスヴェル(・・・・・・)だ」


 血が与えた何か。


 俺はそれが分からなかった。

 分からない俺は、やはり父の言うようにマクスヴェルではないのだろうか?


 違う。


 これは簡単に出せる答えではない。


 メイジスさえ、それが正解であると肯定することを避けるほど、曖昧な何かなのだ。


 俺は過去を振り返る。

 そしてメイジスを見る。 


 俺は少しだけ掴めた気がした。


 家族。


 俺にとって魔法使いの才能より重要な家族は、マクスヴェルの血が与えてくれたものだった。


 答えを見つけた時、心が温かくなるのを感じた。

 それでも泣かなかった。


 涙を隠す風はもう止んだのだ。


「……ありがとう。決めたよ。俺は外の世界に行く。メイジス兄さまの手紙もありがたく受け取るよ」


 真ん中の手紙を取る。

 それは何の変哲もない手紙だったが、俺には不思議な温かさがあるように感じた。


「迷宮都市の理事? それでいいのか?」


「うん。これがいい」


 俺が選んだのは迷宮都市の理事へあてた手紙だ。


 本当なら俺は屋敷を離れたくはなかった。


 ここは俺の家で、三人の家族がいて、生まれてからすべての記憶が残る大切な居場所だからだ。


 だから戻ってこよう。

 今は生きるため外に行く。


 いつか三流以下なんて言わせないくらいに強く、マクスヴェルに相応しい魔法使いになって帰ってくる。


 俺は迷宮都市でならそれが叶うと知っていた。


「分かった。ではこれを持っていけ」


「それは……ポーチ? 中身は何が?」


 渡されたのは小さな鞄、ベルトで腰につけられるタイプのポーチだ。

 滑らかな黒の皮、頑丈そうな金具がつけられている。


「旅に必要な食料と水筒、銀貨を十枚入れてある。魔法のかかった品物だから容量は見た目よりずいぶん多い。それだけでも街まで保つだろう」


 驚いて俺は手に持ったポーチを取り落としかけた。


 魔法の鞄は裕福な魔法使いの一家が、子供の成人祝いで送るような品物だ。

 自分が持っていくには過ぎた装備と言えた。


「魔法の鞄って珍しいものだろ! いくらなんでも受け取れない」


「いい道具というのは適度に使い込まれて、よく手入れされたものだ。この杖のように、観賞用にしていてはこうはなれない」


 そう言って見せられた杖はメイジスに馴染んでいる様子だった。

 それに、大切に扱っているとひと目でわかるくらいに根本のグリフォンの顔が満足げに光沢を放っていた。


「……大切に使うよ」


 結局魔法の鞄を受け取った。


 ここで突き返してもメイジスは喜ばない。

 せめて丁寧に使うことが自分にできる恩返しだった。


「迷宮都市への道は、屋敷を囲う森の南側を走る街道から続いている。途中乗合馬車とすれ違うだろうから運賃を払って乗せてもらうといい」


「行き先は分かったけど、家には人払いの結界があるよ。どうするの?」


 外に出ると聞いた時からチラついていた疑問だが、メイジスは屋敷を守る結界をどうするつもりだろうか。


 マクスヴェルの屋敷には許可を持たない、あらゆる人間の立ち入りを封じる人払いの結界がある。

 それを突破するのはいくらなんでも難しいように感じた。


「僕の魔法をかける。お前をネズミに変える魔法だ。人払いは小動物なら対象外だから、結界を抜けて屋敷を出れる」


「ネズミか……」


 なんでも動物に変えてしまうメイジスの魔法で俺の姿を変えてしまえば結界をすり抜けるのは可能かもしれない。


 しかし俺は自分がネズミになるという、新たな不安が誕生した。

 もし屋敷の中でメイジスのペットに紛れ込んだらと想像するが、あまりいい気分にはならなそうだった。


「もういいか?」


 俺は覚悟を決めた。


「うん。ありがとう。愛してるよ、メイジス兄さま」


「……これからがんばれよ。動物変化(アニマライズ)


 杖から紫色の筋が伸びて、俺の体を包み込む。

 目元を塞がれ屋敷の光景が見れなくなってすぐ、深い闇へと誘われた。




 ラルクの案内を任せたネズミが部屋に戻ってきた。

 ボフンと空気の抜ける音がして動物変化(アニマライズ)の魔法は解ける。


 元のメイド姿に戻った彼女は僕に向かって恭しげに一礼を見せた。


「メイジス坊ちゃま、ラルク様を街道まで無事ご案内いたしました」


「そうか……ありがとう。君の手引きのおかげで守護霊のガードをすり抜けられた。今のマクスヴェルは昼になると物騒になるからね。安全な夜中に逃がせて本当によかった」


 僕はラルクを家から逃がす作戦が成功した安堵と、魔法を行使するための極度の集中と緊張による疲労にため息をついた。


 そして、初めて僕が動物変化(アニマライズ)をした時に失敗してしまった結果、いまだ日の大半を獣の姿で苦しませてしまっている、当時の御側付きだった彼女に手助けを頼んでしまったことも、あまりに申し訳なかった。


