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 梓は座ったまま後ろへと下がると、重ねた両手を畳の上に置いた。


「面倒は全部私が見ます。責任も全部私が取ります。だから、どうか、沙夜子さんに結界陣を教える許可を与えてください」


 そう言って深々と頭を下げた。名前を呼びながら、沙夜子はその肩を何度も揺する。土下座をするのは梓ではない、自分がしなければいけないことなんだ。


 同時に呆れたような長い息が漏れた。


「……姉さん、どないする?」


「……しゃあないやろ。梓は御言はんの世話役だけあって、決めたら聞かんとこあるし。なんだかんだ言っても、うちらは一度御言はんに命救われてる身やしな。あん人の企みかもしれんっちゅうなら、布石を打っておいた方がいいかもしれん」


 二人は立ち上がると、期待の表情を浮かべる梓と沙夜子に微笑みかけた。


「やけど、その言葉通り、面倒と責任は梓に負ってもらうで。何があってもこっから先は京極家は関知せーへんから」


「まあ、梓なら大丈夫やないの? 御言はんに基礎を叩き込んだのも梓やったし、なあ」


 バネのように跳ね上がると、楓と柊の顔を交互に見て、沙夜子は頭を垂れた。


「ありがとうございます!」


 そして、姿勢を戻し微笑む梓に対しても小声で礼を述べた。


「気の強いあんたならきっと大丈夫なんやろうと思うけど、修行は厳しいで。ーー梓」


「はい」


「屋敷んなか好きに使ってええけど、仕事の邪魔だけはせぇへんようにな」


「承知しています」


 ゆっくりと立ち上がると、梓は射ぬくような視線を沙夜子に送った。


「時間がまるでない。今から始めるで、沙夜子」


 微笑みが解かれた真顔の迫力に圧倒されながらもなんとか返事をすると、沙夜子は梓の後について部屋を出ていった。


 急に静まり返った狭い空間のなかで二人は再度顔を見合わせる。


「これが御言はんの計画やったとしたらーー」


「そっから先は心んなかに閉まっとき。いずれ自ずとわかるときがきっとくる」


 柊はこめかみの辺りを指で押しながら溜め息を一つ吐いた。


「やけど姉さん。御言はんって、ホント難儀なことしよるよなぁ」


「そやな。……けど、それが人と妖の定め……なんかもしれへんで」


 道場のような大広間へ連れられていくと、ちょうど真ん中の畳の上に置かれた小机の前で梓は手を前に突き出していた。縁側を真っ直ぐに北へ進み、屋敷の奥に進んだ先にあるそこは、長らく修行場として使われていたせいなのか、壁全体に傷跡や染みが目立ち、気のせいかもしれないが部屋が傾いているようにも思えた。


 ただそれ以上に沙夜子を当惑させたのは、ほとんど光のない真っ暗闇の中を奇妙な静けさが渦巻いているという、確かに感じるその感覚だった。


 窓のない間取りゆえに光が入らないのはわかる。だが、この静けさは何なのか。それは、初めて屋敷に入ったときに感じた不気味な静けさと同じだった。違うのは空気に含まれる濃度の程度くらいで、今いるこの広間の方が圧倒的に静寂に包まれていた。気をしっかりと張っていないと、自身の存在自体が空気の中に解け出していきそうなほど。


「京極家の技は守りの技。ゆえに相手を冷静に分析してからことを運ぶのが最良の手。ことは至極単純なんや。陣は妖を縛り、人は縛らない。境のない世界に境を見つけ、念を込めて手を突き出す。それだけや」


「……陣は妖を縛り、人は縛らない。境のない世界に境を見つけ、念を込めて手を突き出す……」


 復唱しながらも沙夜子の視線は机の上を凝視したまま。心許ない一本の蝋燭が照らす橙色の半円には一体の人形が置かれていた。デフォルメされた平安時代の姫のように十二単を着させられた大きな顔の人形。


 それに向かって梓は手を突き出していた。


「頭で理解するより、身体に身に付けた方が早いし、有効やで。自転車と一緒で一度身体に覚え込ませれば、 一生涯忘れられへん。いくで、よう見ててや」


 見えない何かを掴むように腕を後ろへと引く。すぐさま掴んだモノを押し返すように手を前方へ突き出す。その刹那、能面のように生気のなかった真っ黒な眸がぐるりと回転し、怨みを飛ばすように沙夜子を睨み付けた。


「はぁっ!!」


 骨が浮かび上がりそうなほどの細い手が止まる。すっと腕を下ろすと、人形はその恐ろしい形相のままに固まり、動かなかった。


「わかりやすく声を上げたんやが、これが陣形成の流れや。なるべく遅めにしたけど、わかったか」


「わ、わかりました。それより今の顔が!!」


 振り返った梓の顔には、人形と同じような怒りが滲んでいた。

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