ただ今は……
「もたもたしてっと置いてくぞ?」
「まっ……待ってよ……惣ちゃん、おれが置いてかれるの嫌なの知ってる癖にぃ……」
「嘘だよ。最後までしっかり付いてってやるから。」
「うぅ……惣ちゃんの嘘つき……」
俺は、梶村惣亮。都内のしがない高校一年生である。とは言ってももう既に大人顔負屈強なガチムチ巨体を手に入れてクラスじゃゴリラなんて呼ばれている。
俺の横で泣きべそかいてるなよなよした奴は、下澤優二郎。言っちゃ悪いが言動がとても16には見えない。
これにも理由があるのだが……
「今日一時間目から調理実習じゃなかったか?ミスってんだろ……」
「今日野菜スープだから、ナイフ使わなきゃいけないんだよね……?おれに上手く出来るのかな……」
「大丈夫だって、俺も少し怖いから。」
そう言って優のわなわな震える肩を叩いてやる。
「ひっ……痛いよ……」
「悪いっ!少し強すぎたか……?」
「ううん、おれのこと励まそうとしてくれてるんでしょ?だから、痛くても我慢する。」
そんな普通のスキンシップでさえ遠慮がちになってしまうのは、俺たちがある意味特別な事情があるから。
そんなこんなで一時間目の調理実習が始まる。俺たちは定時制の高校なので始まるのが午後からなのだ。
開口一番に先生から一言。
「梶村と下澤は無理にナイフ使わなくて大丈夫だからな。火加減とか他のことやってくれればいいから。」
そう、先生までもが度々注意を流すように俺たちにとってナイフは苦手な存在、というかトラウマなのだ。
白状すると2人とも肉親から陰湿な虐待を受けていた。
俺の場合、何かしでかせば家の扉を開けると同時にナイフを向けて、鬼の形相で見つめる母の面を帰るたびに拝まなければならなかった。酷い時にはまるでジャグリングに失敗したかのように顔面目掛けて飛んでくることもザラだったのでとても気が気でなかったし、中1まで何度か危篤にまで陥ったことがある。
でも優の場合は両親共に裏社会に手を染めていて、幻覚からくる被害妄想で耳が痛くなる罵声と自分の血しぶきの地獄を小学校低学年から見続けてきたのだと。
俺達は洗濯機の中が唯一安心できる場所だった。
俺は思春期から始まったから良かったものの(良くはないが)、優は無垢な頃から愛を享受できなかった為に、対人・閉所・暗所・先端・血液恐怖症という最悪な五重奏のタクトを握ることになってしまった。
美しい身を育む為の躾のはずが、俺みたいな人間不信と優みたいな自活能力皆無な人間を生み出してしまったのだ。
もはやこれは育児と称した自分のストレスの当てつけに過ぎない。
でもこれは裏を返せば、道徳心を植え付けるための最高峰の躾かもしれない。自分のされたことを他人や子供にしてはならないという戒め、親であれ他人は容易く信用するなという教訓にはなるからだ。
……本来受け取るべきはずの慈愛を犠牲にして。
身の上話を挟んだから長くなったが、要は自分が刺されたナイフがトラウマを呼び起こすから怖い・扱えないというだけのことである。
「でも、おれやりたいな……だって授業だもん。」
そう意気込む優が心配でならなかった。……声震えてますけど。
「大丈夫か……?無理しなくても俺が……」
「……やっぱ無理ぃ〜!」
(でしょうな。)
そう叫んだ優は泣きじゃくりながら俺のズボンの裾にしがみついた。……どんだけひでえことされたんだよお前……
「ほら、案の定だろ?お前は火加減見てくれりゃいいから。あとは俺らがやるから心配すんな。」
「うん……ごめんなさい……」
……一悶着あったが無事に実習は終わり、時間も過ぎていった。
寮への帰り道……
「惣ちゃん、今日は迷惑かけてごめんなさい……」
彼は目に無駄に涙を溜めながら俺に謝ってきた。
彼が怒られると思った時のパターンだ。
「泣くなって。いつものことだろ、誰も責めてない。」
優は首をふるふると振り「いつものことだから言ってるの……」と項垂れる。
「おれ、いつも惣ちゃんやいろんな人に迷惑かけてるから自分で頑張ろうっていつも思ってる、でも身体だけしゃしゃり出て失敗した……結局いつもとおんなじ。何にも自分でてきてない。」
次第に涙が彼の手を濡らし始めた。
「自立なんかできない癖に口だけ達者なおれはダメ人間なんだ……本当は分かってる、みんなめんどくさかったり怒りたいのを我慢しておれと一緒にいるって……死に損ないのおれなんて、指示されたことも満足に出来ないロボット以下のおれなんて……!……いらないんだよ……」
「俺が我慢してるように見えるか?」
「正直に言ってよ……!本当は、おれなんかと友達なったこと後悔してるんでしょ……?」
その後も優は言葉にならない声で哭き続けた。
かくいう俺は何かがプチっと切れる音がしたのを頭で感じ、拳を高く振り上げていた。
……許さない、こんなに言ってやってんのに。
そのまま彼の顔を、ゆっくりと撫でた。
「馬鹿、お望み通り殴られるとでも思ったか?誰もお前のこといらなそうだから俺がもらってやるよ。頑張ったな、あんなに語調の強い優初めて見た。……安心しろ、今まで通りいっしょにいてやる。」
「なんか今日の惣ちゃん……カッコいいや、大人っぽいし。」
「いつも、の間違いだろ?それにマジで俺が大人っぽいなら、【早く大人にさせられた】んだ、身体も心も、な。」
「そっか、とりあえずこれからもよろしくね。惣ちゃん!」
そうだ、そんなことはどうでもいい。ただ今は……互いのことを自分以上に把握してる隣の誰かとずっといっしょにいられればそれで……
「大好きだよ、惣ちゃん!」
「優、そんなこと言わせんなよ……俺もだから。」
正直、これは言いたくなかった。言ってしまえば、きっと互いから目が離せなくなる。でもきっと【家族】になってしまってもいい気がした。禁断の果実の甘みに永遠に酔いしれていても赦されるよな。
優が俺のことを、俺が優のことを我が子が如く愛せるはずだと信じながら眠りについた。