「ふふ、主人に尽くすのはメイドの本懐ですから」


 彼女はよく笑う。


 彼女は愚かな魔法使いのせいで過酷な運命を背負わされたのに、それを責めることがなかった。


 人の姿に戻ってすぐ、ネズミの世界は人と違いがあって楽しかった、生まれ変わった気分だったと笑っていた。


 僕はそれが嘘であると知っていた。

 裏では泣いているのを知っていた。


 僕は愚かな魔法使い(ブラッディー・メイジ)だ。


 不相応に強力な魔法で不幸を生んだ。

 罪を償うためには時間が必要だった。

 自分を捨てても足りず、弟との時間まで捨てた非情な兄だ。

 なのに五年かけてもまだ贖えない。


「……ラルク坊ちゃまは優しい方です。心配なさらずとも、良き出会いをするでしょう」


 黙ってしまった僕が、先ほど旅立ったラルクを案じていると思ったのか。


 気を遣わせてしまった。

 どうにも彼女が戻るのを数時間ほど待っていたのもあり、疲労が限界にきたらしい。


「今日はまだ呪い学の本を読むつもりだったが、休まなければ頭に入りそうにない。一度眠るよ」


「そうですか。ではおやすみなさいませ」


「ああ、君も」



 部屋でひとりになり、目をつむっていると思い出すのは旅立った弟のことだ。


「……考えた通り、ラルクは家を出ることを嫌がっていたな」


 それはおかしなことだった。


 生まれた時からこの狭い家に閉じ込められて育てば、普通は外に憧れを持つし、自分から出たがるように成長する。

 兄のワイズがそうであるように。


 加えて家の人間から嫌われているなら、もはや残りたがる理由を探すことは困難だ。


 けどラルクはそれでも家に残りたがる。

 そういう子供だと知っていた。


 ラルクは小さい頃から一度も家の外に行きたいと言ったことがなかった。


 お前は本当に家族への愛が深い。

 こんなことになってもお父様のことも、ワイズのことも嫌いになれず、家族から離れることを拒んでいた。


 だからラルクを家から逃がす方法を考えた時は頭を抱えた。

 本心に反した選択をさせるのは非常に難しいからだ。


 よほど条件を整えなければ、ラルクは必ず家に残る。

 その選択を覆すために伝手を辿り、知り合いでもない魔法学校の校長から入学許可というカードを得た。

 予想通りラルクの興味を惹けた。


 本当は隠居した魔法使いのところに行ってもらうのが一番だった。

 僕の提示できる未来の中で、最も安全だからだ。


 だが安全であっても幸福になるとは限らない。


 特にラルクのように若ければ、安全よりも手に入れたいものはごまんとあるはずだ。

 何もかもがあふれた迷宮都市とは、そういった者に向いたところだった。


 僕は、本当に酷い提案の仕方をしたと思っている。


 お前が外へ行きたがるように誘導した。

 お前がこの狭い家の中では、もう不幸しか見つけられないと思ったからだ。


 けどそれは僕の勝手だ。


 お前は優しい子だから。

 いつか自分のせいにする。


 自分に魔法使いの才能がないことを責める。

 マクスヴェルから何も受け継いでいないことで苦しんでしまう。


 ラルク、お前は才能を与えられなかった。

 でも何も与えられなかったわけじゃない。


 お前が生まれてすぐ死んでしまったから知らないだろうけど、僕たちの母様はお前と同じ鳶色の目をしていた。


 受け継いだのは兄弟の中でお前だけだ。


 それだけじゃない。

 時間があれば、もっと伝えたいことがたくさんあった。父様がラルクにマクスヴェルを名乗らせないようにしたのはお前を守るためだった。


 大事なんだよ、ずっと父様はラルクのことが。


 だから本当は、お前を家から離すべきじゃなかった。

 お前を父様たちと仲直りさせてやるのが一番だった。


 けどそれは無理なんだ。


 魔法使いの才能は血筋による。

 そのルールを壊したラルクのことを、他の純血の家は許さない。


 お前には隠しているから分からなかっただろうけど、お前が魔法使いの才能がないと判明した日から、昼はたくさん人が来るんだ。


 どいつもこいつもお前のことで、物騒な話をしに来るんだ。


 ワイズはお前がそれを聞かないように、部屋に閉じ込めるために魔法を使って嫌がらせしてたんだ。

 自分が嫌われても本当に大事な家族のためだから、生きていてほしいから嘘をつく人たちなんだ。


 誰もお前のことを嫌っていないよ。

 でも、父様とワイズには見えない縛りがたくさんあって、その中でしかお前を助けられないんだ。

 それでお互い大事なはずなのに伝えられない。


 愛してる家族に裏切られるのは辛いよね。

 自分だけ魔法の才能がないのは辛いよね。


 まだ十歳だ。

 泣いてもいい。


 けど、受け入れてくれ。

 自分の不幸を受け入れるのは大変だけど、お前はマクスヴェルだから。


 マクスヴェルを象徴するグリフォンは誇り高さの象徴だ。


 誇り高いんだから、自分の決めたことに筋を通すくらい簡単だろう?


 たとえ扉の前まで導いた者がいたとしても、最後に外に出ることを選んだのはお前だ。

 少し……かなりかもしれないズルをしてしまったけど、最後はお前が外に出ると決めたんだから。


 がんばれ。

 もう僕がしてやれることは何もないけど、かわりにお前には魔法をかけたから。


 兄の想いを託した魔法だ。

 必ずお前を守ってくれるさ。




 今回は「優しい追放の物語」を読んでいただきありがとうございます。


 下の☆☆☆☆☆を★★★★★にしたり、

 ブックマークや感想をいただけると嬉しいです。


 また、ラルクが屋敷を出た後のことを「三流魔法使いと奪才の魔法書」で第八話より掲載しています。

 よければ下記リンクより読んでもらえると嬉しいです。


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